第70話 王の息子①
「ルーク。お勉強の時間ですよ」
この国の王妃であるお母様が僕を呼びにくる。
僕のお父様はこの国の王。
王の子どもが次の王になるこの王国で、僕は次の王になる予定だった。
二千年前にこの国ができた時、建国者である伝説の勇者様がそう決めたそうだ。
余計なことをしてくれたと思う。
そのせいで僕は王にならなければならなかった。
僕は勉強が好きじゃない。
運動も好きじゃない。
そして何より、生まれつき魔力がない。
勇者様の再来と言われるお父様は、この国で一番賢く、一番強かった。
もちろん魔力の量もすごく多かった。
まわりの人たちから、お父様と比べられているかと思うと、絶望感しかなかった。
お母様はお母様で、元神国の聖女というすごい肩書を持っている。
神国の聖女をやめてお父様と結婚したお母様。
神国では人間以外の人の存在を認めていなかった。
魔族であるお父様と結婚するには、国を捨て、聖女という役割も捨てなければならなかったらしい。
それでもお父様を選び、全てを捨てて結婚したお母様は、すごいとしか言いようがなかった。
僕にはそんなことはできない。
何の取り柄もない僕は、お城の中でみんなに守られていないと生きていけない。
こんな僕が王になっていい訳がなかった。
歴代の王は、みんな偉大な方ばかりだ。
立派な王になるために努力を惜しまず、国を良くするために全てを費やしてきたらしい。
だからこそ二千年も続く平和な国が維持できたんだろう。
でも、それも僕の代で終わりだ。
僕みたいなやつが王になったら、この国は終わる。
王の子どもが王になるのをやめるか、お母様に別の子どもを産んでもらうか。
そうするのがこの国のためだ。
全くやる気を見せない僕に、お母様はポンと手を叩く。
「今日お勉強を頑張ったら、明日はお休みして遠出しましょう! ちょうど商国へお買い物に行きたかったのよ」
外出は嫌いだ。
いやでも人の目が気になるからだ。
ただ、遠出は別だ。
特に外国はいい。
僕のことを知らない人ばかりの国で、他人の目を気にせず過ごせるから。
お母様の言葉に、僕は自分の目が輝くのが分かる。
「お勉強頑張る!」
僕の表情を見てお母様は微笑む。
自分の母親ながら、微笑んだお母様は美し過ぎる。
そんなお母様の笑顔に少し恥ずかしくなりながらも、僕は商国への旅のため、頑張る決意をした。
翌日、僕とお母様は転移魔法陣によって商国を訪れた。
転移魔法陣は二千年前に大賢者様が開発した特別なものだ。
王国の中に数ヶ所しかないこの特別な魔法陣は、王族をはじめ、限られた人しか使うことを許されていない。
そんな貴重な魔法陣の一つは、親交のある隣国である商国につながっている。
普通に歩けば何日もかかる道のりも、転移魔法陣なら一瞬で着く。
出かける前に、お父様が不安そうな顔をしてお母様に尋ねた。
「商国は王国に比べれば治安が悪い。君の力は分かっているが、君でも絶対無事とは言えない。やはり私も行こうか?」
その言葉に、お母様は首を横に振り、僕を後ろから抱きしめる。
「私は可愛い息子との二人旅を楽しみたいの。鬼神様や龍神様クラスの敵じゃなければ引けは取らないわ。貴方は大事な政務があるからそちらを優先して。ちゃんとお土産は買ってくるから」
この国で一番偉いはずのお父様も、お母様には逆らえない。
「分かった。くれぐれも目立つような真似はしないように」
お父様の言葉にお母様は頷く。
「ルークがいるのにそんなことしないわ。安心して待ってて」
お父様にそう言って二人できた商国。
王都も栄えてはいるけど、商国にはそれとは違う賑やかさがある。
街を行き交う商人たち。
あちこちで聞こえる商談の声。
その全てがいつ来ても新鮮だ。
「お母様が欲しいものって何?」
僕はお母様に尋ねる。
「ふふふ。内緒よ」
僕たちはたわいもない会話をしながら、街をぶらぶらし、たまに気になった店があると覗いたりした。
王国にはない様々な品。
食べ物も、服も、装飾品も。
どれもそれぞれどこか知らない地域のもので、それが僕にいろんな想像をさせる。
やはり外国はいい。
人目を気にせずに過ごせるのは、最高だ。
しばらく歩いていると、なにやら揉め事の気配を感じた。
「あの人との約束もあるし、近寄るのはやめましょうか」
お忍びできているとはいえ、僕はともかく、お母様は本来なら厳重な護衛がつくべき王族だ。
揉め事を避けるのは当然のことだ。
それに僕には力がない。
何かあった時にはお母様のお荷物になるだけ。
だからお母様の判断は正しい。
お母様が強いのは知っているけど、お荷物を連れてだと、不測の事態がないとは限らなかった。
そう思い、その場から離れようと思った時だった。
揉め事が起きていそうな人混みの間から、僕には見えてしまった。
髪の毛を掴まれ、頬を打たれる少女が。
本来美しいであろう金髪はボサボサに乱れていた。
遠くから見てもわかるくらい衣服も汚れている。
打たれた頬は赤く腫れ、顔面も殴られたのか鼻血も出ていた。
遠くから聞こえてくる男の怒鳴り声を聞くと、少女は盗みでもしたようだ。
商国はお金が全て。
見るからに貧しい少女は、この国では生きづらいのだろう。
王国と違い、奴隷制度もあるのは子どもの僕でも知っている。
盗みを働いて、お金が払えない少女がどうなるかは、子どもの僕にも何となく分かっていた。
このままでは奴隷にされるか殺されるかもしれなかった。
可哀想だとは思う。
でも、よその国にはお父様でも口出しできない。
ましてや、何の力もない僕に何かできるわけもない。
少女が、虚な目をしながらこちらを見る。
少女と目が合う。
いや。
目が合ったと錯覚しただけかもしれない。
それだけ彼女は衰弱し、虚な状態だった。
ただ、彼女の燃えるような真紅の瞳を見た僕は、何だかわからない感情に支配された。
今まで感じたことのない感情。
何もない僕。
そんな僕でも何かできるのではないか。
彼女のためにできることがあるのではないか。
そう思った僕は、何も考えず走り出していた。
「ルーク!」
なぜこんな感情になったのかは、僕自身も分からなかった。
それでも、行かなければならないと思った。
人混みを掻き分け、髪を掴まれた少女の前に立った僕?
今度は確実に、少女は僕を見ていた。
僕は真っ直ぐに少女の目を見返す。
それが僕と彼女の出会いだった。
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