第80話 聖女⑤

 聖女様の言葉通り、次の日からは理不尽に誰かが殺されることはなかった。


 神国の歴史。

 女神様の偉大さ。

 政治に経済。


 午前中、北の村では学ぶことなどなかった高度なことを学ぶ。


 魔法。

 剣術。

 体術。


 午後は戦う術を身につける。


 頭も体も毎日フル稼働だった。

 ヘトヘトに疲れる毎日。


 でも、これまでになかった経験は、とても刺激的だった。


 特に、魔力が使えるようになり、魔法を覚えられたのは、すごく嬉しかった。


 ……最後の一人になるまで競い続けなければならないという現実を忘れてしまいそうになるほどに。


 いつも私の隣で魔法を放つエリスは、ずば抜けて優秀だった。


 勉強はもちろん、魔法も剣術も体術も。


 全てにおいて彼女に敵う人はいないほどに。


 そんな彼女の横で、私も着実に成長していく。


 勉強は苦手だったが、魔法と剣術と体術の実力は、自分でも分かるほどにどんどん伸びていった。


 苦手な勉強はエリスが教えてくれた。

 二人だけになってしまった部屋に戻ってから、眠りにつくまで親身に教えてくれた。


 私はエリスに尋ねる。


「何でエリスはそんなに私に親切にしてくれるの? 結局最後は一人しか生き残れないのに。私に親切にしてくれても、それは無駄にしかならないよ」


 私の言葉を聞いたエリスはにっこりと笑う。


「目先の損得にとらわれること勿れ。善なる隣人には誠意を持って接し、隣人が惑いし時は、その力となり、互いに支えとなること。貴女も教わった女神様の教えよ。私はそれを実践しているだけです」


 私は頷く。


 確かにエリスは信心深い。

 女神様の教えにも忠実だ。


 これだけ女神様の教えに忠実に生きるのは三十人の聖女候補者の中でもエリスだけだろう。


 ……ただ。

 私は、もっと違う答えが聞きたかった。


 そんな私の気持ちを察したのか、エリスは言葉を続ける。


「でも、正直なことを言えば、一番困っていそうな貴女を助けることで、貴女が私のことを信頼し、私が危機に陥った時、助けてもらいたい、という損得勘定もありました」


 初めて聞くエリスの人間らしい言葉に、私は少しだけ安心する。


「そんな気持ちあって当然だよ」


 私の言葉にエリスは首を横に振る。


「個人の欲を考えている時点で、聖女には相応しくありません。誰よりも民を思い、どれだけ自分を犠牲にできるか。それこそが聖女に求められる資質だと思いますから」


 私はその言葉に下を向く。


「そんなこと言ったら私なんて自分のことしか考えてないから。私から見たら、エリス以上に聖女に相応しい人なんていないよ」


 自分がただの田舎の村娘から、少しだけ成長したことで、エリスがどれだけすごいか分かってきた。

 恐らく、物心ついた頃から女神様の教えに忠実で、自分に厳しく過ごしてきただろうエリス。


 そんなエリスに、ほんのわずかな期間、付け焼き刃的に鍛えただけの私が、敵うわけがない。


 ただ、そうなると私の人生はあと僅かだ。


 エリスが聖女になると、他の約三十人は殺される運命。

 エリスが正式に聖女になるまでのほんの僅かな時間が、私の余命。


 その言葉に、再び首を横に振るエリス。


「いいえ。何の知識も技術もない状態から他の候補者たちと肩を並べるまでに成長し、私も含めた誰よりも魔力量の多い貴女もすごいと思います」


 エリスの言葉に私は頭を掻く。


 確かに、実技と勉強を平均すれば、候補者の真ん中くらいの成績にはなった。

 聖女様の激痛を伴った儀式以来、昔の聖女様の血筋のおかげなのか、魔力量も爆発的に増えてはいた。


 でも、それだけで聖女になれるわけがない。

 どう考えても聖女になるのはエリスだろう。


「ないとは思うけど、もし万が一聖女になれたとしたら、エリスは生き残れるようにするね」


 私の言葉に、いつもとは違う少し寂しげな笑顔を見せるエリス。


 その表情の意味が分からなかったが、エリスは無理矢理話題を変えるかのように、パンと手を叩き、いつもの笑顔を見せる。


「そう言えば今夜の夕食は貴女の好きなシチューのようですよ。もうそろそろ時間ですし、行きましょうか」


 私はそれ以上追求せず、エリスの言葉に笑顔を返す。


「そうね。一緒に行こう」


 どちらにせよ、私にできることは自分を磨くことのみ。


 可能性は低くとも、生き残れるようするには、それしかなかった。






 その日の夕食はエリスが言った通り、私の好きなシチューだった。


 喜んでスプーンで掬い、一口口に入れたところで違和感を覚える。


 何か異物を混ぜられたかのような味。


 食料の少ない北の村では、森で採れた野草やキノコをよく食べる。


 野草やキノコには毒や幻覚作用を持つものも多く、そう言ったものを間違って食べないよう、少しずつ舌に覚えさせられた。


 普通の人なら気づかないであろうわずかな違い。


 ただ、私の舌は、幻覚作用を持つキノコに近い味を感じた。


 何も気にせず口にする残りの候補者たち。


 ここで好物を食べないのは明らかに浮いてしまう。


 ここのところ教会の人たちから、命を失うような仕打ちを受けることはなくなっていたが、私は教会の人たちを信用してはいなかった。


 よく分からないものを口にするわけにはいかない。


 かと言って食事を口にしないと教会の人たちから疑念を抱かれ、殺されてしまうかもしれない。


 少しだけ考えて決意を固めた私は、他のご飯を急いで食べた後、シチューを流し込むように一気に飲み干す。


「ああ、美味しかった! でも、食べすぎちゃってお腹が苦しいから、先に部屋に戻るね」


 エリスにそう言って足早に部屋に戻った私は、お手洗いに駆け込み、口にした物を全て吐き出す。


 口にしたものを体が吸収するには時間がかかるというのは、教会の勉強で学んでいた。


 間に合ったかどうかは分からないが、思いつく手はこれしかなかった。


 しばらくして部屋に戻ってきたエリス。


「食べ過ぎたみたいだけど大丈夫?」


 見たところ普段と変わらない様子のエリス。


 幻覚作用のキノコの味のことをエリスに伝えようか迷ったが、教会を信じるエリスにそのことを話しても、信じてもらえず、逆に私が信頼を失ってしまうかもしれない。


 それに、幻覚作用はあるが毒ということではなく、少量なら体に影響ないと判断して、教会の人が隠し味のつもりで入れた可能性もある。


 迷った末に、私は黙っておくことにした。


 その後も、幻覚作用のキノコと似た味の食事は時折出た。

 その度、食べすぎて部屋に戻るのも怪しまれると思い、普通の食事の時も、早食いで部屋に戻る日を設けるようにした。


 その後もエリスの様子に変化はなかったので、私の杞憂だったのかもしれない。


 それでも私は、幻覚作用のキノコと似た味の食事はお手洗いで吐き、食べないようにする生活を続けた。





 ……そしてそれが運命の分かれ道だった。

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