《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
[悲恋]自殺しました。
ここを選んだのはただ単に死後自分の身体を誰にも触られたくなかったからだ。
死んだことさえ誰にも知られず、この世界から痕跡も残さず消えてしまいたかったから。
国内随一といえば聞こえがいいのかもだけれど、そんな絶景ではあるこの断崖絶壁は、自殺の名所としても名高い。
二重三重に激しく渦巻く水面は、たとえ泳ぎの達者なものでも巻き込まれ無事でいる確率は低い。
そして、潮の流れの関係か、ここに落ちた者の遺体は発見されることも稀だ。
そんな運命も悪くない。
そう思ってしまったから。
そもそも婚約が決まったのだったって勘違いなのだ。
最初にフリード様が望んだのは花のように可憐な妹シルビアだったに違いない。
そうであるからこそ、彼と初めて会ったあの日、わたくしの顔をろくに見もせず俯いたままだったのだろう。
あてが外れた?
そう思ったに違いないのだから。
ローエングリン伯爵の娘はとても美しく可憐であるという世間の評判を鵜呑みにし、申し込まれた婚約話。
フリード様のお父様、アルベルト・フォン・バルバロス侯爵からのそんな申し出に、父グラームスは歓喜した。
しかし。
目に入れても痛くない妹シルビアを手放す気になれなかった父は、その縁談にわたくしを差し出すことに決めたのだ。
十になったばかりのわたくしは、お婆さまの血を色濃く受け継ぐ亜麻色の髪に、金の瞳。
後妻である今のお義母様の娘であるふたつ下の妹は、華のある黄金の髪に蒼い可憐な瞳をもつ。
顔だちも、十で既に大人びてしまったわたくしとは違い、幼く可愛らしい妹シルビア。
誰がどう見たって好かれるのはシルビアの方だもの。
わたくしではなくって。
絶対にまとまるわけがないと思ったそんな縁談、婚約は。
それでも最初の予定通りに結ばれた。
きっと、子供同士の感情などそこには介在する余地がなかったのだろう。
貴族同士の結婚などそんなものだと半ば諦め。
それでも、なんとかよき婚約者になろうとそれだけを考えて過ごしてきたわたくし。
好かれた、求められた婚約ではなかったのだとしても。
きっとバルバロス侯爵家にとってもローエングリン伯爵家にとってもこの結びつきは利益のあるものだったのだろう。
そんな難しい話は聞かされることは無かったけれどそれでも察した。
お見合いの席でも、家のために尽くせ、と、父グラームスは一言そう告げてわたくしの前から去った。
妹シルビアの前で見せるあの微笑みは、ついぞわたくしに向けられることなどなかったから。
父にとって、わたくしはそういう存在なのだろう。
そう諦めて。
愛されたい。
そんな贅沢が許されるわけがない。
であればせめて。
役に立つと思われたい。
そう思い、学業に励んだわたくし。
貴族院に入学し、やっと他の貴族の子女との交流が深まる歳となってからも。
もうすでに婚約者のいるわたくしが浮かれる理由はどこにもなく。
周囲の御令嬢方が綺麗な装いに身を包み、殿方の噂で盛り上がるそんな場でも。
わたくしには場違いに感じてしまい溶け込めなかった。
着飾るよりも清潔さをモットーに、身綺麗ではあるけれど決して華美ではない、そんな服装で過ごした学生時代。
ああ、もちろんわたくしは華美なドレスも装飾品も何一つ所有していませんでしたから。
おしゃれをしたいともし思ったとしても、叶わないことではあったのですが。
それなのに。
まさか、そんな貴族院を卒業する段になって、こんなふうに婚約破棄をされるだなんて思ってもいなくて。
♢♢♢
「婚約を考え直そう」
そんなふうに切り出されたのは卒業パーティーの会場。
いつものように壁に立って目立たぬようにしていたわたくしのそばにやってきたフリード様が、わたくしの目も見ずにそう呟く。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
流石に耳を疑ったわたくしは、そう聞き返して。
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリード様。
一瞬、何が起こったのかと思考が停止して。
すぐに思い返す。
ああ、このお方はやはりこの婚約に納得してはいなかったのだな、と。
思えばこの方はわたくしの顔をまともに見て下さったことは一度も無かった。
愛されていないのはしょうがないと思っていた。
それでも、共に過ごすことになることには納得してくださっているものとばかり、そう思っておりましたのに。
「侯爵さまは、この婚約破棄にご納得くださっているのでしょうか。うちのお父様は……」
「君はすぐにそうやって家のことばかり。いい加減、自分達の結婚なのだと理解したらどうだ? だいたい君も嫌なら嫌だとはっきり言ってくれればいいものを」
え?
急に、はっきりと怒りの声をあげる彼。
今まで、こんなふうに声をあげて怒るなんてこと無かったのに。
「あら。お姉さまとフリード様、こんな所にいらしたのね」
その声に思わず振り返ると、そこには美しいドレスを身に纏った妹シルビア。
黄金の豪奢な髪をふわりと流し幼さが残った装いでありながらその真紅のドレスは大人びてみえる。
「お二人ともご卒業おめでとうございます。心からお祝い申し上げますわ」
しゃなりと扇を開き笑みをこぼす。
「ありがとうございますシルビアさん」
そうお礼を言うわたくし。
妹と言っても親しく過ごした記憶など一切ない。
お義母様はわたくしとシルビアが姉妹として過ごすことも気に入らなかったのか、食事でさえ一緒に摂ったことが無いのだ。
貴族の兄弟姉妹の中でも同腹の兄弟とそうで無い兄弟では同じ家族とは扱われない事もあるらしい。
お義母様はそう主張し、父もそれに倣った。
幼い頃より、それが当たり前なのだとそう言い聞かされて。
だから。
彼女とは姉妹というのは形だけで、他人よりも距離が遠かった。
そしてそれは、同じ屋敷に居ながらにして、わたくしとわたくし以外の家族、という枠組みになるのを許容すると、そういう事で。
常に一人だったわたくしの心の支えはフリード様との婚約だけであったのに。
「フリード様、いただいたこのドレス、わたくしとても気に入っておりますわ。わたくしには少し大人っぽく思えて、でも、とても素敵でなんだか背伸びをしたみたいな気分です」
そうコロコロとした鈴のような声で笑いながら話すシルビア。
卒業生が主役であるはずのこの卒業パーティーでも、誰よりも華があり可愛らしいシルビア。
ああ。
そうか。
フリード様はやはりわたくしではなくシルビアを選んだのだ。
だとしたら。
そのまま、さっと振り向いて駆け出していた。
フリード様がわたくしを呼ぶ声が聞こえたような気がしたけれど、もう止まることも振り返ることもできなかった。
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