第22話 8 安男

 一体、何が起きてるんだ。

 水曜日から三日、茉希名が学校に来ていなかった。両親も居場所を知らないという。更にそれと同じタイミングで唯が司書の仕事を辞めていた。

 安男には一言、仕事を辞めるとだけ連絡があり、その後は何を送っても返信が来なかった。すでに土曜日になっていた。


 二日前、幸の友人だったサッカー部の生徒に話を聞くことが出来た。生徒の昼休みに他の高校から車を飛ばし光説高校へ話を聞きに行った。話した生徒はグループの中でも幸とは特に仲が良かったらしかった。その生徒の悲しみを滲ませた表情が安男の脳裏に浮かんだ。


「俺、幸が女の人を犯したって知ってたんです。でも相手が誰かまでは教えてくれなかった。ただ心当たりはあります。幸は部活を引退してから、よく図書館に行ってたんです。でも勉強したりとか本を読んだりとかそういう感じは無くて。誰かに会いに行ってたんじゃないかと思うんです。……先生、教えてくれませんか? 幸はどうして自殺したんでしょう。どうして死ななきゃならなかったんですか? 俺はどうすれば――」


 必死に訴える生徒に対して安男は何も答えられなかった。

 思い返すだけで胸が締め付けられて息が苦しくなった。


 唯、お前は何を知ってるんだ。

 安男は幸の母親と茉希名一家が住んでいる団地のマンションを見上げた。

 学校司書は常勤としては唯しか居なかった。幸が他の女子生徒と逢い引きをしていた可能性もある。しかし安男は、今奇妙な行動を取っている唯がここで浮上してきたことに胸騒ぎを覚えていた。唯に連絡が取れない今、手がかりがあるとすればここ以外に無いと思った。

 平日は他の学校でのカウンセリングがあり、自由な時間はほとんど無かった。生徒の昼休みに抜け出すのでさえ、必死に頼み込んでやっと許された形だ。


 絶対に聞き出してやる。幸くんの事も、茉希名さんの事も。

 頭が熱くなっていることを自覚しながらも気を鎮めようとはしなかった。熱い心こそが人を良い方向へ動かすのだと安男は信じていた。長い階段を昇り五階へ到着する。荒くなった呼吸も戻さぬままに、韮崎にらさき家のインターホンを鳴らした。


 近づいてくる足音が聞こえ、すぐに巴恵が顔を出した。

 巴恵の表情は以前会った時よりは顔色が良いように見えた。


「すみませんまた突然に。入ってもよろしいでしょうか」


「はい。どうぞ」


 韮崎家は相変わらず玄関から線香の香りが漂っている。安男は部屋に入り幸に線香をあげるとすぐに巴恵に向き直った。巴恵は顔を強張らせて安男の顔を見つめる。

 巴恵には水曜日に約束の電話を入れていたが、やんわりと断りたいような反応だった。巴恵はいよいよ秘密が暴かれると思って警戒しているのだと感じていた。半ば強引に約束を取り付け、いま巴恵の目の前に座っていた。


「もう察していらっしゃるかもしれませんね。今日はどうしても幸くんのお相手について聞きたいと思って参りました」


 巴恵が唾を飲む音が聞こえた。穏やかに煙を放つ線香とは逆に、緊迫した空気が二人の間を流れた。


「お母様からお話ししてもらうつもりはありません。ただ僕がお相手本人の写真を出したならば、縦に頷いてはもらえませんか」


 巴恵は困惑した表情で話を聞いている。安男は熱のこもった視線でじっとその顔を見つめていた。返事も待たぬうちに端末の準備を進める。もはや気を遣っている余裕も無かった。


「まずは一人目。この生徒はいかがですか」


 茉希名の写真を表示させて巴恵に見せた。巴恵は何か引っかかりがあるようだったが首を横に振った。


「そうですか。それじゃあこの生徒はどうでしょう」


 全く関係が無いだろう親戚の写真を見せた。今度はすぐに否定された。ここまでは予想通りだった。


「あれ、アテが外れた。困ったな」


 安男は昂ぶる鼓動を感じながら演技した。用が済んだかのように乱雑にスマートフォンを前に置いた。そこには待ち受け画面が表示されている。


「ひっ」


 何気なく画面を見た巴恵が悲鳴を上げた。安男と唯が二人並んでピースサインを作っていた。


「やっぱり、そうだったんですね。信じたくはありませんでした。その女性は僕の交際相手なんです」


 巴恵は口を開けて動かしながらも言葉を失っている。安男自身、これ以上何を話して良いか分からなかった。


 ――仏壇の線香が燃え尽きる頃、観念したような顔で巴恵が口を開いた。


「……阿畑貴音という偽物を作る提案をしたのは、幸くんみたいでした。どうしてもカウンセリングを受けたくて、その後で相手の事を話すのはまずいと気付いたみたいです。その方はそれに合わせてくれたんです。本当は全部秘密にしたかったでしょうね」


「そう、ですか。すっかり騙されてしまいました。他には何かご存知ですか」


「いえ、私も知っていることはほとんどありません。以前に神成先生にお話しした通りです。ただ、その方に会ったとき私が思ったのは、変な人だなってことでした。表情が読み取れないんです。怒っているような、喜んでいるような。少し不気味な雰囲気でした。幸くんのせいでおかしくなったのかなって、私ショックで」


 巴恵は目をつぶり、身体を震わせた。それを気の毒そうに眺めながらも安男は首を傾げた。唯の朗らかな印象とは異なっていた。


「例の包丁について教えていただけますか。ひょっとして唯から貰ったものだったりしませんか」


「唯さん、と言うんですね。いいえ全然。あれは、いつだったかな。前の物が欠けちゃって近くのスーパーで適当に買った物です。唯さんと関係は無いと思います」


「そうですか。実は今、事件の現場を目撃した少女と唯が行方不明になっています。何かご存知の事はありませんか」


「え? ……いいえ。本当に何も知りません。息子に誓って」


 巴恵の目はこれまでで一番の力強いものだった。安男はこれ以上巴恵から聞けることは無いと思った。

 立ち上がる安男に巴恵が深く頭を下げた。


「うちの息子が、申し訳ありませんでした」


 骨張ったうなじと目が合った。安男はそれを直視できずに玄関に顔を向けた。


「唯の事でしたら、僕に謝る必要はありません。その時、僕はまだ唯と付き合ってはいませんでした。話したこともあまり無かった」


 巴恵が顔を上げた。


「唯が告白をしてきたのは幸くんが亡くなった日です。に、その夜に告白してきたんです。僕は幸くんの死を知らなかった」


 巴恵の顔は見られなかった。ただ短く息を吸い込む音だけが聞こえた。

 頭痛がする。身体が重い。でも、次に行かなくちゃ。

 途端に悲鳴を上げ始めた身体を引きずり、韮崎家を後にした。

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