アーカイブ5:会員制個室の焼き肉会(2)
弾丸スピーチだ。
入野井悠介のことを「悠くん」と呼んでいた。あの口振りは明らかに社員としての感想ではない。少し世間話をするつもりで話を振っただけなのに、あれほど熱く語るとは思わなかった。
「阿瀬さん。もしかして入野井のファンだったりするんですか?」
物凄い勢いで振り向かれた。
それこそ効果音――ガバッ!――みたいな、文字が彼女の背景に浮かぶくらいには分かりやすい反応だったかもしれない。
「もしかして悠くんのこと興味ある?」
聞いているのは、こちら側なのに質問で返されてしまった。阿瀬の脳内で、どうしたら俺がアイドルに興味を持って尋ねたみたいな誤変換ができるのだろうか。
もちろん俺の答えは、まったく興味はない。だが働き始めて一ヶ月も経っていない俺が、果たして部内のキャリアウーマンに否定的意見を言えるだろうか。
「さっき宇津根さんとデューヴのチャンネルページでの出し方とか見せ方について話をしたんすよ。アイドルは正直良く分からなくて、広告塔の素材として使うのも、どうかなって反論しちゃって」
なんとか上手く遠回しに交わせたか。阿瀬は、うんうんと頷いてくれた。
「なるほどね。無料で見れるコンテンツに広告塔を、やたらと使っても加入者を増やすのに有りか無しかって言ったら微妙かもね。というか、デューヴで広告塔の素材を使うのは、結構制限があるかも」
「そうなんですか?」
「そうよ。ウチは会員様専用の動画配信専用ページがあるしね。何か企画とか映像配信系は配信事業部が全部利用権限を握ってるし、先行で撮影も入ってるわよ。色んなスポーツチャンネルがあるから、加入申し込みから映像が見れるようになるまでの過程を、悠くんを使って撮影するの。もちろん、そのとき見れるスポーツ映像は、田野家選手の映るラグビー試合になるけどね。コマーシャル映像十五秒と六十秒ロングバージョンは、デューヴでも使わせてもらえると思うけど、撮影風景や楽屋映像は会員様専用の方で流すから」
内線が入った。
阿瀬は直ぐ通話を終えると、椅子から立ち上がり、ホワイトボードに近寄った。
――二十階 Mtg ――と、書き込む。
「今から打ち合わせですか?」
「悠くんの事務所広報のスタッフさんとマネージャーさんが、スケジュールで再確認したいことがあるんですって。ちょっと行ってくるわね」
「いってらっしゃい」
「あ、そうそう。デューヴ用でも、何か活動できるかどうか、チラッと向こうのスタッフさんに聞いてみるわね。でも期待しないでよ?」
いや別に期待はしてない。
「はぁ。ありがとうございます」
「それじゃ。徳最くん。あとよろしくね。あ、お疲れさまです。チーフ!」
俺の頭を飛び越えて、阿瀬が労いの言葉を掛けた。
振り返ると「お疲れさま」とチーフの尾野崇宏が穏やかな声で部内に戻ってきた。入れ違いに阿瀬が出て行った。
いつ見ても思うが、尾野は物凄く背が高くて体もデカい。俺の兄貴と良い勝負をしそうだ。流石、八王子大学の元ラグビーのスター選手である。顔の中のパーツも一つ一つ大きくて、ハッキリとした目鼻立ち。毎日筋トレを欠かさずやっていそうな太い足や腕は俺の倍以上ある。
「あれ。阿瀬さん。ミーティング?」
ホワイトボードに近寄った尾野は、自分のネームプレートの横に書かれた内容を、サッと消した。
「なんか事務所の広報と入野井のマネージャーの人に呼ばれて。スケジュールの再確認で商談ブースにすっ飛んで行きましたよ」
デューヴ用に企画の有無も尋ねるらしいが、そんなのはどうでもいいので説明は省く。
「あー、そうなんだ」
尾野は、クスクス笑いながら席に着いた。
「尾野さん?」
「いや、阿瀬さん。今人生で一番楽しいだろうなぁと思って」
「はぁ。なんか入野井のファンみたいですね」
「ファンどころじゃないよ。彼女、ファンクラブ会員入ってるからね。しかも入野井くんが、小学生ときに事務所に入ってジュニア時代からのガチガチのファンだからね。先月、新年会をしたとき、いつか一緒に仕事が出来たら良いんですけどねぇって本音話してたし」
おいおい。マジもんのガチ勢なのかよ。
「そうだったんすか。でも、なんか普段アイドルを追っかけしてるようには全然見えなかったから意外っすね。普通、写真とかバッチとかキーホルダーとか、アイドルファンなら絶対持ってるじゃないすか。入野井のグッズ系持ってるの見たことないから」
「え!」
戸惑うような尾野の驚く声が上がった。
「え。俺、なんか可笑しなこと言いました?」
尾野は、吹き出すように笑った。
「阿瀬さん。普段からファンであることも、ずっと主張してるよ。ほら。阿瀬さんの机をよく見てご覧。いろいろと妖精っぽいキャラクターが沢山あるだろう?」
確かによく見れば、阿瀬の机上には、滴に手足と羽根の生えた妖精っぽいキャラクターが所狭しに置かれている。ペン立て、ペンシル、下敷き、クリアホルダー、ノートなど。以前、引き出しを阿瀬が開けたときも、ハサミ、定規、のり、ホッチギスの文房具類に至るまで、妖精のキャラクターがあしらわれていた。
机を囲む衝立にも、幾つかのキーホルダーが、ぶら下がっている。滴の妖精が戦国時代風の鎧を着ている姿に、妖精がドレスアップした可愛らしい姿や、アメリカンフットボールのスポーティな姿をしたキーホルダー類だ。
「何かノベルティ関係の担当で、グッズを沢山持ってるんだと思ってましたけど、まさか全部これ入野井の関連グッズなんすか?」
尾野は深く頷いた。
「そうだよ。これ全部ファンクラブ会員だけが買えるグッズなんだって。なんでも入野井くんが高校生のときだったかな。アニメの主演で吹き替えを初めて担当したときに、テレビ番組の収録でアニメーターの職場見学をしたらしい。そのときマスコット作りをしてみようというミニ企画があって、それで入野井くんがデザインしたものが、その滴ちゃんっていうマスコット。そのキーホルダーは、一個千五百円するらしいよ。ここだけの話」
衝立にはキーホルダーが三つ分――四千五百円が、ぶら下がっているということか。
尾野は更に指摘する。
「中でもキーホルダーは、数量限定販売みたいでね。今はプレミアが付いていて、一体あたり数万くらいはするらしい。でも文房具類のカラーバリエーションは当時しか入手できないものもあったみたいで、今は売ってないんだって。阿瀬さんの机にあるやつ全部」
机周辺のグッズだけで総額いくらするんだか。
「やばすぎ」
「それはそうと今日はもう作業すべて終わったのかな?」
「終わりました。まだ少し時間はありますが、何か他に作業するものはありますか?」
尾野は、うーんと天井を見上げて暫し唸ったが、首を横に振った。
「いやないかな。電話番は良いから、もう上がって良いよ」
「了解です。あ、メディコンの織田が内定貰った話ですけど、何でしたっけ。何かに載るんですよね?」
一昨日、『織田くんに内定出た話、あの斬新な提案聞いたか?』と、尾野が営業部の同期に話しかけていた。二人とも、すぐ会議に行ってしまい俺は内定の合否しか聞いてない。
「え、ああ。彼の話は社内報に載るよ。印刷所からの納品は来週になるから楽しみにしてて」
いやいや。今知りたいのだが。
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