第57話 旅行者③

 約束は守られていた。


 私自身に直接危害が加えられることはない。


 無理やり犯されることも。

 クスリ漬けにされることも。


 それどころか、暴力を振るわれることも、暴言を吐かれることすらなかった。


 ……ただ、仕事を与えられるだけ。


 誰かをどこかへ連れて行く。


 私の仕事はそれだけ。


 直接誰かを傷つけることもなければ、誰かに傷つけられることもない。


「こいつらを王国のこの都市まで運べ」

「あいつらをあの戦場から撤退させろ」


 隣の王国を侵略するための奇襲や、一時退避のための手段として使われる。


 これは当初から想定されていたことだ。


 ……でも。


「あの女を攫え」

「あの女をあいつの部屋へ送り届けろ」


 触れてさえいれば他人も一緒に旅できる私の能力は、人を誘拐するのに、これ以上ない能力だった。


「あの宿の部屋に入りたい」

「あの家の中へ侵入させろ」


 一度入ったたことのあら場所なら、部屋の中へでも入り込める私の能力は、不法侵入するのに、何の障害もなかった。


 ……その結果起こる被害に気付かないほど、私は馬鹿じゃない。


 私のこの力のせいで、この世界の女性たちがどれだけ被害にあったことか。


 そしてその行為はどんどんエスカレートしていく。


「ちょっと激しくやったら動かなくなった。どこかに捨ててこい」

「兵士の褒美に与えたら二十人目くらいで死にやがった。処分しとけ」


 ケダモノたちの犠牲になった女性たちの死体の処分まで命じられるようになった。


「恋人が恋しいとか言いやがるから、恋人の前で犯す。こいつの恋人をを連れてこい」

「この俺が抱いてやったのに、家に帰りたいとか抜かしやがった。裸のままスラムへ捨ててこい」

「使用人が俺の陰口を言った。思い知らせるために娘を犯してクスリ漬けにして返すから攫ってこい」

「行きつけの店の女が俺の誘いを断って結婚するとか抜かしやがる。式が終わった後、初夜の直前に攫ってこい」


 命じられるがままに仕事をこなす私。


 おかげで、私自身に危害が加えられることはなかった。


 こちらの世界では未だに処女のままだし、クスリを強要されたこともない。


 ……その代わり、数え切れないくらいの不幸を量産していた。

 私がいなければ幸せに暮らしていただろう人々の平穏を壊していた。





 もちろん、暴虐の限りを尽くすケダモノたちに対して、こちらの世界の人たちも黙っているわけではない。


 妻を。

 娘を。

 恋人を。


 玩具のように扱われ。

 ゴミのように捨てられる。


 そんなことをされて、怒らずにいられるわけがない。


 ……でも。


 女神のような女性から力を与えられたケダモノたちは強かった。


 血の涙を流しながら復讐に臨むこちらの世界の人々を、虫のように殺していった。


 ただ、この世界の人々も一方的に搾取される弱者ばかりというわけではない。


 中には女神のような女性から与えられた力をもってしても、負けそうに時もある。


 そんな時は、私の力で逃げた。


 逃げる私たちを睨む、怒りと恨みに満ちた彼らの目を忘れたことはない。


 そして、対策を練った後、相性の良い力を持った称号持ちを連れて、私はまたこの世界の人々に災厄を運ぶ。


 その繰り返し。


 私のせいで。

 私が力を使ったせいで。


 数え切れない人々が、奪われ、陵辱され、殺される。


 我が身可愛さで。

 ケダモノたちの手先となることで。


 たった一人。


 私自身が無事でいる代わりに、この世界に悪意と不幸をばら撒いている。







 私は身の安全を手に入れた。

 綺麗な体も取り戻した。


 ……それなのに。


 眠る度、悪夢が私を襲う。


 夫の亡骸の横で犯される女性の目が。

 首を絞められながら射精される女性の目が。

 幾人ものケダモノに輪姦される少女の目が。


 毎晩夢に出てきては、恨めしそうに私を見る。


 恋人を攫われた少年の目が。

 妻と娘を目の前で犯された青年の目が。

 一族を皆殺しにされた男性の目が。


 私のことを睨みつける。


 私はまともに眠れなくなった。


 他人を犠牲に手に入れたはずの平穏な生活は、今にも崩れ去ろうとしていた。


 心が持たない。

 まともな精神でいられない。


 今はまだ、なんとか踏みとどまっている。


 でも、クスリの快楽を知っている私の弱い心は、この環境から抜け出そうと、救いを求めていた。


 何もかも捨てて、クスリに逃げてしまいそうになる。


 人として終わると分かっていても。


 耐えられなくなりそうな時がある。


 転生しても。


 違う体で生まれ育っても。


 一度味わったクスリの味がどこかに残ってしまっていた。


 クスリに手を出せば終わりだと分かっている。


 せっかく取り戻したきれいな体。

 数え切れないこの世界の人々を犠牲にして維持できたきれいな体。


 それを自ら手放すことになる。


 そんなことはできない。


 それは自分のためだけでなく、私のせいで傷つき殺されていったたくさんの人の犠牲を無駄にすることだ。


 その気持ちだけで、何とか我慢していた。


 ただ、その我慢も限界を迎えていた。


 魔王とその家族を卑怯で残虐な方法で殺した時から、精神の安定を失っていた。


 いつまで経っても終わらない亜人の殲滅。


 終わらない地獄に精神が保たない。


 私は願う。


 誰か私を助けてほしい。


 女神のような女は、悪魔のような存在なので、神には願わない。


 誰に願えばいいか分からない。


 でも願わずにはいられない。


 誰か助けて。


 心の中で叫ぶ。


 この地獄から私を引き摺り出して。


 今日も虚しい願いを繰り返す。


 そしてまた、この世界に悲劇をばら撒く。


 悪意を届け、人々を不幸にする。


 誰か。

 誰でもいいから。

 私を助けて。


 元の世界で一度も差し伸べられることのなかった手を、この世界でも求め続ける。

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