第15話 1 茉希名
「いきなりで悪いけど、明日茉希名の家に行っちゃダメかな?」
唯の部屋から帰宅した土曜の夜、チャットアプリで唯から連絡があった。
唯さんも私みたいに寂しくなったのかな。
茉希名は唯の用事が何かは知らなかったが、ファッション誌を読みながら唯の事を考えている最中だった。
声を聞きたくなり、すぐ唯に電話をかける。
呼び出し音が鳴るもすぐに途切れた。少し待っていると、新しいメッセージが届いた。
「ごめん、今電話出れないんだ。後で折り返すね」
「分かりました。待ってます」
「うん。なるべく急ぐね。会いたいよ」
謎の絵文字が画面いっぱいに氾濫している。無作為に選んでいるようでいまいち感情が読み取れない。その不慣れな様子を見て茉希名は微笑んだ。
――茉希名の両親がリビングを離れてしばらくすると、唯から着信が届いた。
端末を胸に抱いて待っていた茉希名はすぐに電話を取った。
「もしもーし、待たせてごめんね」
「いえ、大丈夫です。もう用事は終わりましたか?」
「うん。飲み会終わったとこ。いま電話大丈夫だった?」
「全然大丈夫です。それで、明日はバスで来ますか?」
勝手に弾んでしまう声を努めて抑える。予定の話もそこそこに、二人で雑談に花を咲かせた。
*
「お邪魔しまーす」
最寄りのバス停から二人で歩き、団地のマンションに辿り着いた。時刻は十時頃だった。
唯はリビングを端から端まで歩き、きょろきょろと見回している。茉希名は自分のみっともない部分を見られているようで恥ずかしくなった。
「ふーん。中々イメージと違ったね」
「はっきり言ってボロっちいですよね。早く私の部屋に行きませんか?」
「えー、せっかく来たんだから見て回りたいな」
「見るって言っても、親の部屋ぐらいしか無いですけど」
「それでも。茉希名に関係あることは何でも知りたいの。場所だけ教えてくれればいいから」
茉希名は変に思いつつ、唯の冗談っぽい口調が可愛らしくて気に留めなかった。
大して広くもない家の中を案内する。名美の部屋、秋成の部屋、トイレとバスルームぐらいのものだった。
案外独占欲が強いのかな。
唯は茉希名の案内に対して、いちいち興味深そうに頷いている。両親の部屋のドアまでしげしげと眺めていた。
「そろそろいいですか。私の部屋行きましょう」
「そうだね。満足満足」
逆方向の茉希名の部屋へと二人で向かう。途中で冷蔵庫に寄り、緑茶のペットボトルを二本持ってきて部屋の机に置いた。
普段は他人を入れることのない茉希名の部屋には、学習机以外に置くべき場所が無かった。家が遠い要はこの部屋に来たことが無い。
「間取りなんか見て楽しかったですか? あんな奴らの部屋ぐらいしかないのに」
「楽しいよ。色々と想像するのが。そうだ、親の部屋に黙って入ったことない? 結構面白いんだから」
「無いです。近寄りたくもありません」
「弱点とかあれば握りたいじゃん。茉希名なら尚更でしょ。考えたことない?」
「弱点、ですか? いや無い、ですね」
「私はあるよ。父親に死んで欲しかった」
唯はいつもの穏やかな笑顔のままだ。しかし茉希名はそんな唯にかける言葉を思い付かなかった。
「茉希名の場合はお母さんかな。殺しちゃ駄目だよ」
部屋の中を妙な空気が漂った。
それを振り払うように唯が立ち上がる。
「あ、私のクマちゃん。机の上に置いたんだ」
「あ、はい。いつでも目に付く所がいいかなって」
「もう、可愛いんだから。また何かあげたくなっちゃうよ」
それからは何も無かったかのように雑談が始まった。
唯は雑談も上手く、茉希名はいつもその話題の豊富さに驚かされていた。
「――それじゃあ、唯さんはレズビアンだって気付いてなかったんですか? 自覚したのはどうやって」
「うーん、どうだったかな。それこそ本を読んでだったかもしれない。フーコーを追ってたら自然にね。あ、そういうことなんだって思った」
「そうなんですね。今度頑張って読もうかな。私も唯さんと会うまで気付きませんでした。誰かを好きになったことなかったのは、そのせいだったんですね」
「本当はそうやって切り分ける必要もないけどね。どんな属性の相手でも、その人が好き。それが分かってればいいの」
互いに自然と顔を近づけ、唇を重ねた。
少しは慣れたと思った口づけは、未だに茉希名の鼓動を急速に早める。
茉希名は頭がぼんやりとして、理性が失われていくのを感じた。
更に先へ行こうとする茉希名の唇を、唯の二本指が押さえた。
目を丸くした茉希名の視線が申し訳なさそうな唯の顔を捉える。
「今日はできないんだ。急にお腹痛くなっちゃって。あんまりくっつくと、したくなっちゃうから。軽いのだけね」
唯は自分から、そっと触れあうだけのキスをした。
「ちょっとトイレ行ってくるね。辛かったら後で茉希名だけでも手伝ってあげる。勝手に一人でしてちゃ駄目だよ」
唯はそう言って笑うと、大きめの鞄を持って部屋を出た。
部屋には激しくなった茉希名の呼吸の音だけが聞こえている。
本当にオナ二ーして待っててやろうかな。
唯を想ってしたこともあるベッドに、その本人が座っていた。茉希名は唯が部屋を出てはじめてその事実に気づき悶々としていた。
どうしよう。私本当にエッチだ。
落ち着かない心地で、少し遅い唯の帰りを待つ。自分の知らなかった一面に驚きつつ、誰かを愛する喜びを噛み締めていた。
「お待たせ。私がトイレするとこ想像でもしてた?」
「しませんよ。そんな趣味はないです」
「あはは。そういえば、茉希名の生理は最近来た?」
「え、そうですね。今週終わりましたけど」
「そうなんだ。じゃあもうちょっとすれば沢山できるね」
急に明け透けな質問をされて戸惑うも、それもまた唯らしいと感じる。
唯から求められている。そう考えるだけで他の何もかもがどうでも良くなっていた。
「ねえ、茉希名。何か私に秘密にしてること無い?」
「え」
秘密。なんだろう。引き出しに隠してる包丁。唯さんは危ないと言ってた変な人。どうしよう。言った方がいいのかな。
突然の質問に焦り考えが纏まらない。
唯は目を細めて、沈黙した茉希名を眺めている。
「無いならいいの。言ったでしょ。茉希名のことは何でも知りたいって。そういえば、この前行った喫茶店だけど――」
茉希名が何かを話す前に唯が会話を切り上げた。
それからは全く関係のない会話が続き、再び触れられることは無かった。
わずかに浮かんだ茉希名の疑念は、唯の笑顔に容易く掻き消された。
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