アーカイブ3:正社員になりたい(3)


 スパイラルビルの玄関をくぐろうとしたときだ。入り口付近の警備員に呼び止められた。


「社員証を見せてください」


 俺はまだインターン生だ。正式な社員証は正社員にしか与えられていない。


「あの、入館証でも良いですか?」


 ジャケットの内側のポケットから入館証を出した。黄色いテープで〈インターン用〉とプリントされている。俺が見せた入館証を警備員は一瞥すると「どうぞ」と言って、中に入れて貰えた。


 織田も同様に社員証はまだ手にしていないようで「内定貰ってるんスけど、いいスか?」と訊ねていた。


 俺が先に入れたのだから、わざわざ言わなくてもいいのに。


「なんで今日に限って提示を求めて来るんだろう?」


 頭を切り替えて、俺はなんとなく疑問を口にした。


「あれだろ?」


 織田は顎で方向を指した。その先を見やると、ビルの周囲に何人かの女性が立っていた。等間隔に、一人、三人、二人、五人…と、数十組近くの女性グループらが寒い中、スマホを持ちながら談笑をしている。


「え。なんかあったっけ?」


「今日の午後、二十四階の役員室で田野家たのいえ選手との調印式がある」


 そうだ。

 ラグビー界の新人スター選手、田野家宗輔たのいえそうすけが広告塔になるという話が二週間くらい前にアルファケーブルネットワークの公式HPでリリースを出したのだ。


「それで記念式典に昼前から、あんなに女性ファンが駆け付けてるのか!」


 ビルの外にいる女性の数は、今また更に増えた。ざっとみて、三、四十人は、いるだろうか。


「いや。あの女性たちは、田野家選手のファンだけじゃないね。もう一人、広告塔が決まってさ。今日やってくるんだって」


 初耳だ。そんなことは一切聞いてない。


「マジかよ。え、誰だろ。今の時期呼べる選手だとキャンプ中の野球選手か、それとも練習中のフィギュアスケートの選手、あるいはツールドフランス参加予定の選手とか?」


「いや違うよ。全然違う」


 織田は首を真横に振った。


「昨日、急遽内々に決まったみたいでさ。社内メールで回ってきたぜ。あ。そういや徳最、居なかったよな。インターンは月水金だっけ?」


「そうだけど。今月初旬から始めたばかりだし。とりま週三日だけの出勤にしてる」


 何故、織田は週三日だけの俺のインターン就業を把握してるのだろうか。それとも菓子配りして社内事情に詳しくなったのだろうか。今は無駄口になるので、とりあえず問うのはやめた。


「なぁ織田。急遽決まった起用の話。公式から追加リリース出してないみたいだけど、今準備してるのかな?」


 ポケットからスマホを取り出して、会社HPを閲覧した。ニュースのお知らせなるリリースページをみても、広告塔の追加起用なる話は見当たらなかった。


 番組編成部に所属してる身としては、新しい広告塔となった田野家選手については先週に取材を敢行した。次週には取材模様がαスポーツの無料放送枠で紹介されることが決まっている。一昨日、ニュースのお知らせページには、取材敢行の放送日を告知済み。


 追加で決まった話ならば、後日追加取材も行われる筈。内々の話でも最低数日前くらいの段階で広報部から番組編成部宛に連絡が来てもおかしくないのだ。


「追加リリースなんてないよ」

「マジ!」


 俺はスマホから視線を引き上げて織田を見た。窓の外を見ていた織田はくるりと向きを変えて、エレベーターに向かった。


「なぁ。それじゃあ社内メールで回ってきた追加の広告塔は誰なんだよ?」


 上向きの三角ボタンを織田は押してから、口元に手を添えた。

 公になってない話だからだろう。

 小声で耳打ちしてきた。


「シャノンボーイズの入野井悠介いりのいゆうすけ


 顔良し、スタイル良し、ダンス良し。

 全国の女性ファンを虜にする超大手芸能事務所シャノンボーイズ所属とは。男性タレントしか登録できない芸能事務所だ。


「おいおい。今までアスリート界隈のスター選手一本で起用してきたじゃん。どうして、アイドル起用なんだよ?」


「徳最ぉ。相手は、ただのアイドルじゃない。国民的アイドルだ。ラグビーのスター選手とは比較にもならないぜ」


「だからって!」


「知名度抜群の国民的アイドル様を起用するってのはな、拡散力が違うんだって」


「拡散力…」


「来年ラグビーのワールドカップは開催国が日本になるだろ? それと再来年にはオリンピックがある。スポーツ界隈をより盛り上げるためにコマーシャルからドラマに映画が先行決まってるんだってさ。当然、今年からプロモーションも力を入れる。若い女性にも注目してもらいたい。だからシャノンボーイズの人気アイドルを起用して今日の調印式に田野家選手と出席させるんだってよ」


 ポーンとエレベーターが開いた。織田が先に乗り込んだので、俺もあとに続いた。

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