第42話 医者の娘②

「先生! 子供が転んで膝を擦りむいちゃいました」


 街で診療所を営む私の元へ、子どもを抱えた母親が駆けてきた。

 泣きじゃくる子供に微笑みかけながら、私は右手を子供の膝へ向ける。


 この程度の怪我なら称号の力を使うまでもなかったが、称号の力は魔力消費が著しく少ない。

 そして、魔法を使う際に必要な病気や怪我の種類の確認とそれに合わせた魔法の選択も必要ない。


 毎日大勢を治療する私は、一般の治癒魔法ではなく、称号の力を用いていた。


 このおかげで、普通なら捌ききれない患者の量も一人で捌き切れる。


 呪文の詠唱も必要なく、病気や怪我の解析も必要なく、ただ右手を向けて魔力を注ぐだけ。


 重い病気や大怪我の患者が何人も来たりしない限り、私は治療を望むすべての人に対処し切れる。

 私一人ですべての仕事をこなせるので、人を雇う必要もない。


 初めの頃はそれでも、溢れんばかりの人が押し寄せてきていたが、重い病気や怪我の人は治し尽くしたので、最近はそこまで忙しくなかった。


「治りましたよ」


 私がそう声をかけると、母親と子供両方が驚いた表情を見せた。


「痛くない!」

「もう治ったんですか?」


 私は二人に笑顔を向ける。


「女神様の奇跡のおかげです」


 そう答えた私に、二人が頭を下げた。


「ありがとう、先生!」

「治療費もいらないなんてうちのような貧しい家庭には本当に助かります」


 私は笑顔のまま頷く。


「感謝なら女神様へ。私はその力を授かったに過ぎませんから」


 私の言葉を聞いた母親の顔が曇る。


「同じ女神様を信奉する方でも、全然違うんですね。あそこの教会ではお金を取られるし、シスターたちが体を売ってるなんて話も聞きますし」


 その噂はよく聞いた。


 お金にがめつく、聖職者にもかかわらず肉欲に溺れるシスター。


 この街に来たのは正解だった。


 そんな汚らしい人たちしか治療者がいない街。

 この街で私は、多くの人に無償で医療が提供できる。


 これほど医者冥利に尽きることはない。


 お金も取らないし、男性経験はなく性的にも汚れていない私。

 街の人たちからも先生と呼ばれ慕われていた。


 父や祖父や兄たちに自慢したくなるくらい、私は立派な医者としてやれている。


 今の力を持ったまま、早く元の世界に戻って世界一の医者になりたかった。


 そんなことを考えている私の前に、深くフードを被った女性が現れた。


「どうぞ」


 私が声をかけると、女性がフードを取る。


 清純そうな整った顔。

 その顔に浮かぶ、赤い花のような斑点。


 素人が見ても分かる梅毒の症状だった。


 よく見ると、フードの下に女性が来ているのは修道服のようだった。


 こちらを睨みつけるように見ている女性を、私は嫌悪する。


 神に仕え、医療に携わる身でありながら、肉欲に溺れ、性病を警戒しないであろうその女性。

 汚らわしいこの女性には、罰の意味も込めて治療など施したくなかったが、私は医者だ。


 個人の好き嫌いで患者を見捨てたりはしない。


 私は何も言わずに彼女に右手を向け、魔力を注ぐ。


 彼女の肌から赤い斑点が消え、その肌が白く美しいものに変わった。


 女性は、なぜか悔しそうな顔をしながら頭を下げる。


「……ありがとうございます」


 治してあげたのにそのような態度をする彼女に、私は小言の一言も言いたくなった。


「仮にも医療にも携わる聖職者なら、自分の体を大切にしたらどうですか? それに、男遊びなのか売春なのか分かりませんが、性病を撒き散らされては困ります」


 私の言葉を聞いた女性の瞳に憎悪の色が宿る。


「どの口が……」


 彼女はそう言いかけて口をつぐむ。


「治していただいたことには感謝します」


 それだけ言って彼女は私の前を後にする。


 彼女の言葉の意味は分からなかったが、一つだけ確かなのは、肉欲に溢れて性病にかかるような聖職者は、心まで歪んでいるということだ。







 最後の患者の治療を終えて一息ついたところで、突然一人の女性が現れる。


 空間がひび割れたようになり、そこから出てきたのは、元の世界でイジメに遭っていた女性だ。


 そのイジメを見過ごしていた私は、彼女と話すのが気まずかった。


「魔王の手下の残党が暴れ回ってる。ここにも来るかもしれないから警戒して」


 私は遠慮しながら口を開く。


「こんな小さな街を攻めても仕方ないでしょ? 攻めてきたとしても私は自分の怪我は治せるし、兵士の人たちが守ってくれるから」


 称号の力を応用した身体能力の強化。


 元クラスメイトには悪用されそうで隠していたが、それで私は、兵の力を底上げできる。

 大抵の敵ならその力で撃退できるはずだ。


「忠告はしたから」


 彼女が無愛想にそう告げると、再び空間がひび割れ、彼女はそこから消えていった。


 一人になると、私は彼女の言葉に少しだけ不安になる。


 この街に戦略的な価値はない。

 恨みに思うにも、私は敵を一人も殺していない。


 ただ、相手は野蛮な亜人たちだ。

 人間に比べて知能も低いという。


 戦略や優先順位が分からずにこの街を攻めてくる可能性はゼロではない。


 魔王を倒し、あとは亜人を掃討してこの称号の力を持って元の世界に帰るだけ、という段階で死んでしまうわけにはいかない。


 いざという時は、守ってもらえるよう、この街の領主とも、街を守る兵長とも話はつけてある。


 念には念を入れて用心棒でも雇おうか。


 そう思いながら、診療所を出ようとすると、誰かが診療所のドアをノックした。


ーーコン、コン、コンーー


 私は扉の中から答えた。


「今日の診療は終了です。ただ、急病や大怪我なら対応しますので教えてください」


 ノックの主は返事する。


「火傷の痕が疼いて眠れない。どうにかしてもらえないだろうか?」


 私は少しだけ考えて答える。


「本当は明日お願いしたいんですけど、今日だけ特別ですよ」


 そう言って扉を開けると、目の前にいたのは、和装とかしか思えない服を着た、大柄な少女だった。


 袖から覗く腕や、スラリと伸びた足は、引き締まっていて、よく鍛えられているのが素人目にも分かった。


 ただ、何より目に入ったのが、整った顔の額に生えたツノ。


 ツノが生えた人間などいない。


 つまりこの少女は亜人……。


 そう思った時、私は首の後ろに衝撃を感じ、意識を失った。

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