第84話 聖女⑨

ーーブシャッーー


 大量の粘液が私の体に降り注ぐ。


 ああ。


 この魔物に食べられるんだ。


 そう思った私の両手両足が自由になる。


 丸呑みにされるから触手が離れたのかと思ったがそうではなさそうだった。


 なぜかは分からないけど、まるで物語のお姫様が抱き抱えられるかのように、私は誰かに支えられた感触を覚える。


 そんなはずはない。


 もう私は死んでいて、夢でも見ているのか。


 そう思いながら恐る恐る目を開くと、私の顔を覗き込むように見ている男性の顔が見えた。


 今まで出会ったどの男性より整った顔をした、黒眼黒髪の若い男性。


 男性が口を開く。


「大丈夫か?」


 歳の割に落ち着いた低い声。


 その声が、終わりの知れない逃避行の末、魔物に魔力を吸われ限界だった私の心身に染み渡る。


「今、大丈夫になりました」


 私の言葉を聞いた男性が一瞬固まった後、ふっと笑う。


「それなら良かった」


 はにかむ顔に、私の心臓がキュッと締め付けられるような、今まで感じたことのない感触を感じる。


「陛下!」


 後ろから聞こえる男性の声。


「御身を何だと考えてらっしゃるのですか! だから陛下を森にお連れしたくなかったんです。いくらお強い陛下でも、独断専行されますと、万が一ということがございます。今後は気晴らしに魔物退治に出ることを禁止しますよ」


 男性の言葉に肩をすくめる陛下と呼ばれた男性。


「そう言うな刀神よ。私が急いでいなければ今頃この女性はあいつの腹の中だったぞ」


 刀神と呼ばれた男性が、私を見て眉を顰める。


「陛下、その女、身なりからして神国の者です。一人でこんな森の奥にいるなんて、我らが王国に潜入しようとしていたものかも知れません」


 そう言って、腰に挿した見慣れぬ形の剣に手をかけた刀神と呼ばれた男性。


「ち、違います」


 私の言葉を聞いた陛下と呼ばれた男性と目が合う。

 しばらく目を合わせた後、陛下と呼ばれた男性が首を横に振る。


「スパイではない。それよりこのままでは可哀想だ。城に戻って休ませてあげよう」


 その言葉を聞いた刀神と呼ばれた男性。


「正気ですか? 何を根拠にスパイではないと?」


 陛下と呼ばれた男性が自信たっぷりに答える。


「勘だ」


 呆れた顔をする刀神と呼ばれた男性。


「陛下がそう仰られるならもうこれ以上は申し上げません。ただ、得体が知れないのは事実。せめてその女から離れてください。城までは拙者が運びます」


 私はその言葉を聞いて、反射的に陛下と呼ばれた男性の服を掴む。


「はははっ。嫌らしいぞ。城までは私が運ぶ。お前は魔物の不意打ちから私たちを守れるよう警戒しておけ」


 





 そこから森を抜けるまでは二時間ほどだった。


 私はだいぶ王国に近づけていたらしい。


 さっき魔物にやられていたら、死んでも死に切れないところだった。


 森を抜けた私たちは、洞窟のようなところに入る。


「この魔法陣は他言無用で頼む」


 陛下と呼ばれた男性の言葉に、私が頷くと、三人で魔法陣の上に乗る。

 そして、刀神と呼ばれた男性が魔法陣に魔力を注ぐと、突然魔法陣が光はじめ、視界が光に包まれた。


 次の瞬間、私たちは巨大な城の塀が見える小屋の中にいた。


「転移の魔法は大賢者様が開発し、限られた者しか知らない国家機密だ。漏れたら困るから黙っていてくれ」


 陛下と呼ばれた男性の言葉に、刀神がため息をつく。


「そんな機密を、なぜ初対面の得体の知れない女に漏らすかな……」


 刀神と呼ばれた男性の言葉を無視し、陛下と呼ばれた男性が、私の顔を見る。


「もうすぐ着くから後少しだけ待ってくれ」


 その言葉に頷く私。


 小屋を出て城に向かうと、門のところで二人の門番に止められる。


「お帰りなさいませ、陛下……って狩に行くと仰ってましたが、まさか女性を狩に行っていたなんて……」


 門番の言葉を聞いた、陛下と呼ばれる男性が慌てて首を横に振る。


「いやいや。魔物に襲われていた女性を助けただけだ」


 門番はジト目をしながら陛下と呼ばれた男性と私を見比べる。


「でも、刀神様に任せず、陛下自ら女性を抱き抱えてらっしゃいますし、粘液まみれの女性を抱えてるってシチュがエロいし」


 門番の言葉に、私まで恥ずかしくなる。


「と、とにかくやましいことは何もない。外傷はなさそうだが衰弱が激しい。医官を呼んでくれ」


 陛下と呼ばれた男性の言葉に、門番が敬礼で答える。






 巨大な城に連れられた私は、城の中にある部屋の中で、陛下と呼ばれた男性からメイドの女性に引き渡された。


「……陛下。女性に興味ないかと思ってましたが、まさかこんな趣味があるなんて」


 蔑むような目線を向けられた陛下と呼ばれる男性。


「だから、私は魔物に襲われたこの女性を助けただけで……」


 メイドの女性は、おそらく魔力で強化された腕で私を抱き抱えると、その言葉を無視して、くるりと背を向ける。


「これからこの方の体を洗います。男性は出ていってください」


 メイドの女性にそう言われ、陛下と呼ばれた男性と刀神と呼ばれた男性は、そそくさと部屋を去る。


「それではこちらへ」


 メイドの女性はそう言って私を脱衣場のようなところへ連れていく。


「失礼します」


 そう言うと、有無を言わさず私の服を脱がし、風呂場へ移動した。


 立派な個室風呂で、私はメイドの女性から体を洗われる。


「じ、自分で洗います!」


 私がそう言っても、メイドの女性は私の体を洗うのをやめない。


 同じ女性といえど、裸体を触られるのは恥ずかしい。

 エリスにすらそんなことはされてないのに、と思い、胸がちくりと痛む。


 体を現れた私は、フカフカのタオルで体を拭かれた後、ゆったりとしたタオルのような素材の服を羽織わされ、再び抱きしめられて、フカフカのベッドにそっと置かれた。


 私は体を起こし、メイドの女性に尋ねる。


「ここはどこで、彼の方はどなたですか?」


 私の問いに、メイドの女性はじっと私の目を見てきた。


「知らないふりをしているわけではなさそうですね。ここはクラージュ王国。二千年平和を維持する偉大な国の王城です。そして貴女を連れてきた男性はこの国の王アルフォンソ様です」


 私は王国に辿り着けた。

 しかも、陛下と呼ばれていたことから察してはいたが、私を助けてくれたのがこの国の王様だなんて。


「あの。王様に会いたいのですが」


 私の言葉に、メイドの女性の目つきが変わる。


「貴女が何者かは知りませんが、あの方に害を加えようというのなら容赦はしません」


 私は首を横に振る。


「いいえ。助けていただいたお礼がしたいだけです」


 私の言葉に、メイドの女性が少しだけ考える。


「陛下はご多忙です……が、お伺いだけ立ててみましょう」


 私はメイドの女性に頭を下げる。


「ありがとうございます」






 話してもらった結果、私は夕食を一緒に食べさせてもらえることになった。


 メイドの女性が、私の服を脱がすと、綺麗な白いドレスを着せてくる。


「こ、こんな服恥ずかしいです」


 メイドの女性は私の言葉を無視する。


「王に御目通りするのに、見窄らしい格好をさせるなんて、私が許しません」


 その結果、私は今まで見たこともない綺麗なドレスを着て、食事をすることになった。


 食堂に入ると、細長い白い机の一番奥に王様が座っていた。


 部屋に入った私を見ると、王様が少しだけ固まった後、目を逸らす。


「無事回復したようで何よりだ」


 王様はすぐに視線を戻してそう言った。


「こちらこそ、助けていただきありがとうございました」


 私の言葉を聞いた王様は笑顔を見せる。


「たまたま魔物を狩っていたら貴女が襲われているところに出会しただけだ。でも、助けられて良かった」


 王様の笑顔に、私はドキッとする。


「とりあえず食事を摂ろう。貴女の口に合うかは分からないが」


 私は案内されるがまま、王様のすぐ近くの席に座った。


 今まで食べたことのないご馳走をいただきながら、私は王様と会話する。


 他愛もない会話をした後、王様は真っ直ぐに私を見て尋ねてきた。


「そういえば貴女はなぜあそこに? 神国からあそこまで来るには、魔物の巣窟である森を、何日もかけて進まなければならない。ただの一般人が手ぶらで来られる場所じゃない」


 王様の言葉で、部屋の空気が張り詰めたのが分かる。


 そばで控えるメイドの女性も、離れた席で黙々と食事をとっていた刀神と呼ばれた男性も。


 返答次第では私を攻撃できるよう、準備しているのが伝わってきた。


 私は正直に答える。


「私は、神国の聖女候補でした」


 私の言葉で、部屋の緊張が一段と高まるのを感じたが、そのまま話を続ける。


「田舎の村娘に過ぎなかった私は、百人の聖女候補の一人として、神都に集められ、そこで二年間聖女になるために育てられました。ただ、私以外の聖女候補は聖女のための贄として殺され、唯一生き残った私も、聖女になった後、女神様を降臨させるための依代にされると言われ、逃げてきました」


 淡々と話すよう心がけた私。

 でも、この話を口にすると、どうしても思い出してしまう。


「私だけ生き残るなんてずるいのは分かってます。でも、エリスが……あいつらに殺された大事な友達が、私に幸せになって欲しいって言うから、私は自分だけ生きるために逃げてきました」


 溢れる涙を止めることができず、私は嗚咽を上げてしまつた。


 そんな私を見て立ち上がり、真っ白なハンカチで、私の涙を拭ってくれる王様。


「この子を王国で保護しよう」


 王様の言葉に、メイドの女性と刀神と呼ばれた男性が反対する。


「神国が逃げ出した聖女候補を許すとは思えません。この女性を取り戻すために、神国と争いに発展する可能性があります」

「私もそう思います。次の聖女を奪ったとして、神国が我々に戦争を仕掛ける理由にされかねません」


 二人の言葉に俯く私。


 確かに二人が言う通りだ。

 見ず知らずの私のために、関係ない人たちを危険に晒すわけにはいかない。


 この国を去ります、そう言おうとした時だった。


「ダメだ。この女性には、この国に残ってもらう。二千年前も、邪神は当時の聖女の体を乗っ取ってこの世界に降り立ったという。わざわざ邪神のために動くことはない。それに、もうすぐ邪神が現れるというのなら、私たちは神国についてもっとよく知っておく必要がある。二年も聖女になるための日々を過ごしてきたこの女性なら、きっと役に立つ情報を持っているはずだ」


 そう力強く語る王様。


「ですが、神国が黙っているとは思えません」


 引き下がらない刀神に、王様は少しだけ考えて答える。


「なら、神国も黙らざるを得ない理由を作ればいい」


 そう告げる王様。


「そんな理由あるわけが……」


 なおも納得しない刀神に、王様が答える。


「私が結婚すればいい」


『えっ?』


 ……あまりに想定外の言葉に、王様以外全員の声がこだました。

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