第18話 4 安男

「はい、どうぞ」


「やっほー安男くん。元気してた?」


「二本松さん。いらっしゃい。おかげさまで元気だよ」


 いかにも元気いっぱいな要に苦笑しつつソファに座る。昨日に茉希名が自分からカウンセリングに来ていたことで、安男は実際にかなり安心していた。


「今日は別に用事もないんだけどね。大丈夫だった?」


「予約も無いから大丈夫だよ。それにこうやって生徒と話すことが本業だからね。来てくれて嬉しいよ」


「あはは。あ、烏龍茶もらえます? あとチョコも」


「おおせのままに」


 安男は要の言う通りに準備をする。実際、面接を受けた生徒が特に用事も無く訪れるのは嬉しかった。決して友人関係になってはいけないが、親しみをもってもらうのは悪いことではない。それで隠れた悩みを話してもらえることも多い。


「それにしても、今日は特に元気だね。何かいいことあった?」


「あ、分かります? あたしじゃなくて茉希名なんですけど、彼女が出来て、いや恋人が。ってこれ話して大丈夫かな」


「えーと、少し考えてから話してもいいよ。待ってるから」


 本人の事に限らず秘密を打ち明けられることは多い。聞かなかった振りをしつつ、しっかりと頭に入れておく。茉希名のことなら尚更だった。


「まあとにかく、いいことあったんです。それであたしも彼氏ほしいなーって」


「なるほどね。二本松さんはどういう人が好みなのかな」


「えと、背が高くて、優しくて、かっこいい人」


「ふふ。じゃあ僕は駄目そうだね。ギリギリ二番目に当てはまるぐらいかな」


「おー、立候補してもいいですよ? 今はあたしガラ空きなので」


「またの機会にしておくよ。すぐ混み合うだろうから」


 にこやかに話しながらも安男は内心冷や冷やしていた。恋愛関係の話題は冗談に見せて本音を隠していることも多い。要がどうなのか、はっきりとは分からなかった。


「はいはいそうですか。それで、安男ちゃんは彼女いるの?」


「実はいるんだよね。ホントの事を言うと」


「あやっぱり? ちょっと頼りないけど割とイケてる方だもんね」


「はは。褒められたと思っておくよ」


 生徒に彼女の有無を聞かれることは少なくない。どう答えを返すべきか毎回悩ましかった。安男は今回、何気ない雑談の一つとして聞かれたように思った。


「――じゃあまたね。今度はもうちょっとビターなやつ用意しといて」


 嵐のように話したいことだけを話していき、要は相談室を去った。

 それが正しい形なのだが、安男はどこか疲れた気持ちになって深呼吸をした。


 結局、包丁のこと聞けなかったな。

 安男はソファに座ったまま、前日の茉希名との面接を思い出していた。

 茉希名は事前に話すことを考えていたようで、すらすらと父親の回想をしていた。途中から号泣していたが、あれは真っ直ぐ向き合ったからこそ流れた涙だろう。


 自責の念を感じているんだろうか。

 身近な人物が亡くなった場合、些細なことを悔やんで忘れられなくなることがある。茉希名は遺体を目撃こそしていないというが、全く話をしないまま別れることになったという。残された深い傷に茉希名が目を向けたことに、安男は心から敬意を持っていた。


 茉希名は以前よりずっと明るく、自分のことも話してくれるようになった。疑っていた虐待について触れることはできなかったが、それは面接を重ねるうちにおいおい話してくれればと思っていた。

 精神的に安定してきた茉希名に、幸が握っていた包丁について聞くことなど出来なかった。もし包丁を拾ったのが事実なら隠していることだろうし、それ自体が責めることになってしまう。


 それでも幸くんのお母さんは真相を知りたいはずだ。黄色の瞳は一体何だったのか。どうして自殺したのか。手がかりになる相手の女性を教えてくれないのなら、自分で探るまでだ。


 安男は相談室を出ると、表札を裏返して階段を昇った。


「ちょっといいかな。ここにサッカー部だった人は居る?」


 放課後の三年生の教室はがらりと物寂しい。一緒に勉強をしているらしい生徒が数人残っているだけだ。近くに居た女子生徒が席に座ったまま口を開いた。


「んー、今は居ないですね。放課後になったら皆すぐどこかに遊びに行くんで。何かありましたか?」


「いや、居ないならいいんだ。ありがとう」


 サッカー部だった幸は部活の仲間といつも一緒だったという。事件があってからは一緒に居ることも少なくなっていたと話していた。安男は交友関係を当たるにはその仲間たちに聞くのが一番だと思った。


 幸が在籍していたクラスを離れ、他の組も当たっていく。部活を引退し受験勉強をしているらしい生徒が居るものの、サッカー部だったという生徒は居ない。安男は亡くなった生徒について必要以上に触れて回りたくなかった。それ故に目的達成が遠のいていくことに、もどかしい思いをしていた。

 思い立ってすぐの、幸の友人を当たる作戦は結局空振りに終わった。放課後、特に用事が無い生徒はすぐに教室を離れる。当然の結果だった。


 仕方ない。明日の昼にでも車を回してまた来よう。悲しい事を思い出させるだろうけど。

 相談室に戻り、要と話したことをメモにする。要と話したにも関わらず内容は茉希名の事ばかりで、安男はくすりと微笑んだ。



*



「今日時間あるかな? 会えるなら迎えに行くよ」



 それだけの短文を送信するのに五分悩んだ。安男が唯に自分から誘いをかけるのは稀だった。会うときはいつも唯が自分から安男の家を訪れていた。


 要の話を聞いていたら、安男はふと唯に会いたくなった。あまり連絡がマメではない唯からはすぐ返信が来ないことは分かっていた。それでも端末を握り、何をするでもなく無意味に電源を点けては消す。


 安男に彼女ができるのは初めてではなかったが、特別に女性慣れしているわけではなかった。カウンセリングの際は役割に徹して話を引き出せば良いのだが、恋愛は違う。自分自身を曝け出すことがこんなにも恥ずかしく難しいことなのかと、安男はいつも苦心していた。


 ピロン。

 待ち焦がれた着信を確認する。送信者は母親だった。嬉しくはあるが肩透かしだったことは否めなかった。


「林檎たくさんもらったから持って行こうか?」


「それじゃお願い。今部屋は綺麗だから」


 すぐに返信をして端末を置く。もし唯と顔を合わせることになったらそれも良いと考えていた。

 二人並んだら美人姉妹に見えるかもな。少し気が早かったか。


 ピロン。


「一時間で着きます」


 操作もせずに確認すると、コーヒーを入れに席を立った。

 待ち受け画面の安男は唯と二人でピースサインをしていた。



*



「安男ちゃん、ご飯はもう食べたの?」


「まだだよ。外食行こうと思ってた」


「いっつもそれじゃないの。たまには自炊したら?」


「わざわざ自分で不味い物を作る意味が分かんない。母さんみたいに上手なら別だけど、プロに任せるのが安心でしょ」


「彼女さんは料理の方はどうなの? もう手料理とか食べた?」


「あー、あんまり得意ではないみたいだね。母さんが教えてやってよ」


「そうなのね。上手く教えられるかしら。割と適当だから」


 桂子は細かい所が埃だらけだと言って、結局部屋の掃除を始めた。安男はスマートフォンを片手にその様子を見ていた。何度も電源を点けて確認するも唯からの返信は無い。

 唯は気まぐれで、普段からいまいち何をして暮らしているのか分からない所があった。知っているのは読書が趣味ということぐらいだ。知識が豊富で、安男がつい専門的なことを話しても難無く会話についてきていた。


 きっと本にでも集中しているんだろう。できれば茉希名さんの事聞きたかったけど。

 茉希名はよく図書館に行っていると知ってはいたが、唯と交流があることは知らなかった。唯もその辺りの事は何も話さず、茉希名の面接の際にようやく気付いた。

 茉希名さんがカウンセリングを受けてるって、知らなかったんだろうな。

 賢い二人はきっと気が合うだろう。精神状態が上向きになっている今の茉希名を気にかけてくれればもっと良くなる。

 二人が睦まじく話すところを想像して安男は頬を緩めた。棚に雑巾がけをしていた桂子が道具の片付けを終え、ソファに座った。テレビを点けると口を開いた。


「安男ちゃん、今日はピザ頼んじゃいましょうか」


「え、結局そうなるの」


「主婦にはそういう時があるの。覚えておきなさい」


「了解。パソコンでメニュー見よっか」


 安男はデスクの上に置いていたノートパソコンを持ってきてソファに座った。二人並んで画面を覗く。桂子の髪から花のようないい香りが漂ってきた。安男は自分の中の敏感な部分が刺激されるのを感じた。


 宙ぶらりんになっていた桂子の手を握る。よく手入れされた滑らかな肌が心地よかった。


「何よ。欲求不満なの? 彼女と上手くいってない?」


「お父さんが厳しかったらしくて。婚前交渉は駄目なんだって」


「あらそう。言いつけを守るなんていい子じゃない。安男ちゃん、私とはもうしないって言わなかった?」


「言ったけど、母さん綺麗なんだもん」


「ありがと。血だらけでいいなら使わせてあげる」


「うわっ、ちょっと想像させないでよ。血が苦手なの知ってるでしょ」


「まだ苦手だったのね。ごめんごめん。だから今日そっちはできないの」


「もう、それで医学部諦めたんだから。治るもんじゃないって」


「そうだったわね。まあどっちにしてもピザ食べてからにしましょ。これなんてどう?」


 肩の触れあう距離で画面を二人覗き込む。安男の左手は、丁寧にネイルが施された右手と優しく繋がれていた。


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