第73話 王の息子④

「か、可愛いわ!」


 翌日、お母様がいつもお着替えをされている部屋から、お母様の大きな声が聞こえてきた。


 何事かと思っていると、お母様の部屋から、お母様と、この世のものとは思えない綺麗な女の子が出てきた。


「お母様、その子は?」


 僕の問いかけに、お母様がはぁっとためいきをつく。


「零点よ、ルーク。自分の婚約者も分からないの?」


 お母様に言われて、僕は改めてその女の子を見る。


 サラサラの美しい金髪。

 綺麗な白い肌。

 神話の絵画のように整った顔立ち。

 そして宝石のように美しい大きな紅い眼。


 ボサボサの髪と荒れた肌。

 虚な目にこけた頬。


 みすぼらしかった昨日の少女の姿はそこにはなかった。


「あの、その、可愛過ぎて……」


 僕の言葉を聞いてお母様は、不機嫌そうな顔から笑顔に変わる。


「うんうん、そうでしょう? グレンちゃんすごく可愛いの。こんな可愛い娘ができて、私も嬉しいわ」


 お母様の言葉に、僕は首を傾げる。


「娘って?」


 お母様はそんなことも分からないの、と言いたげな顔で答える。


「私の息子であるルークの妻になるんだから、そしたらグレンちゃんは私の義理の娘になるのよ」


 お母様はそう言って、グレンを後ろからギュッと抱きしめた。


「いや、まだ結婚するって決めたわけじゃ……」


 僕はそう言いながら、あまりにも可愛くなり過ぎてしまったグレンから目を逸らす。


 そんな僕を見てお母様はニコニコと笑う。


「ルークももう、照れちゃって」


 お母様に揶揄われるのも慣れてきたので、僕は気にしないことにした。


 するとグレンが、お母様から離れて僕の方へ近づいてくる。


「ルーク。ワタシ、カワイイ?」


 本人に面と向かって聞かれ、ますます照れてしまう僕。

 でも、嘘はつけない。


「か、可愛いよ」


 僕が素直にそう答えると、グレンは嬉しそうな顔をして微笑み、お母様はうんうんと頷いている。


 自分の顔が赤く染まっていることを自覚しつつ立っていると、後ろから声をかけられた。


「ルーク様。お勉強の時間です」


 僕は表情を引き締めて、振り返り、返事をする。


「分かりました」


 そう返事をしてから、僕はお母様に尋ねた。


「グレンはどうするの?」


 お母様は答える。


「とりあえずは、言葉と読み書きを覚えてもらおうと思うわ。その後どうするかは、グレンちゃんの意思を確認しながら相談ね」


 お母様の言葉に頷き、その場を去ろうとすると、グレンが僕の服の裾つまむ。


「ルークトハナレル、サミシイ」


 なんて可愛いんだろうと、離れるのが嫌になるけど、僕はお父様とお母様に約束した。


 しっかり勉強と鍛錬をして、立派な王になると。


「グレン。僕も離れたくないけど、僕は君を守れるくらい立派な王になるために、やらなくちゃならないことがあるんだ。グレンにも立派なおう……じゃなくて、王の右腕になってもらうためには、色々勉強してもらわなくちゃいけない」


 僕の言葉を聞いたグレンは、目に涙を浮かべながら頷く。


「ワカッタ。ルークトハナレルサビシイ。デモ、ガマン。ベンキョウガンバル」


 そんなグレンを見て、僕も泣きたくなってきたが、涙を堪えて決意を新たにする。


 一刻も早く立派な王になろうと。





 勉強は好きじゃなかった。

 でも、苦手というわけでもなかった。


 魔力がない分、僕は誰よりも賢くならなければならない。


 どれだけ鍛錬しても魔力がなければ強さには限界がある。


 でも、勉強に関してはそんなハンデはない。


 読み書き計算だけでなく、王としての心構え、政治に歴史。


 学ぶべきことはたくさんあった。


 勉強のしすぎで熱が出るくらい、僕は勉強した。


 強さに限界があるからといって、鍛錬をサボったわけではない。


 走り込みも、筋力の強化も、剣技も、出来る限り頑張った。


 魔力のない僕はこれまで鍛錬なんてしても無駄だと思ってた。


 でも、お父様もお母様もそれは違うと教えてくれた。


 鍛えたことで間違いなく強くはなるし、鍛えている姿を見せることで、兵たちの信頼にもつながる。


 たとえ誰よりも強くはなれなくても、今の自分より強くはなれる。

 それは意味があることだと。

 あと少し頑張っていれば、という後悔がないよう生きるべきだと。


 今までは聞き流してきたその言葉を、僕はちゃんと聞くことにした。


 その言葉が、何かあったときにグレンを守る助けになるかもしれないから。


 始めのうちは筋肉痛で動けなくなった。

 剣技の鍛錬で受けた痛みで泣いてしまった日もあった。


 それでも一ヶ月経つ頃には、自分でも分かるくらいに強くなっていた。


 魔力なんてなくても、今の自分よりは強くなれる。


 そう信じられるようになった。


 ただ、自分の成長以上に目を見張る成長を、僕は目の当たりにすることで、驕りはなかった。


「ルーク……様。今日も鍛錬ですか?」


 グレンは、わずか一ヶ月でほぼ完璧に話せるようになっていた。


「様も敬語もいらないよ。グレンは僕の右腕になるんだからね。自分の右腕に様付けで呼ばれるのはおかしいでしょ?」


 僕の言葉にグレンは嬉しそうな顔をする。


「昨日の授業で王族には敬語が必要だって習ったけど、本人からそう言われたなら仕方ないってことで。それじゃ遠慮なく普通に話すね」


 グレンの言葉に僕は頷く。


「それに、グレンだって王族になるかもしれないし……」


 小さな声でぼそっと呟く僕に、グレンが首を傾げる。


「何か言った?」


 そんなグレンに僕は慌てて首を横に振る。


「な、何にも!」


 グレンは首を傾げながらも、すぐに笑顔に戻る。


「そういえば私、言葉は一通り話せるようになったから、今日からほとんどの時間を、自分が好きなように過ごしていいことになったの」


 グレンの言葉に僕は微笑む。


「それは良かった。それでグレンはこれから何をするの?」


 グレンはさも当然のように答える。


「ルークと一緒にいる。私、ルークの右腕だから」


 グレンの言葉に僕は少しだけ困った。


「僕、一日中勉強と鍛錬ばっかりだからつまらないよ?」


 僕の言葉にグレンは首を横に振る。


「ううん。ルークのそばにいられるなら、それ以上に私にとって楽しいことはないから」


 あまりにも嬉しいグレンの言葉に、僕は断ることができなくなった。






 それからグレンは毎日僕と一緒に過ごした。


 一緒に勉強し、一緒に鍛錬した。


 グレンは頭がいい。

 すぐに僕に追いつきそうな勢いで、色々なことを吸収する。


 グレンは運動神経もいい。

 男女の筋力差を除けば、すぐに僕を追い越した。


 一月程そのような生活を過ごしたところで、お父様とお母様から、僕とグレンは王座の間に呼ばれた。


「どうしたの、お父様、お母様?」


 僕の問いかけにお父様が答える。


「今日はグレンに用があって呼んだ」


 僕はグレンの方を向く。

 ますます可愛くなったグレン。


 そのグレンの横顔に見惚れそうになるのを抑え、僕はお父様の話の続きを待った。


「グレンはあっという間に言葉を覚えただけでなく、勉学も運動もできると聞いた。このままルークと一緒に過ごし続けるのも一つの選択肢だろう。だが……」


 お父様は時々見せる厳しい目線でグレンを見る。


「それではルークの右腕にはなれない。ルークの右腕になるなら、ルークに足りない部分を補う存在にならなければならない」


 お父様は僕の方を向く。


「ルークは頭も悪くないし、運動ができないわけではない。だが、魔力がない。これは努力ではどうにもならないことだ」


 お父様の言葉に僕は俯く。

 事実ではあるし、誰よりも僕自身がよく理解していることだが、面と向かって言われると辛くなる。


「それに対して、グレンには魔力がある。しかも、並の量ではなく、鍛錬次第では私に及ぶほどに、だ」


 魔力がない僕には、他の人の魔力量は分からない。

 でも、お父様が言うのなら間違い無いのだろう。


「ルークの右腕になり、ルークの支えになるのなら。ルークに足りない部分、魔力を活かして支えてはどうだ?」


 お父様の言葉に、グレンは考え込む。


「せっかく言葉覚えたのに。ルークと一緒に過ごすために頑張ったのに。離れ離れになるのは嫌です」


 グレンは目に涙を浮かべて、お父様にそう訴える。


「無理にと言う話ではない。ただ、どうすれば君がルークのために、一番君の力を活かせるか、と言うことを考えただけだ」


 グレンは答えを出せずに下を向く。


「……少し考えさせてください」


 お父様はグレンの言葉に頷く。


「失礼しました」


 グレンはそう言って頭を下げて、部屋を出ようとした。


 お母様が僕を見る。

 僕は頷き、グレンの横で頭を下げた。


「外で一緒に話そう」


 グレンは頷き、僕たちは一緒に王座の間を出た。

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