アーカイブ1:兄貴のこと(2)


 そう。

 これが最後の違い。

 趣味の違いだ。

 兄貴の趣味は、ゲームを極めること。


 小学生の頃〈レッツ、ゴーカート!〉というレーシング系のテレビゲームが流行っていた。兄貴はランキングの上位者だった。


 十台のゴーカートが並ぶテレビゲーム画面の中で、兄貴は毎回トップでゴールする。二位との差を一分以上もの大差を付けて、爆速で走り抜けていくプロ級のゲームセンスを発揮していた。


 俺はゲームでさえも兄貴に一度も勝ったことはなかった。


「宇宙。ムダなことはよせ」

「宇宙。俺に勝てると思ってるのか?」

「宇宙。俺が風邪でも万一など来ないぞ?」


 そんなことを言われても、俺はいつか見返してやろうと、やり込んだ時期もあった。


 ある日だ。


 教室で、強すぎる兄貴のことを友達に愚痴っていたときだ。もうすぐ誕生日を迎えるから、その兄貴を連れてきてよ、とリクエストをされた。なんでも誕生日会で、ゲーム大会を一緒に開くらしい。


 もちろん友達もゴーカートのゲームは、凄く上手かった。兄貴と対戦したら、どっちが勝つだろうと思ったことはある。でも六つも歳が離れているのだから、兄貴が俺の友達の誕生日会など興味があるのか疑問だった。


 しかし兄貴は、ゲーム大会だけには参加しても良いと話したから、じゃあ日曜の午後三時に友達の家に来てくれと頼んだ。


 俺は友達に来ると伝えて、当日を迎えた。


 クラスメート十人と、友達の兄貴も一緒に参加した。大人数でゴーカートをやって滅茶苦茶楽しかった。そんな中、三時きっかりに友達の家にやってきた兄貴は、マイコントローラーを持参していた。


 青くてスケルトンのコントローラーは、兄貴のお気に入り。


 友達は言った。


「あ。もし万が一にでも僕が買ったら、それ頂戴よ!」


 誕生日プレゼントとして欲しいと言い出した友達に、兄貴は「良いよ」と言った。


 実現することのない有り得ない約束だ。


 俺は当然、友達を応援した。

 クラスメートたちも、友達の兄貴も。

 誰も俺の兄貴を応援する人はいなかった。


〈レッツ、ゴーカート!〉のレースが始まって、二十分が経過したときだ。


 部屋中に歓声が上がって、とにかく盛り上がった。俺は目の前のテレビ画面から釘付けだった。熱が入って、興奮して「すげ――――――――――!」と大声を上げた。


 みんな大声を上げていた。

 ただ一人を除いては。


 青いスケルトンのコントローラーを手にした友達は、嬉しそうに両手で持ち上げて天に掲げていた。

 早々に部屋から退場した兄貴を見送って、俺は友達にハイタッチをした。


 それからだ。

 兄貴は、以降、ゲームをしなくなった。


 俺が対戦して欲しいと頼んでも「お前に付き合ってる暇はない」と言って遊ぶことはなくなった。


 よほど悔しかったのだと俺は思った。


 以後、兄貴は剣道に没頭していたが高校からは柔道を始めた。なんでも剣道の帰り道に、不良のグループに捕まってボコボコになって帰ってきたことがあった。剣道は一対一なら勝てるけど、大人数が相手では不利だと感じたらしい。


 更に数年後、俺が高校二年のときだ。

 スポーツの名門、八王子大学を卒業したばかりの兄貴は警察学校への入学が決まった。


「やっぱり兄貴がその方向に進むのは、不良グループを取り締まるのが目的で?」


 そう弄ってやった。


「馬鹿や阿保は、いつの時代もいなくならないからな。お前がそうなっても容赦はしない」


 まったく可愛くない兄貴である。


「そうですか。では頑張ってください。お達者で」


 玄関先で、掌をヒラヒラさせて別れを告げたときだ。


 兄貴が脇に抱えていた包みを俺に向けて寄越した。


「何これ?」


 よく見たら、その包みは兄貴が受験勉強で赤本に着けていた革の本カバーだった。


「えー。赤本のおさがり、いらねぇよ」


 もはや、これはゴミだろう。


「使わないなら捨てろ」


 兄貴は一言述べると出て行った。


 扉が、ゆっくりと閉まって、俺は革の本カバーの表紙を巡った。


 八王子大学の赤本は、新品だった。


 どこにも走り書きのような箇所はなく、兄貴のお古ではなかったのだ。


 もう兄貴との比較に悩む日々はない。それなのに、その本を結局捨てることは出来なかった。


 仕方なくだ。

 仕方なく、俺は兄貴から餞別せんべつに貰った赤本を使うことにした。たとえ同じ大学に進んだところで、卒業済みの兄貴と会うことはない。


 これが俺と違いすぎる「兄貴のこと」だ。


 警察学校を出たあと、徳最大地とくもだいち――こと、俺の兄貴は、門前仲町もんぜんなかまちで交番勤務を経て、今は深河ふかがわ警察署の刑事課にいる。


 会いに行こうとは、まったく思わない――。

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