第12話 安男 三

 コーヒーが飲みたいな。

 明るい部屋の中でコンビニのサンドイッチを頬張っている。生徒の昼休みが終わり、安男は相談室の中で昼食をとっていた。

 安男はコーヒーが好きだったが匂いが強いため、相談に来た相手が苦手だった場合のことを考えて控えていた。


 茉希名さんは今日も来ないのかな。

 光説高校に訪れている間、安男はとりわけ気分が落ち着かなかった。茉希名が何か問題行動を起こしている方がまだマシだとさえ思っていた。定期的なカウンセリングの理由になり、家庭の状況も無理なく聞くことができる。


 あの子は悩みを抱えて溜め込みそうなんだよな。

 短い時間の面接だったが、茉希名の視線はいかにも自分を信用していなかったと感じていた。


 カウンセラーという役割がクライエントにとってむしろ高い壁になることは多い。カウンセラーを医者のように感じて、悩みを打ち明ける自分が精神疾患を持っているかのように思うのだ。精神疾患自体も本来は恥ずべきものではないが、異常者であるという誤解が未だに残っている。

 みんなもっと気軽に相談に来てくれればいいのにな。


「すみません。神成先生よろしいですか」


 相談室の扉がノックされ、聞き覚えのある声が聞こえた。


「ん、どうぞー」


 急いでパンを飲み込んで返事をする。白髪をきれいに整えた、眼鏡の男性が立っていた。


「お食事中すみません。月曜は時間がないもので」


「いえいえお構いなく。いつも助けてもらって感謝してます。それで茉希名さんに何かありましたか?」


「いえ、彼女には何も無いんです。神成先生に聞いてから私も注意深く見てはいたんですけどね、虐待を受けてるようには見えないんです」


 笠原かさはらはソファに座って腿の上で指を組んだ。その実直さを示すような太い眉が困ったように垂れ下がった。


「やっぱりそうですか。いえ、本当に問題が無いならいいんですけど、彼女はどうにも溜め込みそうですからね」


「私もそう思います。担任の私も家の話は直接聞いたことが無いですからね」


 茉希名の担任教師である笠原に、安男は必要な情報を色々と提供してもらっていた。また、茉希名に何かあれば報告してもらえるように頼んでいた。

 笠原は真面目な人柄でありつつも、柔らかい雰囲気を持っている。生徒にも慕われているらしいこの男性を安男は頼もしく思っていた。


「そうだ。それで本題なんですけど、その田浦さんの親友の二本松要ってご存じですか?彼女が今日の放課後にカウンセリングを受けたいそうなんです」


「ええ。知ってますよ。ご両親が去年交通事故で亡くなったっていう。僕の赴任前のことなので詳しくは知らないですけど。今日の放課後ですね。他に予約は無いので大丈夫です」


「良かった。学校にいる間は特に変わりないように見えたんですが、何かあったのかな。二本松さんも事故直後はひどく落ち込んでしまって心配だったんです。それで田浦さんと話すようになってから、今みたいに明るくなって」


「なるほど。他にも何かあれば教えていただければ助かります。後からでもいいので」


「分かりました。放課後二本松さんが来る前までには資料をまとめて渡しに来ます。神成さんも守秘義務に反しない範囲で私にアドバイス下さいよ」


 そう言って笠原はせかせかと相談室を出て行った。歳が半分ほどの自分に対しても腰が低い笠原を、安男は尊敬していた。


 もっと自分も労って欲しいんだけどな。

 笠原は安男と会う時いつも忙しそうにしている。安男はその理由を、人が良く生徒のために必要以上に動いているためだと考えていた。

 どこか温かい気持ちで椅子を回転させ机に向き直ると、残りの昼食を片付け始めた。



*



 コンコン。控えめなノックの音が二回だけ鳴った。


「どうぞ」


 柔らかくも聞こえやすいように放った声を受けて、ドアが横に滑る。

 丸顔の少女が心細そうな様子で部屋に入ってきた。


「二本松要さんかな。はじめまして。どうぞ座って」


「はい。すみません」


 要はそう言うとソファの先っぽにちょこんと乗るように座った。

 安男は笠原からもらった、人見知りだという情報が正確だったことを知った。

 圧迫感を与えないように斜め向かいのソファに深く座る。


「僕は神成安男って言います。名前は安い男ってそのままの字でね。覚えやすいのか、やすおって呼ぶ子も多いんだ」


「やすお、先生ですね。分かりました」


「喉渇いてない? 結構なんでもあるけど飲みたいものはあるかな?」


「いえ、大丈夫です。それで、話をしてもいいですか?」


「もちろん。実は話を聞くのは得意なんだ。ゆっくりでいいからね」


 要は緊張した表情をにこりと笑わせると話を始めた。


「あたしには友達がいて、茉希名って言うんですけど、その子が最近一緒に遊んでくれないんです。あたしに対して態度が変わったわけじゃないけど、とにかく図書館に行きたいみたいで。今日も絶対行かなきゃいけないって走って行ったんです。本が好きなのは分かるけど、なんかもやもやするんです」


「なるほどね。茉希名さんが一緒に遊んでくれない。二本松さんはその事を茉希名さんには話したのかな?」


「いいえ、話してません。だってなんかおかしいじゃないですか。友達が遊んでくれなくて文句言うなんて」


「二本松さんはそう思うんだね。どうしてそう思うのかな?」


「えーと……。彼氏でもないのに友達がしたいことを止めるなんて変だなって。そんなの友達じゃないって」


「そういうことなんだ。もしさ、二本松さんが茉希名さんに自分と一緒に遊んでって言われたら、やっぱり嫌な気持ちになりそう?」


「え? 嫌なわけないじゃないですか。私は茉希名と一緒にいるのが楽しいのに」


「そっか。茉希名さんとの時間が好きなんだね。実は僕も茉希名さんとは少し話したことがあってね。優しい子だと思うよ」


「あ、そういえば相談室に行くって言ってた。……えと、そうなんです。茉希名は優しくて頭が良くて、馬鹿なあたしとは大違いで」


「僕は頭が悪いとは思わない。二本松さんの話はとても分かりやすいし、僕が言うことにだってすぐに考えて答えてくれるよ」


「でも、茉希名と比べたらあたしなんて成績悪いし」


「そっか。僕は笠原先生とよく話をするんだけどね、二本松さんがいると場が明るくなって助かるって言ってたよ」


「え、先生が? いつも勉強しろ勉強しろってうるさいのに。なんであたしを直接褒めないかなー」


「ははは。笠原先生にも照れ屋な所があるのかもね」


「えー、そんなことある? でもこの前……と、すいません。やっぱりお茶もらえますか? なんでもいいんで」


「了解。ちょっと待ってて」


 安男は立ち上がって冷蔵庫を開けると、穏やかな表情でコップに烏龍茶を注いだ。

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