第13話 安男 四

 また身近な人が去っていくみたいで不安になったんだろうな。

 要のカウンセリングを終えて帰宅した安男は心地よい疲労を覚えていた。

 おそらく茉希名さんと二本松さんは、親を亡くした者同士どこか寂しさを埋め合うように仲良くなったのだろう。そこで茉希名さんが依存から離れて要さんが動揺したのかもしれない。


 自分からカウンセリングを受けた要について、安男はあまり心配していなかった。面談の後半、友人に話すかのように砕けた要にたじたじになったぐらいだ。人見知りでありながら明るくおしゃべりだという笠原の評が正しかったと、安男は感心していた。


 親を失った子どもか。どんなに辛いのだろう。

 ソファに座り、ぬるくなったコーヒーをテーブルに置いた。両親が健在の安男には同じ気持ちを味わうことはできない。ただ話を聞いて受け入れるばかりだ。


 安男は最近きれいになった部屋を見渡した。ゴミをすぐ袋に入れるようにしたため、比較的人に見せられる状態になっている。


 あの時はひどかったからな。

 韮崎幸の自殺のことを思い出した。すでに三週間が経過していた。安男は例のごとく胸が締め付けられたが、いつもと違って一つ閃きがあった。


 そういえば相手の生徒はどうなったのだろう。

 交際相手に性行為を強行された被害者は、加害者の自殺を聞いてどう思うのだろうか。もしかすれば自分が受け入れなかった所為だと気に病むんじゃないか。

 幸が言っていた高校にもカウンセラーがいるとは思うが、聞いてみても邪険にはされないだろう。何より気付いたからには黙ってはいられない。


 時計を見るとすでに深夜だった。今日の物にはならない。

 安男は残りのコーヒーを飲み干すと、落ち着かない気分を変えるためにもう一度コーヒーを入れ直した。



*



「もしもし、私はスクールカウンセラーの神成という者です。光説高校など市内の三校で生徒の相談に乗っています」


「はあ」


「実はそちらの生徒さんに阿畑貴音さんという方が居ると思うんですが、私のクライエントと少し関係がありまして」


「え、ちょっと待って下さい。そんな生徒居なかったと思いますけど」


「え、そんなはずは」


 安男は手元のメモを確認した。確かに先ほど電話の相手が名乗った校名と、幸が話していた校名は一致している。阿畑貴音、と名前の漢字まで幸に聞いたのだ。


「少しお待ち頂けますか。あばたたかねですよね。今調べますので」


 そう話すと相手は電話を保留もせずにカタカタと音を鳴らした。すぐに先ほどと同じ、疲れたような声が聞こえた。


「やっぱりウチの生徒には居ないですね。何かお間違えになってるんじゃないですか」


「ええと。そうかもしれません。お忙しい所ありがとうございました」


 電話を切ってしばし固まった。

 幸くんが嘘をついていたのか? 俺は騙されていた?

 面接の時の幸の表情を思い出す。何度も面接に来て何時間も話をした。

 どう考えても全てが作り話とは思えない。心の底から悩んでいたと今でも思う。


 昼休みの相談室は近くに人の気配もせず静かだ。安男は無意識に立ち上がって口に手を当てた。


 相手の名前だけが嘘だったのか?

 考えてみれば相手の名前を話す必要性があるわけではない。同じ学校だってことを隠したかった? 言いたくないとだけ言ってくれれば良かったのに。

 もう一度電話をかけ直して探りを入れるか。いや候補が多いし失礼だし怪しすぎる。クライエントの情報なんて話すわけないだろ。


 安男は目をつぶって頭を掻きむしり、深呼吸をした。訪れた着想に目を開いた。


 そうだ。幸くんのお母さんなら何か知っているかもしれない。話を聞く限り親子仲は良好だったように思える。もし知っていたならそれを隠している理由があるはずだ。慎重にいかなければ。

 安男は韮崎巴恵から、どうやって幸の相手について聞きだそうか作戦を練り始める。

 自分が担当した生徒の、死の理由を知る手がかりになると思えば躊躇う余地もなかった。



*



「すみません。お邪魔します」


「……どうぞ」


 以前訪れた時と同じか、それより元気が無さそうな巴恵を見て、安男は心が痛むのを感じた。

 土曜日、幸にお供えをしたいと、安男は事前に電話をしていた。巴恵は驚いたような反応を見せたが、安男は気付かないふりをしてそのまま約束を取り付けた。


 俺は今からこの人の傷口に手を突っ込むのか。今俺がやろうとしていることは正しいのだろうか。


「……あの、何か?」


「あ、いえ、あまり食べてらっしゃらないようだなと。当然ですよね。すみません」


 巴恵に指摘されてはじめて安男はその顔を凝視していたことに気付いた。

 以前の巴恵の弱々しい態度は幸が亡くなって悲しんでいるのだと思えた。しかし今は秘密を暴かれるのを恐れているようにも見えた。


「幸くん。チョコレートを持ってきたよ。好きだったろう」


 仏壇にお供えをして巴恵に聞こえるかどうかの声で話しかける。

 手を合わせた時間は以前訪れた時よりも長かった。


「……次は私だと思ってたんですけどね」


「……本当に、残念です」


 韮崎家は父親が急逝し、通っている高校はそのままに家賃の安い団地の五階に越してきていた。仏壇から二人が笑顔でこちらを見ている。


「思ったより、早かったですね。神成先生がこちらにいらっしゃるの」


「ええ。私としても忘れられることではありませんので」


「息子もきっと喜んでいるでしょうね」


「そんな……本当はそんな資格なんて」


「……幸くんは優しい子でしたから。怒ったりなんてしてませんよ」


 しばし静寂が場を包んだ。

 安男は次々に質問を重ね、話の揚げ足を取る形で、幸の相手についての欺瞞を暴こうと考えていた。しかし実際に巴恵と対面してみて、正面からはっきりと聞くべきだと思い直した。


「巴恵さん。失礼を承知で伺います。幸くんの相手は阿畑貴音という人ではなかったのではありませんか。誰か別の女性であることを隠していませんか」


 巴恵は大きく目を開いて安男を見た。安男は熱のこもった視線を真っ直ぐ返した。


 巴恵は見開いたままの目を仏壇へ向けた。その先には場違いに明るい笑顔の青年がいた。


 開かれた瞼は徐々に閉じていき、乾いたはずの涙を押し出していく。

 微かに聞こえた嗚咽の音は、やがて耳を塞ぎたくなるほどに力を増した。


 安男は罰に耐えるかのように、じっと目を閉じていた。

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