第7話 安男 二

「ほら、やっぱり散らかってるじゃないの」


「俺の中だとこれで綺麗なの」


 日曜日になり、車で一時間ほどの場所に住んでいる神成かんなり桂子けいこ安男やすおの部屋を訪れた。着くなり周囲に散乱しているペットボトルや空き缶を片付け始めた。安男はそんな桂子の姿を笑顔で見つめていた。


「こんなんじゃ彼女も連れて来られないでしょ」


「ふふ、実はもう来たんだ。連れて来たんじゃなくてあっちが勝手に来たんだけど」


「あらそう。ていうかちゃんと彼女いたのね」


「あっちから告白してきたんだ。あんまり話したこと無かったけど、実は前から好きでしたって。すごいでしょ」


「学生じゃあるまいし、そんなことある?」


「あったんだって。母さんに嘘はつかないよ」


 ゴミ袋に次々と物を投げ込む桂子は未だに納得がいかないようだ。

 桂子は若くして安男を出産し、未だに四十を過ぎたばかりだ。その中でも格別に若く見える美人の桂子を安男は自慢に思っていた。


 掃除が一段落し、大きなソファに二人で腰を落ち着けた。

 このマンションの一室は、高給取りである安男の父親が金に糸目をつけずに借りているものだった。ゴミさえ取り除けば広くて美しい。近代的な造りがいかにもお洒落だ。


「勝手に来たって言ったけど、幻滅されたんじゃないの? 片付けてなかったんでしょ?」


「自分の部屋も結構汚いから大丈夫って言ってたよ」


「安男ちゃん。それはおべっかよ。内心はどうだか」


「まあまあ。疲れたでしょ。肩でも揉むよ」


 桂子はソファに対して平行に座り、黙って安男の奉仕を受け入れている。桂子の小言を止めるための安男の常套手段だった。


「安男ちゃんは優しすぎるから。騙されてなければいいけど」


 肩揉みが終わったとき、桂子がぼそりと呟いた。


 その後、二人は昼食をとりながら他愛もない世間話をした。桂子は安男に一度も仕事の話を聞かなかった。安男にはその事が嬉しかった。


「じゃあ、身体に気を付けて頑張ってね」


「そっちこそ。ありがとう」


 最後まで心配ばかりしていた桂子を安男は笑顔で見送る。

 香水のわずかな残り香が部屋に漂い続けていた。



*



――――――――――――――――――――

●田浦茉希名 十七歳 女性 光説高校二年 旧姓:西館

・昨年十月 父親が縊死 自殺と断定

・今年三月 母親が再婚 養子として田浦姓になり義父と同居

・今年九月 韮崎にらさきこうの転落死現場を目撃  自殺と断定


・読書が趣味で頻繁に図書館に通う

・同じクラスの二本松要といつも行動を共にしている

・成績は優秀 問題行動はなし


・教員によれば父親の死後目に見えて暗くなった

・感情を表に出さず抑圧する傾向

・本心を話さず嘘でごまかす傾向

・青い顔で左脇腹を押さえていた

→父の死を受け入れられない?死の理由が関係か

→人間不信?男性か、大人か、誰でもか

→家で虐待されている?義父か、母か、両方か

――――――――――――――――――――


 ……大体こんなところか。

 椅子の背もたれに身体を預けて天井を見上げた。机と椅子に身体を挟めたまま大きく伸びをする。閉じた目を開くと、あえて明るくしている相談室の照明が眩しすぎて目に焼き付いた。

 再びパソコンに向かうと、今作ったばかりのメモを保存した。


 安男はクライエントの情報をいつも文にまとめて整理している。三校掛け持ちしているため面接するクライエントの数が多く、情報を逃さないために必須だった。まだほとんど面接していない茉希名については、先ほどまで事実だけを書いていた。だが今はそれだけでは足りない状況になっていた。


 先ほど茉希名を廊下で見かけ、その顔色の悪さに大いに焦った。堪らず声をかけると、茉希名は生理だと答えたが、安男は嘘だと思っていた。


 ……たしかに脇腹を押さえていたよな。自分を抱くみたいに。

 生理というのは事実かもしれないが、安男はそれ以上に彼女が何かを隠していると感じていた。安男が茉希名に声をかけたときの、悪事がバレたかのような表情が気にかかっていた。

 もし彼女が家庭で虐待を受けているとしたら、色々と説明はつく。


 先入観に気を付けろ。この間、幸くんの件で痛い目を見たばかりじゃないか。

 胸を突き刺すような後悔の念を未だに感じていた。幸の死から十日が経過していた。

 前回は大丈夫だと思い込んで危険な兆候を見逃した。しかし今回はむしろ直観を信じて突き進むべきじゃないのか。心配しすぎだったならそれでいい。


 椅子に座り直し、茉希名のカウンセリングについて方針を練り始める。度々思考に沈みながらキーボードを叩き続けた。



*



 ソファに寝転がり、惰性で続けているゲームで遊ぶ。それも飽きてしまって体を起こした。テーブルにスマートフォンを置くと、リモコンを操作してテレビの電源を入れた。

 ソファの上であぐらをかき、ボタンを押し続けるも特に興味を惹かれる番組もなかった。

 頬杖をついたまま、ため息を吐き出した。視線を逸らした先には本棚があった。


 あんな本あったっけ。

 安男は買った記憶のない本が本棚に並べられているのに気付いた。

 小ぶりなその本を近づいて手に取ると「疫学総論」と書かれていた。

 大学の時に買って大して読まなかったのかもな。


 高校生のとき、安男は医者になりたかった。しかしある理由から医者になることを諦め、カウンセラーになることを決めた。大学に入学後、それでも医学に興味があった安男は自主的に医学関連の本を買い漁って勉強していた。それがいつか人を救う助けになると信じていた。


 手に取った本をパラパラとめくると統計関連の話題が多く、読むには骨が折れそうだった。

 安男は暇を持て余しながらも今読む気にはならず、本棚の元あった場所に戻した。

 悩みをもつ生徒たちのために何かしなければならない。そんな焦燥感を覚えながらも、いま何か特別に役立つことができるわけでもない。


 再びソファに戻ると、安男は広い部屋に一人で居るのが寂しくなった。真剣な表情を浮かべると、最近出来た恋人へ送るメッセージを考え始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る