第118話コウハイ

 俺は覚悟を固めて後ろを振り返った。

 そこには、小柄な女が笑っていた。


 俺は彼女の顔を確認すると、また妖精の悲しい声が聞こえた。


生存タナトス領域、解放確認』


共感覚シナスタジア領域、接続確認』


 おそらく、ターニャがアカシックレコードに介入し何かしようとしているんだろう。おそらく、この動きはアカシックレコード本体の思惑を超える動きだろう。


 アカシックレコード本体の思惑通りなら、この状況ではなく別のタイミングで力を解放するはずだ。わざわざ、死にそうな状況を作る必要はない。リスクが高すぎる。


かなで、なのか?」


「はい」


 ブラック企業時代の後輩であり、俺が守ることができなかった女性。そして、社会人時代の恋人でもあった奏は笑って自分の部屋でくつろいでいた。


 お気に入りのクッションを抱きながら。


「そんなところで突っ立ってないで座ったらどうですか? これはセンパイの意識領域を極限化させるために妖精さんが見せている走馬灯なようなものですよ。私は私であって、私ではない。あなたの記憶から再構築された私です」


「すぐに会えなくなるのか?」


「そうですね。こんなに自由な会話ができるのは、たぶんこれが最後。あなたに伝えたかったんですよ。これはあなたの記憶から再構築された私の言葉……もしかしたら、オリジナルの気持ちとは別の言葉かもしれません。でもね、センパイ? これだけは……あなたに伝えたいという気持ちだけは、本物だから……」


 彼女は言葉を詰まらせながら続ける。


「私はもっとあなたに頼るべきだった。あなたはいつも私に手を差し伸べてくれていたのに。そして、最悪の選択をしてごめんなさい。自分勝手だった。いくらでもやりなおせた。あなたがいてくれたのに、信じることができなかった。自分勝手だけど、これだけはホントだよ。あなたのことが大好き。これまでも、これからも……もう少しだけ一緒にいたかったな」


 彼女は言い終わると、クッションを強く抱きしめる。人差し指同士を交差して。


「さぁ、そろそろ時間ですよ。短い時間だったけど、センパイと話せてよかった。次はもうないですよ? 気をつけてくださいね?」


 彼女は意を決して笑った。

 俺は、彼女を抱きしめる。


「センパイ?」


「もう、嘘はつかなくていい。ターニャ……」



 ※


「……何を言っているんですか、センパイ?」

 彼女は、振り返ろうとせずに、背中を向けて語る。あえて、こちらに顔を向けなかった。本当に悲しい時は、彼女は自分の本心を悟られないようにするための癖だ。


 奏は、優秀な後輩だった。優秀過ぎた故に、彼女は苦しんだ。皆、奏の能力が怖かったんだ。だから、あんな陰湿なことをされて……


 彼女は優秀だったから、誰にも頼ることができなかった。恋人だった俺にも……

 同じことをやろうとしている後輩を俺はもう手放すつもりはなかった。


「ターニャは、奏なんだろう? お前は、奏の姿で、俺に別れを告げようとしている。そうじゃないか?」


「いつから気づいていたんですか?」

 彼女は自白する。


「そうだったらいいなって思っていた。でも、俺の願望じゃないかってずっと思ってたよ。ターニャに、奏のことを重ねているだけだって……この世界に来てから、夢にすら出てくれなくなった」


「知りませんよ、そんなこと」


「ダンボールって、何度もリサイクルされるから、その分人間の思いを受け継ぐんだろう?」


「……ええ、そうです。覚えていますか。私がセンパイと初めて仲良くなった時のこと?」


「会社の書庫で……たしか、ダンボールで指を切った奏に、絆創膏ばんそうこうをあげたんだよな」


「ええ、そうですよ。やっぱり、覚えてくれていたんですね。私がそれを使ってあなたを助けたのはそれが理由です。普通だったら選ばないですよね、ダンボールなんて? でもね、私にとってはあの思い出が特別だった。あの書庫からあなたと楽しく過ごせた思い出が、私にとっては永遠の宝物だったんだよ?」


「俺もそうだよ。お前は、奏なんだろう? オリジナルの?」


「聞かないでよ、センパイ。それを聞いたら、別れるのがつらくなるのは、あなたなんだよ?」


「もうお前を絶対に手放さない」


「無理だよ。妖精の命をあなたにあげないと……安全装置が解除されたアーカーシャシステムに耐えられない。すでにボロボロのセンパイじゃダメだよ。私がいなくても大丈夫。ウイリーさんだっているじゃない。先輩が……私がここで犠牲になって先輩が生き残れば、すべての努力が実を結ぶ。ヴォルフスブルクは超大国となり、アカシックレコードが直面している限界の新しい可能性を示すことができる。そうやって世界が変われば、数億人、ううん、数十億人の人間が希望をもって生きられるようになる」


「お前ひとりを守れなくて、何が人類の希望だ」


「くっ……『意識領域、アリアドネの糸からクロノスタシスへと到達』」

 彼女は、苦しそうにしながら手順を進めようとする。だが、俺はそんなことは許さない。


 ターニャの体を強引に抱き寄せて、俺は奏のくちびるを奪った。

 泣いていた彼女は、それに驚き頬を染める。


誘導装置ターニャ別人格アルターエゴへと変換。なんで……』

 致命的なエラーが発生したのは間違いない。

 

「もう大事なものを守り切ると決めたからだよ」


 彼女の部屋は崩れていく。俺の腕の中に奏を残して。


『モード:アイギス始動』


 ※


 俺たちは、2度と許されなかったはずのキスをする。時間の流れが永遠に俺たちを別れさせたが、その先にまた俺たちを結び付ける。世界の変化をすべて知っているはずのアカシックレコードが存在する世界でこんなことを言うのは滑稽かもしれない。でも、俺は確信した。


「この世界は全部必然でできているんだよ。俺と奏がこうして再会できたことも運命だと信じたい」


「そうやって……あなたはいつも私を惑わせる」


「俺は戦争を終わらせる。この世界に新しい可能性を作る。それが手を血で汚した俺ができることだと思うから。お前にも手伝ってもらうぞ、奏? 俺をこっちに連れてきた責任を取ってもらう」


「……『モード:アイギス始動』……えっ!?』


 俺たちは現実世界へと導かれた。


 ※


―アカシックレコード―


「まさか、あの土壇場で隠しコードを見つけるなんてね。この先どうなるかもわからないよ」


 おそらく、ターニャが目指していたのは、アーカーシャシステムの最高領域である"モード:ゼウス"。アカシックレコードが持つ能力をほとんど使用できる至高の領域にまで達することができるはずだ。だが、生身の人間では耐えられない。だからこそ、彼女は自分を犠牲にして、クニカズを器にしようとしたんだろう。


 彼が拒まなければ、それは可能だった。だが、彼が拒否したことで、世界の未来は混沌に包まれた。

 

 それにしてもモード:アイギスとは、クニカズらしい。

 主神ゼウスが娘のアテーナに与えた最強の楯。あらゆる邪悪や災厄を取り除くものだ。メドゥーサの石化能力すら無効化するとも呼ばれている。


 過去に失った絆も、新しく作った同士もすべて守ると心に決めた彼にふさわしい能力だ。


 未来の可能性が、生まれた。

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