アーカイブ5:会員制個室の焼き肉会(4)
「あなたにお渡ししたいものがあります。それは――って、ちょっと!」
俺は入野井の腕を取った。掌に何かを握っていたからだ。記者に渡そうとしていた腕を、そのまま引き寄せるようにムリやり記者から距離を取らせた。俺の強引な引っ張りに、入野井の姿勢は少し崩れた。
「え、ちょっと、お前!」
「いやあ探しましたよ。入野井くん。お忘れ物されていますよね。田野家選手が、あなたの忘れ物を見つけられて。確認いただきたいので、ちょっと来てもらえますか?」
「なに、え、わ、忘れ物?」
ずるずると入野井を引きずって、非常口階段へ向かった。扉まで来て入館証を素早く
「痛っ。おい。なんなんだよ。お前!」
「何なんだよ、じゃないだろ!」
「はぁぁあ?」
「さっきのどうみても記者だろ?」
「なんだよ。お前、田野家さんの話は嘘なのかよ。スタッフじゃないのかよ!」
「違う! 俺は、俺もスタッフだよ! アルファケーブルネットワークの! その、仕事を受けてるインターン生!」
入野井は首を少し傾げた。
「イン、ターン?」
「就業型インターンだよ。いずれは内定を貰うの! 正社員になるんだよ!」
「新入社員前の学生か。へぇ。インターンとか、内定って本当にある言葉なんだな。ドラマの中で演じた役だけかと思ってた」
こいつ。企業で働いたことがないのだろう。言い方が、いちいち鼻につく。
「それより、今さっき何か渡そうとしてただろ!」
入野井が右手を広げた。掌には小さな板の形状が見えた。
俺は素早く彼の掌から――それ――を奪った。
「あ」
「これマイクロSDカードか?」
なんだが物凄くヤバそうなものが入ってそうだ。知りたくはないが、なんにせよ記者に渡そうとするなんて一体どういうつもりなのか。
「何のネタを記者に渡そうとしたのか知らないけど、広告塔になったばかりだろ? 自分が何をやろうとしていたか分かってるのか?」
入野井は、ヘラッと唇を歪めて笑った。
「分かってるさ。記者にネタ提供だよ。飛んだ邪魔が入ったけどな」
「なんでだよ。なんで、そんなことすんだよ。人より恵まれてんのに。どうして記者なんかに!」
入野井は押し黙った。暫く沈黙していたが、それほど長い時間は掛からなかった。
「そんなこと、お前に関係ないだろ?」
「関係なくない!」
「はぁ?」
「いいか。ビルの入り口で誰かが見てる中、ネタを渡そうとしたんだぞ。記者は、どこで誰から得たのか記事にするわけだ。もちろん最初は匿名にするだろうさ。けど記事になった内容を、あんたのファンが目にしたとき、あのときの現場に入野井がいたとSNSで呟くに決まってんだろ! それにウチの会社名も呟かれるんだ。広告塔にしたことで苦情もくるだろうよ! 良い迷惑だ! 対応に追われて、加入者が退会する事態が起きたら大きな責任問題も問われる。俺が内定を貰うときに、この会社の業績が変わって内定取り消しにでもなったらどうしてくれるんだ!」
「内定がダメになったら、別に他を受ければ良いんじゃね?」
こいつを今すぐ殴りたい。だが暴力事件を起こしたら、それだけで俺の人生は直ぐに終わるだろう。
「簡単に会社に就職できたら、そりゃ楽だよ。でもな。俺はインターン面接五回連続落ちてんだよ!」
「はぁ。うるせえな。そうですか。それは、お気の毒に」
抑揚のない入野井の応答に、呆れて思わず溜め息が出た。
まったく話が通じない!
「どんな不満があるにせよ。何かのスキャンダルを記者に売るんじゃねぇよ!」
「ほんと、お前うるせえな。世の中に会社は一つだけじゃねぇだろうよ。落ちるのは、お前に実力がないだけだろ?」
やばい。本気でこいつを殴りたくなってきた。俺の何が分かるというのか。
「俺の大学はな、関東でも有名な八王子大学なんだ。アスリートの名門校。オリンピック選手がわらわらといるんだ。スポンサー企業に皆んな、いとも簡単に就職していくんだよ。そりゃ楽だよ。記録持ちは直ぐ決まる。普通のただの学生には、いくら受けても無意味なんだ。お前に何が分かる!」
思わず胸ぐらを掴んでしまった。入野井が息苦しそうに呻いた。
「会社に就職するのは生活のため。お金を稼ぐために働くんなら、次の会社が決まるまで稼げばいいじゃん?」
「はぁ?」
こいつは、一体何を言ってる?
「当面の資金が要るなら、売ればいい」
「売る?」
「だから、それを」
入野井は目線を落とした。俺の右手を見ていた。
マイクロSDカードを。
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