アーカイブ3:正社員になりたい(2)
「お・つ・か・れ!」
ぽんっと肩を叩かれ振り向いた。
「織田センパイじゃないすか」
「徳最ぉ。センパイ呼びは、やめてくれよ。俺のことは呼び捨てでいいぜ。一歳違いなだけだし?」
「はいはい。いつにも増して元気ですね」
「朝からお疲れ顔だな。どうした。仕事に不満でもあるのか?」
「別に。インターン始めて半月、仕事に不満はないけど、俺、未だに提案を何一つ出来てなくて」
「まだ一か月も経っていないじゃないか!」
「引き継ぎをするだけで一杯一杯。とても提案を考える余裕ないっすよ」
「ま。慣れるまでは難しいだろうな。めげるなって。頑張れよ!」
背中をパンパンと叩かれた。痛い。
「それより内定決まったって聞きましたよ? 凄いっすね。けど何でインターン就業をまだ続けているんすか?」
俺は勝者を細目で見上げた。
やはりイケメンは、それだけで評価も高く、ぬるっと決まるのだろうか。
「内定が決まっても遊んでなんていられないだろ。社内の人たちとの連携を日々築きあげていくことは部門間のチームワークがあってこそ。俺たちはさ、αスポーツのチャンネル加入者を日々増やす為に、ここに勤めてるんだぜ!」
織田は立ち止まり、下から見上げた物凄く高くそびえたスパイラルビルを眺めて「な!」と、再び俺の肩を叩いた。
うざいほど、爽やかな笑顔だ。
「わかってますよ。でも営業部だけでなく、全社員が加入者の提案提出を義務付けられてるじゃないすか。営業部だけに頼るんじゃなく、部門を超えて提案を行う。受け入れる風通しの良さを、アピールしているけど、結局その提出義務に合わなくて正社員を辞めるケースもままある。特にカスタマーの部門なんかは毎月何人か辞めてるらしいし」
俺は先月、藤原から受けた説明を聞いて、提案というものはインターン生だけが行う登竜門だと思っていた。それは誤った認識だった。
知らなかったのだ。大手の会社だからこそ安定してると思ったが、提案次第で昇給に開きができるなんて。
「確かに苦情係ってのは人員の入れ替わりが他の部門よりも激しいからな。カスタマーサービス部じゃあ仕方ないことさ。でも正社員は、最低、年一回の提出義務だけ。そんなに深刻に捉えなくても良いと思うぞ。考えようによっては正社員の方が楽なんだぜ?」
考えようによっては――だが、正社員で提案が通らなければ、当然査定にも響く。使えない社員だと見られたら居づらくなるだろう。
「それで今日もご出勤なのは、その手にしている紙袋で社員の方々を懐柔して味方を作るわけすか。えちれ?」
織田は手にした袋を持ち上げた。可愛らしい青い袋に入った紙袋には、ECHILEと書いてある。
「エシレだよ。エシレのクッキー。さりげなくお菓子を配りつつ気持ちよく仕事を進めるのも社会人としてのコミュニケーションの一つだからな」
織田は満面の笑みを浮かべた。
「ってことは、なにがしか仕事に失敗したとしても『あいつ使えます』みたいな好印象を予め持ってもらえたら、正社員を続けられるってことっすね」
織田は、首を縦にこくこくと振った。
「そうそう。新人のときは特に媚び売っとけ。ちなみにこれは、
うざっ。
いらん情報である。聞いてもないのに勧めてこないでくれ。
「はぁ。美味しそうですね」
「フランス産エシレのバターを使った相当に美味いパティスリー店だぞ! 徳最も後で食うか?」
毎回会うたびに何か紙袋を持参しているから気にはなっていた。だが社内で見かけるたびに菓子を配りながら「お疲れーす!」と、織田は声を掛けていた。
インターン生も、そこまでしなくてはいけないのかと思うと俺は気が滅入るのだが、そもそも内定を貰えたのは、その効果のお陰もあるのだろうか。
「いや俺はいいよ。参考までに聞くけど、それいくらだったの?」
「あ。これ?」
織田はジャケットの内側から財布を取り出した。黒い革財布から紙を取り出して、目を落とす。
「えっと。三千八百円」
「高っっっ!」
社員の懐柔費用にしては高すぎだろ!
俺の心を読んだのか、織田は吹き出すように笑い「先行投資だよ!」と背中を叩かれた。
痛い。こいつの叩き加減は容赦が無い。
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