第27話 13 安男
唯の話をどこまで信じればいい。考える時間が欲しい。
冷たい窓にもたれかかった。夜の街が外を流れていく。車内は沈黙に包まれていた。
唯に質問をすれば答えが返ってくるだろう。しかしそれを素直に信じる気にもならなかった。
無意識にサイドミラーで自分の目の色を確かめていた。安男は慌てて目を逸らした。見慣れたはずの街の灯りが黄色く不気味に笑っているように見えた。
確実な事は何だろう。どれも伝聞ばかりだ。
右手で額を押さえた。どうにも頭が働かなかった。幸の母、茉希名の義父。どちらも黄色い目を見たと証言している。これを信じなければ始まらないと思った。
「唯、黄色い目って治るのか?」
「んー、時間が経てば黒には戻るよ。でも親に触れればまた黄色くなる。根本的には治らない」
仮にそれが本当だとして、唯は何故茉希名さんを確保したがる。さっさと次に進ませない理由は。幸くんは母親を殺す前に自殺を選んだ。茉希名さんも同じ事が起こると考えているのか。それとも兄の邪魔が入らないように準備でもしているのか。
「茉希名さんは何処に居るんだ?」
「私の別荘。ずっと二人で遊んでた」
「……どうしてすぐに親を殺させない?」
「まず倫理観を崩さないと。自殺されちゃ困る」
「おい、何もしてないって言っただろ」
「そうだっけ? そんな怒らないでよ。安男らしくないよ」
サイドミラーを見つめる。疲れた顔の自分が自分を睨み付けていた。
街の灯りに照らされた唯の顔を見た。いつものような笑みはなく、どこか緊張しているように見えた。
いつもみたいに笑ってくれよ。そうすれば嫌いになれるから。
まだ情が残っている自分が厭わしい。頭の狂った異常者だと分かればさっさと切り捨てられた。だが今の唯は。
ワゴン車はやがて安男が知らない山道を登っていた。安男は強い眠気を感じながらも来た道を忘れないよう窓の外を睨み続けていた。
「着いたよ」
深い森を行き、変わり映えのしない景色が続いた後、小さな家が見えた。可愛らしいログハウスが草むらの中にひっそりと建てられていた。窓から光が漏れている。
「あれ、おかしいな」
エンジンを止めた唯が歩いてきて、玄関の扉の前で頭を掻いた。
「うっわ、まさか」
唯は鍵を開ける様子も無く扉を開いた。質素な内装の一部が安男の目に入った。唯の後を追って家に入った。
最低限の家具があるだけだった。狭い家の中は歩かずとも全貌が見渡せる。茉希名は居ない。
「あー、バレちゃったか」
唯はスマートフォンを取り出して操作を始めた。それを尻目に安男は目に付いた扉を開けて中を確認した。トイレとバスルームがあるだけで茉希名は居なかった。
振り返ると、床に将棋盤が置かれている事に気付いた。マス上に駒が不規則に並んでおり、対局の途中だったように見える。唯が将棋を好きなどと安男は聞いたことがなかった。
こんなことをしてまで、茉希名さんに。
身体から力が抜けていくのが分かった。勢いよく尻もちをついた。木製の床が意外にも暖かく安男を迎えた。
「スマホなんか弄って何になる」
「え? うーんと、GPSでも使えないかなって」
「それで、どうなんだ?」
「うん。何とかなりそう。でも安男、何か食べたら? イライラしてるよ」
「そんな時間無いだろ。早く追わないと逃げちまうだろうが!」
「う、そうだけど……。分かった、すぐ行こう」
「……トイレに行く。ちょっと待ってろ」
苛ついている自覚はあった。疲労と空腹、確かに感じていた。
さすがに言い過ぎたか。それに軽い物なら車でも食べられる。謝った方がいいな。
手を洗ったあとで水を掬い、疲れた顔を浸した。眉間の皺が少し取れた気がした。
何を怒ってる安男。お前はカウンセラーだろ。
鏡の前で何度も頷く。少しだけ頬を緩めた。
その時耳に入った。家の外、金属が震える重い音。エンジン音だ。
玄関まで走っていき取っ手を掴んだ。固定されていて微塵も動かない。厚い木の扉を何度も蹴った。足の裏が痛むだけで一向に開く気配はなかった。
「があああああああああああああ!」
自分の情けなさ、愚かさに震えた。喉が限界を迎えて声が掠れる。それでも息が続く限り安男は叫び続けた。
エンジン音が遠くへ去っていくのが聞こえる。拳で扉を叩くも自分を傷付けるばかりだった。
弱々しく何度も叩くと扉に縋り付くように崩れ落ちた。安男は赤子のように丸まり、赤子のように泣いた。
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