すべては配信外の出来事です。

宝城亘

アーカイブ1:兄貴のこと(1)


 よく人に聞かれる。

 ――兄弟いるの? て。

 いるけどさ。兄貴が一人。


「いる」と答えると、どんな兄貴なのかを説明しなくちゃいけない。出来ることなら、兄貴のことを毎度毎度、説明するのは省きたい。


 説明するたびに思うんだ。

 俺と、全然違うからだ。


 顔も違うし。身長も違うし。性格も違うし。勉強のレベルも違う。体力も、服のセンスも、食べ物の嗜好も、趣味も、なにもかも全然違うんだ。


 まず、顔だ。

 兄貴はイケメンにあたるのだろう。チョコレートを貰う数は、袋いっぱいに持ち帰るというのが毎年のことだった。俺は数個というくらいで、本当に比べるまでもなく二月になるたびに俺は苛々したし、モヤモヤした。


 次に身長だ。

 小学校のクラブ活動のとき、俺はサッカー部に入っていた。頑張ってレギュラーを目指すためにも沢山牛乳を飲んだし好き嫌いも頑張って食べた。だが俺が中学二年のときだ。

 兄貴が二十歳で、身長は百七十八。俺は百六十八。十センチもの開きが出来て、十四のときの俺はもう追い越せないと思い諦めた。


 牛乳飲めば身長が伸びるって言った奴が一番許せないけどな。成長痛というのは、俺には殆ど訪れなかった。


 そして違いすぎる性格と勉強レベルの違いだ。


「お兄ちゃん。宇宙そらの宿題見てあげて」


 小学校から帰宅したある日、母さんがこの言葉を言うとき、最も一番嫌な時間だった。


「おい。これ解けないのか?」


 兄貴は秀才だった。だから馬鹿にしたような言い方が、本当に嫌で仕方なかった。


「覚えて、解く。これくらい簡単だろ?」


 俺は算数も国語も理科も社会も、すべての教科で五十点以上を取れない出来損ないだった。


 点数が悪くて、通信簿に溜め息をつく母さんは、兄貴が家庭教師になって、あれこれ指導するように促すから、小学校時代の俺にとって兄貴は最悪な教師だった。


「やだ。やりたくない!」


 兄貴の教えを学びたくなくて、小四から加入できるクラブ活動のサッカーに俺は没頭するか、あとは友達の家に遊びに行くのが常になった。


 逃げてちゃダメだ。そんなことは分かっている。けれど兄貴は、上から目線な態度はいつものこと。俺は兄貴と距離を置いていた。


 それでも何もかもを避けることは不可能で、現実を直視することになった。


 体力テストだ。


 小学校から高校までの俺は、走り、瞬発能力、握力など、スポーツテストに関わる全種目において全国平均値よりも高めな数値を取っていた。学校の体育の授業は好きだったし、体育の成績だけは唯一悪くなかった。けれど、体力テストも兄貴の方が遥かに高かったのだ。


 小二からは同じ小学校に、兄貴は通わない。俺が中学に上がれば、兄貴は高校。だから学校生活は、気楽には過ごせたけれど通信簿や体力テストの紙を母さんが取っておくから、大掃除するときなんかに俺は家で見つけて兄貴との体力との違いに愕然とした。


 絶望的だったのは服のセンスだ。

 兄貴が着なくなった服は、母さんが保管する。言うまでもなく、兄貴のおさがりは、大体六年後には俺の服となる。


 もう鏡の前で嫌になるのだが、マジで兄貴のセンスは最悪なのだ。服に頓着しない兄貴は、何でも適当に選んでしまう。だから俺が十二歳のときだ。ヨットのイラストがプリントされた兄貴のTシャツは、低学年が着る服にしか見えなかった。


 あまりにもダサい服に嫌気がさした俺は、お年玉を使って服を買った。

 服ばかりは、自分で選んだ物を着たい。


 そして食べ物だ。

 兄貴は辛党。俺は甘党。

 兄貴は目玉焼き派。俺はオムレツ派。

 兄貴はパン派。俺は米派。

 兄貴は蕎麦派。俺はラーメン派。

 兄貴はすき焼き派。俺は焼き肉派。


 ちなみに食べ方も異なる。

 兄貴は野菜から食べるが、俺は肉とかメインを先に食べる。兄貴は途中から米を食べるが、最後に味噌汁を啜るのだ。


 味噌汁を最後に食べるとか意味が分からないだろう。だが実は兄貴は猫舌なのだ。俺は猫舌ではない。猫舌な所為で食事の時間は少し遅れてから合流して、兄貴はぬるい食事をスタートさせる。じじいかよ。


 これほどに何もかもが違う。

 あまりにも違いすぎるから、俺たちは腹違いか、もしくは、どちらかが養子なんじゃないかって本気で思ったことがある。


 ある日、母さんに訊ねたら「あんた何馬鹿なこと言ってんの!」って滅茶苦茶怒られた。


 父さんは呆れて「大地とお前は、母さんから生まれた兄弟だぞ。ま。大地はお母さん似だけど、宇宙、お前は父さん似だな」と言った。


 それでも信じられない俺に、母さんはずっと保管していた母子手帳と小さい頃からのアルバムを出して見せてきた。


 俺には既に小さかったときの記憶なんてほぼない。赤子の頃なんて、一ミクロンも覚えてない。けれど、六つ離れた兄貴とのツーショット写真は、アルバムいっぱいに収まっていた。


 一ページ目を開くと、目に飛び込んで来たのは、六歳の兄貴がベッドの上で俺を抱いている母さんを見ている写真だった。何枚もスヤスヤと眠る俺の顔のアップ写真が続いたけれど、アルバムをめくっていくと、七歳の兄貴が、一歳の俺にスプーンで食べさせている写真があった。


 確かに可愛らしいように見えた。だが同時に、こそばゆさを感じて数ページ飛ばして捲ると、今度は八歳の誕生日を迎えた兄貴がローソクの火を吹き消す様子を見つめている二歳の俺だった。


 兄貴が九歳になった写真には、プラモデルを組み立てていて、机の反対側で三歳の俺は取り扱い説明書をじっと見ている写真だった。文字なんて読めないだろうに。


 次のページを捲ると、十歳の兄貴は幼稚園に入園用の青い洋服を四歳の俺に着せている写真だった。


 アルバムを閉じて、俺はふと思った。


 兄貴が俺の面倒を、よく見ていたのは、どれも小さかった頃なのだと。


 だってそうだ。


 小学校前の記憶は、殆ど覚えてない。俺が忘れているだけで、遊び相手になってくれたのかもしれないが、覚えてないものは仕方ないだろう。だから俺の頭の中に残っている記憶によれば兄貴が遊び相手になってくれたのは数えるほどしかない。


 それも小学校の低学年、小学一年生の半年間だけ。


 あの頃は、よく兄貴と遊んだ。いや正しくは兄貴の暇つぶしに無理やり遊び相手になっていた、という言い方が正確だろう。


 ゲームの対戦だ。

 最初は、楽しかったんだけどな。

 俺は、ついて行けなくなった。


 兄貴が強すぎたんだ。

 凄まじいほどの強さだった。

 最強の十二歳だったと言っていい。


 兄貴の「ゲームセンス」は、近所でも噂になるくらい上手すぎる腕前だったのだ。



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