マタニティーブルー

二瓶海山

第1話

それは、太陽がさんさんと輝いていて、風のない静かで穏やかな日のことであった。

ピンポーン

チャイムが鳴った。

“はい。”

インターホンの画面には知り合いのおばさんがいた。機嫌の良さそうな顔が画面全体に写っている。

玄関まで急いで行き、ドアを開けた。そこにはおばさんだけではなく、その夫のおじさんと、そしてベビーカーがあった。

“久しぶり、修吾くん。遊びに来たよ。”

おばさんは手を振っていて、ニコニコとしていた。おじさんはというとベビーカーの中を覗き込んで何やら話しているようだった。

“どうぞ、入ってください。”

“じゃあ、お邪魔します”

おばさんは玄関の椅子に座って黒くてヒールのある靴を脱ごうとしてた。後からおじさんがベビーカーを持って玄関にきた。

“ベビーカーがあるということは赤ちゃんがいるんですか?”

“ええ、そうなの。先月子供ができて、なおちゃんに見せに来たのよ。”

なおちゃんというのは僕の母親だ。

“ほら。見てごらん。僕たちの新しい家族だよ。”

ベビーカーを覗くと、そこには小指の第一関節くらいの小さな赤ちゃんがいた。

“わー、とても可愛いですね。”

“かわいいでしょ、遊んであげてね”

お腹らへんを人差し指でこしょこしょっとすると、うきゃきゃきゃ、ととても喜んで僕の指にじゃれた。この世に生まれたことをただ喜んでいるような無邪気な笑顔を見せてくれた。赤ちゃんは少しフニフニとしていてとてもかわいかった。

おばさんたちをリビングに案内した後、赤ちゃんと遊ぶことにした。

最初は家の中でレゴブロックをして遊ぼうと思ったが、自分より大きなレゴブロックを扱うのは難しいようですぐに飽きてしまった。そのため、外に行くことにした。外といっても僕の家の庭だ。

僕の家の庭にはたくさんの花が咲いていたので、花をたくさん摘んできて赤ちゃんにあげてみた。すると、小さなピンクの花が気に入ったようで、その花びらで遊び始めた。ちぎろうとしてみたり、その花の中に入ろうとしたりとても楽しそうだった。その様子を見ていると僕もとても楽しい気持ちになった。

何か他にいいものがないかと目線を泳がせていると、赤ちゃんはいつのまにか砂で遊び始めていた。着ている服はもう泥だらけになっていた。

“こんなに泥だらけにしちゃって”

人差し指で頭を撫でると、きゃきゃきゃ、と喜んでいた。

しばらく砂で遊んでいた。

少し暗くなってきた。

“日も傾いてきたからそろそろ中に入ろうか。”

まだ砂で遊びたそうではあったが、寒くなって風邪をひいては行けないと思い、家の中に入った。

“おばさん、赤ちゃんが泥だらけになってしまいました。”

“あら、それは大変ね。修吾くんちょっとお風呂に入れてあげなさいな。”

“わかりました”

僕はお風呂へ向かった。

お風呂場の湯船は赤ちゃんにはとても大きすぎたので、お風呂場の横の洗面台で洗うことにした。

“ほら、こんなに汚くして。全部綺麗に落とそうね”

お湯を出して赤ちゃんを洗った。赤ちゃんはお湯が好きなようで、うきゃうきゃ、っと水をバシャバシャとして遊んでいた。僕も将来こんなかわいい赤ちゃんが欲しいなぁ。そんなことを思いながら、赤ちゃんを洗う石鹸を取りにお風呂場にいった。

石鹸を持って帰ってくると、元いた場所に赤ちゃんはいなかった。

慌てて辺りを見渡すと排水溝の淵に小さな手だけが見えた。急いでつかもうとしたが、掴むことはできなかった。

吸い込まれていった。

小さな手は排水溝の中ではとても大きく感じた。僕の心臓を掴もうとしているように見えた。

排水溝に指をいれて助けようとしたが、触れることはなかった。

僕は気が動転して叫んでいた。

排水溝のパイプを全て外し、赤ちゃんを探したがどこにもいなかった。

赤ちゃんの手が僕の脳内をぐるぐると覆っていた。全身の血液が流れを止め、冷たくなっていくのがわかった。

おばさんに言わなくては。

リビングに行った。

細く震えた声をなんとか絞り出して言った。

“ごめんなさい。赤ちゃんが排水溝に流れていってしまいました。”

おばさんはテレビを見ながらはっきりとした明るい声で言った。

“別にいいわよ”

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マタニティーブルー 二瓶海山 @keitanihei

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