[最期]踏み出して。
卒業パーティーは貴族院からもほど近い迎賓館で開催されていた。
街のほぼ中心で交通の便もよく、敷地から外に出たところには駅馬車の停留所が有った。
通常であればそんな駅馬車など使うことはなかったけれど、もうそんな事は言ってられなかった。
このまま家に帰ったとしてももうわたくしの居場所なんかない。
バルバロス侯爵家に婚約破棄をされた傷物令嬢という風評がたてば、もう他の縁談の望みもないだろう。
それに。
わたくしは、これ以上、父のあの顔を見たくなかった。
ううん、これ以上あの冷たい瞳で見られたくはなかった。
愛されることがないのは仕方がないと諦めてはいても、それでも家の役に立ちたいとそう思っていたこの思いが崩れ去った今、わたくしにはもう帰る場所なんてどこにも無かったのだから。
♢ ♢ ♢
自分にこんな行動力があるなんて、思ってもみなかった。
もう夢中で駅馬車の時刻表を見比べて目的の馬車にたどり着き、なんとか乗り込んだのだけれど。その時は馬車に乗るのにはお金がかかるのだということを失念していたくらいだ。
わたくしが身に纏っていたのは清潔ではあるけれど質素なベージュのドレスで。
街の商家の令嬢でももっと華美なものを着ているだろう、そんなふうにさえ思える服装だったからかそこまでは怪しまれなかったけれど、逆にお財布を持っていないとわかるとおもいっきり不審がられた。
それでも、駅馬車の御者の方は、わたくしの胸についていたブローチで、目的の隣町までの料金に充ててくれた。
きっとわたくしは望まない結婚から逃げてきた新婦さんのように見えていたのかもしれない。
着の身着のまま逃げ出したお嬢様なのだろうくらいに。
あからさまに同情をするような感じの言葉もかけられたけれど、それはそれ、勘違いされているのでもいいと、そのままありがとうございますと答えて。
ブローチ自体はそこまで値の張るものではなかったけれど、馬車賃くらいにはなるだろう、そう思って好意に甘えることにしたのだ。
馬車に揺られ一晩かけて目的地に着いた時。
もう少しで朝日が昇ってくるのだろう、早朝のそんな時間。
空はうっすらと紫に染まって。
うとうとしながらも、これからどうするかの決意を固めて。
馬車を降りるときには何度も御者さんにお礼を言って、その場を離れた。
わたくしがここに来たことはくれぐれも誰にも言わないでおいてくださいとお願いすると、その御者さんは快く承知してくださった。
どうせなら、誰にも知られないように死にたい。
痕跡も残さず消えてしまった方がいい。
そう、自殺したことさえ誰にもわからないように。
ナイフで喉をつくとかそんな死に方だと死んだあとに誰かに迷惑をかける。
それに、死後自分の身体を誰かに触られるのは嫌。
触る方も嫌だろうけれど。
もし。
父がわたくしの遺体を見て。
そうしてその死んでしまったわたくしに向かってもなお、あの冷たい目を向けるのだとしたら。
そう考えたら悲して辛くて。
役に立たないどころか迷惑をかけて死ぬのかと、そんなふうに思われたとしたら。
それはもう、死んでも浮かばれない。
悲しんでもらいたいとは思ってもいない。
でも。
あんな蔑んだ目で自分の遺体を見られることを想像しただけで、身体の芯から震えがくる。
それは、きっと、恐怖、とは違う。
たぶん、きっと、怒り、からなのだとそう思う。
悲しみを通りすぎ怒りになるなんて今まで気が付かなかった。
この期に及んで、
わたくしは、あの父に対してさえそこまでの怒りを持ちたくはないのだ、と。
今この場所まできてそう思う。
だからそれならば。
いっそ、皆の前から痕跡も残さずに消えてしまいたいのだ。
海岸を歩き、岩場を登り、たどり着いたそこ。
絶景を楽しみにくるものも多いと聞くそんな場所。
しかしそこはまた、わたくしのようなものが自死するのにうってつけな場所で。
もうじき朝日が昇ろうと海岸沿いが橙色に染まる。
確かにここは絶景なのだろう。
深い青の海原と、群青に染まった空の間にある朝日の暁。
空に浮かぶ雲さえも光に反射し赤紫に染まっていくその景色は、まるで一枚の絵のようで。
最後にこんな美しい景色が見られてよかったな。
そんなふうに思って。
わたくしは、最後の一歩を踏み出した。
不思議と恐怖はなかった。
うん。
ここで死ぬのが怖いと思うくらいだったら、もしかしたらもっと違う人生があったのかもしれないな。
そんなふうに呟いて。
落ちていく時間が、とても長く感じられた。
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