第88話 王妃③

「王妃様。そろそろお時間です」


 私は、眩いばかりの純白のドレスに身を包みながら、声をかけてくれたシャーロットの方を向く。


「お綺麗です、王妃様」


 私の姿を見たシャーロットが笑みを浮かべながらそう言ってくれた。


 今日は王様と私の結婚式。


 王国中からだけでなく、隣国である商国や帝国からも多くの来賓が訪れる盛大な式。


 その中心にいるのがまさか自分だなんて、今でも信じられない。


 神国からは、その後特に何の音沙汰もなかった。

 攻撃されることもなければ、謝罪が来るわけでもない。


 一応、式の案内を送ってみたものの、当然の如く返事も来なかった。


 王様と私が襲われた日から二ヶ月。


 あっという間に月日が経った。


 王様に二度も助けられて、王様のことを好きだと気付いてから、私の世界は一変した。


 恋する気持ちを知らなかったかつての自分が嘘のようだった。


 王様の一挙手一投足が気になって仕方ない。


 王様が笑えば嬉しい。

 王様が悲しそうな顔をすれば、きっと王様以上に悲しくなる。


 王様が私に構ってくれたら幸せの絶頂になる。

 王様が別の女性と話しているのをみると、胸がキュッと締め付けられる。


 王様は優しい。


 いつも私のことを気にかけてくれる。

 私の代わりに扉は開けてくれるし、椅子も引いてくれる。


 シャーロットが「それは私の仕事です」と言っても聞かない。

 私のことを最優先で考えてくれる。


 王様と一緒に襲われた後、何か特別なことがあったわけではない。


 結婚式の準備が慌ただしい以外は、ただ淡々と日々を送っているだけだ。


 でも、そんな日々が特別だった。


 好きな人がいる生活。


 それがこんなに幸せなことだったなんて。


 でも。


 それは私と王様が両思いになれたからだ。


 もしこれが、私の片思いだったなら。

 こんなに好きな気持ちを抱えていても、相手に伝えることもできずにいたのなら。


 それは何で辛いことなんだと思う。


 エリスはそんな日々を過ごしていたんだ。

 そう思うと、エリスに対する申し訳ない気持ちが増し、エリスの分まで幸せにならなきゃと思う。


 今にして思えば、あの日、森の中で魔物に食べられそうになった時、王様に助けてもらえたのは奇跡でしかない。


 たまたま王様が森の中にいて、助けられたのが私だった。


 そんな偶然あるのだろうか。


 もしこの世界に運命というものがあるのなら、あの日王様に助けられたのは運命以外の何者でもないのかもしれない。


 思い出すだけでも恥ずかしい、魔物の粘液まみれのみっともない姿の私なんかのことを好きになってくれた王様にも、感謝しかない。


 私はシャーロットの方を向く。


「ありがとうシャーロット。貴女から好きな人を奪って自分だけ幸せになろうとする私に、そんな嬉しい言葉をかけてくれる貴女には感謝しかないわ」


 私の言葉にシャーロットは首を横に振る。


「いいえ、王妃様。王妃様のおかげで、陛下の幸せそうな顔が毎日見られます。陛下が幸せになり、お側でその姿を見られるなんて、こんなに嬉しいことはございません」


 私はそんなシャーロットを抱きしめる。


「私、ちゃんと人を好きになる気持ちが分かった。だから、シャーロットがどんな気持ちで過ごしてきたかも少しは分かるようになったつもり」


 そんな私の腕の中にしばらくいた後、シャーロットが私を押し戻す。


 その目から、一筋の涙が流れる。


「私の涙なんかで、王妃様の美しいお顔を汚すわけにはいきません。早く外に参りましょう。陛下もお待ちですよ」


 シャーロットにそう言われて、部屋の外に出ると、王様がいつもとは違う立派な服を着て立っていた。


 華美な装飾を好まない王様は、普段はいつでも戦えるようにと言いながら、動きやすさ重視の服を着ている。


 でも今日は、赤色の生地に、控えめながらも金の装飾がついた服を身に付けていた。


 私の姿を見た王様が固まって動かなくなってしまう。


 しばらくそのままの姿の王様に、心配になった私は尋ねる。


「……大丈夫ですか?」


 私の言葉で我に帰った様子の王様が答える。


「すまない。あまりに綺麗すぎて見惚れてしまった」


 王様の言葉に、私は照れで頬が赤くなるのを感じる。


「こほん。惚気はそれくらいにされて、式場へ向かいましょうか」


 王国の結婚式に決まった形はないらしい。


 王国の東部地方の文化らしいワソウという服装で式を挙げる人もいれば、獣人のように仲間内で酒を飲んで盛り上がるだけの式もある。

 さすがに邪神へ永遠の愛を誓ったりしないけど、神国風の式を挙げる人もいた。


 今回は、私が神国の出身ということで、神国風の式をあげた後、王都をパレードし、最後に、王国首脳部のメンバーと一部の来賓でパーティーを開くということになった。


 私の両親も呼びたかったが、送った手紙は届いてすらいないのか、何の返事もない。

 神国との関係を考えれば仕方ないことだと諦めた。

 聖女候補になった時点で、もう会えないことは覚悟していたし。


 王様と私が案内されたのは、神国の大聖堂ほどではないけど、聖堂を模したそれなりに大きな建物だ。

 邪神を信仰していない王国で、こんなに立派な聖堂があるのを知った時は驚いた。


 でも、神国から逃げてくる人も多く、文化に寛容な王国では、邪神さえ信仰しなければという条件で、特に問題なく建設されたらしい。


 重く大きな扉が開かれると、そこにはたくさんの人がいた。

 見知った顔もいれば、初めてみる顔もあった。

 ただ、一様に皆んなが、王様と私をみている。


 王様が腕で輪を作り、私がそこに腕を通す。


 皆んなが笑顔で拍手を送る中を、王様と私はゆっくりと歩く。


 一番前まで歩ききると、そこでみんなの方を向いて礼をする。


 全員の注目が集まる中、王様が口を開き、誓いの言葉を述べる。

 私もそれに続いての言葉を口にし、王様と向い合う。


 神国の悪魔に襲われた日以来、口付けはしていなかった。

 その日以来の口付けをみんなの前で交わす。

 歓声が上がる中、私は再びみんなの方を向く。


 夢のようだった。

 淡々と進んでいく式の全てが夢のように感じられる。


 小さな頃から夢見ていた物語のような恋。

 その恋ができて、しかも、初めて好きになった人と結ばれる。

 しかもその相手が、隣国の王様で最高の男性だなんて、これが夢だと言われても信じられる。


 王都でパレードを行い、パーティーでみんなから祝福される間も夢のように感じられた。


 全ての行事が終わり、王様と私は、同じ寝室で同じベッドの前にいた。


 一日があっという間だった。

 何が何だか分からないうちに一日が終わってしまった。


 一つ確かだったのは、国中が私たちを祝福してくれたこと。

 敵国から嫁いできた私を、暖かく迎え入れてくれたこと。


 私は、この国から来てわずかな間に、この国のことが好きになっていた。


 大好きな人が王を務めるこの国が。


 私がベッドに腰掛けると、王様も少し離れてそっと座る。


「ありがとうございます、王様。王様が私を選んでくれたおかげで、私はとても幸せです」


「そ、それは良かった」


 なぜかぎこちなくそう答える王様。


 何か気に食わないことでもあったのかと思い、王様の顔を覗き込んだが、そうではなさそうだ。


 もじもじと、いつもの威厳ある態度からは想像もつかない様子を見せる王様。


 その様子を見て、私は気付く。


 今日は結婚初夜だ。


 今まで王様は、極力私に触れないようにしていた。


 私はそんな王様の指に自分の指を絡める。


 慌てた様子の王様の顔を間近で見つめながら、私は王様に告げた。


「私、王様のことが大好きです」


 王様が私の目を見返す。


 間近で見つめ合う私たち。


 男性経験のない私の胸がバクバクと波打つ。


 王様の唇がゆっくりと私の唇に触れる。


 柔らかい唇がしばらく触れた後、ゆっくりと王様の舌が私の口の中に入ってきた。


 蕩けるような感触で、私の脳がおかしくなりそうになる。


 いつの間にか、ゆっくりとベッドの上へ倒されていた私。


「疲れているだろうから、無理なら言ってくれ」


 優しくそう言ってくれた王様に、私は首を横に振る。


「私、初めてで夜のことは何も分かりません。でも、私は今日、王様と結ばれたいです」


 私の言葉に頷いた王様。

 唇がもう一度触れ、体が宙に浮いたような不思議な感覚になる。






 そして私は、神国の村にいた時に思い描いた理想を超える最高の一日を過ごすことができた。

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