第2話 色欲の魔王、現状を把握する


 転生してから半年が経った。

 俺はその間、寝て起きてを繰り返しながら情報収集をしていた。


「べろべろばぁ〜」


 赤子の俺に向かって変顔をしている黒髪の青年はシモン。俺の父さんだ。

 精悍な顔つきでよく俺を笑わせようとしてくる。


「もう、シモンったら。そんな顔してちゃアスくんが泣いちゃうわよ」


 俺を抱きかかえたまま笑う少女の名はリリス。

 ゆるふわなピンク色の髪に腰から伸びた黒い尻尾の彼女は女性の淫魔族、サキュバスで俺の母さんだ。


「アスは全然泣かないからこれくらい平気だよ」


「本当よね。聞き分けもいいし、もしかして私達の言葉が分かるのかも?」


 冗談半分で母さんは笑うが、その考えは正しい。

 俺は既に前世での、色欲の魔王アスモデウスとして記憶を取り戻しているのだから。

 ただし、どうやら勇者から受けた傷のせいで魂が欠けてしまっている。

 そのせいで俺はかつての力を失ってしまいただの赤ん坊として暮らす羽目になっていた。


「まさかそんなわけないだろう」


「そうよね。さぁ、アスくんご飯でちゅよ」


 こんな生活だがまぁ、悪い気はしていない。

 母さんはサキュバスであることを除いてもかなり美人だし、誰かに甘やかされるというのは魔王になってから久しく忘れていたからだ。

 前世で親のことなんて知らずに育った俺にとってはこの生活はまどろみの中にいるような時間だ。

 そして赤ん坊の視点で見るおっぱいは壮観だった。体が小さいことでとてつもなく大きく見える。

 ロリ巨乳である母さんの胸に山脈が如く広がるおっぱいを口に含むのが今の俺の幸せだった。


「ほう。いい飲みっぷりだなアスは」


「本当ね。食いしん坊さんなのはお父さんに似たのかしら?」


 とりあえず魂の傷が癒えるまでは大人しく赤子として世話をされるとしよう。

 この体は胃の容量が少なくてすぐに腹が減る。数時間おきに食事をしないといけないのは不便だな。


「あらら、寝ちゃったわね」


「寝る子は育つって言うからな。早くおっきくなるんだぞー!」


 言われなくてもそのつもりだ父さん。

 俺はすやすやと眠りながら今後の将来設計を考えるのだった。




 ♦︎




 転生してから五年が経った。

 赤子の時代は終わり、俺は自分の手足で動き回れるようになった。

 安静にし、じっくり回復に専念したことで勇者から受けた傷も少しは癒えた。

 そのおかげで僅かながら魔法も使えるようになっていた。


「母さん、薪割りが終わったよ」


「まぁ、偉いわアスくん! まだ5才なのに家のお手伝いができるなんて!」


 母さんが俺を抱きしめて頭を撫でてくれる。

 褒められて甘やかされ、俺は悪い気がしなかった。

 その調子で育ててくれよ母さん。


「おっ、もしかしてもう薪割りが終わったのか? アスくらいの年なら日が暮れても無理だと思ったのになぁ」


「お帰り父さん。今日の成果はどうだった?」


「今日はクレイジーボアが罠にかかっていてな。久しぶりにご馳走だぞ〜」


 父さんが獲物を持ち上げて嬉しそうに俺に報告してくる。

 両親のシモンとリリスは共働きだ。

 父親であるシモンは猟師として森に行ったりたまに川で魚を獲ったりする。

 母親のリリスは家の中で紙に絵を描いてそこに物語を書く絵本作家をしている。

 家の側には畑もあり、俺達家族は自給自足の生活をしていた。


「リリス。原稿の方はどうだ?」


「もうすぐ完成よ。アスくんからの反応も上々で自信作よ」


「おぉ、母さんの読者も楽しみに待っているだろうな」


「そうだといいわね。あなた、出来上がったらまたお願いしてもいいかしら?」


「任せとけ。村まで届けるさ」


 父さんは時々、自給自足では手に入らない品を求めて近くの村へ行く。

 母さんの絵本もまずは村へ持って行き、そこから町へと商人の手で運ばれていくのだ。


「父さん。俺も村に行きたい」


「むっ。……残念だけどアス、それはお前がもっと大きくなってからだ」


 俺は子供らしく我儘を言ってみるが提案は却下された。

 村まではそこそこ距離があり、片道で半日かかる。

 体力の無い子供だから連れて行けないと思っていたが理由は別にあった。


「アスくんは私と一緒にお留守番しようね」


「うん。母さん」


 俺の頭を撫でて慰める母さんの手が僅かに震えていた。

 おおよその年代だが、転生した時代は俺が死んでから千年が経っている。

 その千年の間に世界の情勢はとてつもなく大きく変わってしまっていた。


「あなた、やっぱりアスくんは……」


「いいや。まだだ、まだ駄目だ」


 いつもより少し豪華な夕食を済ませ、俺が自分の部屋に入ってのを確認して二人はリビングで話し合いを始めた。

 その会話を壁に耳を当て、盗み聞きをしながら情報をまとめる。

 この世界で一番身近な変化は俺が族長をしていた淫魔族だ。

 サキュバスとインキュバス、〈色欲の魔王〉を輩出した淫魔族は当時の魔族の中でもトップクラスのヒエラルキーにいた。

 しかし、それは魔王の一族という立ち位置であって種族の平均を押し上げていた俺の死によって立場が変わった。

 加えて不夜の国は最初に人間によって取り戻された地域になり、淫魔族は住処を追われることになった。

 美しい容姿に尽きることない性欲、そして強い暴力には敵わない種族のステータス。


 淫魔族はあっという間に魔族のカーストの底辺にまで落ちて迫害を受けるようになる。

 真っ先に死んだ最弱の魔王の種族として淫魔族を奴隷にする魔族までいた。


「あの子に外の世界が早いのはリリスがよく理解しているだろ?」


「そうね。だって淫魔族の子供だもの……」


 母さんはそんな淫魔族の最後の純血と言ってもいい。

 幼い頃から辛い思いをして育ったらしく、家族以外と接するのがトラウマになっているそうだ。


「そんなこと言うな。それなら人間であることの方があいつには、」


「違うわシモン。あなたは悪くないのよ」


 もう一つ問題がある。

 それは父さんが人間だということだ。

 俺が死んで以降、勇者率いる人間達は魔族を相手に散々暴れ回ったらしい。

 そのせいで千年経って当時を知らない魔族が大半になったのに人間に対する悪感情は薄れていない。

 人間達の殆どは魔族の住む領地から遠く離れた場所に住んでいるのに、父さんの先祖達はその移住に間に合わずに魔族の中に取り残された。

 以降、人間は魔族から冷遇されてまともな職にも就けずに辛い人生を……。


「ふぅ。両親の悲しむ顔というのは意外と胸にくるものだな」


 壁の向こうから啜り泣く音が聞こえて俺は唇を噛み締めた。

 両親はとても優しくて子供思いの善人だ。

 だというのに生まれた種族のせいで苦しい人生を歩んで来た。

 彼らにとって俺は大切な宝物であり、同時に複雑な立場の二つの種族のハーフという災いの元でもある。


「なぁに、アスがもっと成長して強くなったら外に連れていくさ」


「そうね。あの子は魔王様と同じ名前なんだもの。きっとあなたによく似た立派な子になるわ」


 魔王として戦い死んだことに悔いは無いが、こういう事実を知ると申し訳なくなるな。

 あの女勇者のその後について調べるのは今世での俺の夢ではあるが、それと同時に淫魔族と人間の地位の向上を目指さなくてはならない。

 特に淫魔族は絶滅の危機にあるので、末裔として俺が子孫を沢山増やして復興しなくてはならない。

 魂の傷が完全に癒えれば子作りなんて造作もないからな。七日間くらい休まずに励めばいい。


 伊達に〈色欲の魔王〉と呼ばれていないのだ。

 ただ強いだけではなく、二つ名に相応しい振る舞いをしてこその魔王なのだ。


「リリス。暗い話はここまでにして今日はもう休もう」


「そうね。……ところであなた体の調子はどうかしら?」


「肉を沢山食べて元気もりもりだ。だからいいぞ」


「よかった。私も締め切りに集中していてずっと我慢してたから……」


 薄い我が家の壁向こうからリップ音が聞こえてきたので盗み聞きを終了する。

 流石に両親の愛し合う時間に干渉する気はない。俺は空気が読める音なのだ。

 ところで純血の淫魔族と結婚して子供まで作ってピンピンしている父さんの生命力はどうなっているのだろうか。

 普通なら搾り取られてヨボヨボになるのに……。


 壁を貫通して大ハッスル読み聞かせが始まる中、俺は一家の大黒柱として働く父さんを立派なスケベ男して心の底から尊敬するのだった。


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