第38話 エルフの姫と鬼⑨
「花……。さっき殺されたかと思ったのに。花の死体まで見せられたし。でも、本当に生きててよかった」
嬉しくて涙が溢れる私に、花が微笑みかける。
「きっと幻覚でも見せられたんだろう。敵にそんな称号の力を使う奴がいるみたいだからな。それに、私は死なない。大切な人を守るために、私はもう二度と負けない」
力強く答える花は、本当に頼もしかった。
女性としては大きい花の姿が、より大きく見えた。
「おいおい。誰がもう負けないって? 亜人のメスが、そんな華奢な腕で戦えるのか?」
そう言って前に出てきたのは、幻覚と思われる中で花の死体を持ってきた、屈強そうな人間だった。
花より二回りほど大きな体に筋肉の鎧を纏い、魔力の量も花より多かった。
「私は大丈夫だから花は逃げて」
私の言葉に花が首を横に振る。
「だから言ったはずだ。大切な人を守るために、私はもう二度と負けない、と。フローラは私にとって大切な友達。そんなフローラを残して逃げるわけがない」
花はそう言うと、全身に魔力を漲らせる。
花は怒っているようだった。
口調は厳しいし、表情も険しかった。
何に怒っているのかは分からない。
私のことで怒っているんだとしたら、不謹慎だが嬉しかった。
「その程度の魔力で俺に勝つつもりか? 降参するならそのエルフごとペットとして飼ってやってもいいんだぞ!」
巨大な筋肉男に対して、花は呆れたように答える。
「なぜ自分より弱い奴のペットになどならなければならない? 私は貴様みたいな筋肉だけの豚は家畜としてもいらないがな」
花の言葉に顔を真っ赤にする筋肉男。
「殺す。そのエルフの前でぐちゃぐちゃに犯した後、エルフもお前の前で犯して、その後二人とも殺してやる」
筋肉男の言葉を聞いた花は嘲るように笑う。
「お前たちは本当にそれだけだな。犯す。殺す。こんな奴らを使う女神とやらの程度も知れる。口はいいからかかってこい。私がお前に強さというものを教えてやる」
私を守るように立つ花はそう言うと、筋肉男の方を向いて身構えた。
「女神様を愚弄するなど……。後で楽しむために原型は残してやろうと思ったが、もはや許せない」
筋肉男がそう言うと、その筋肉がさらに肥大する。
「これが俺の称号の力だ。ただでさえ低かったお前の勝つ確率はこれでなくなった」
筋肉男の言葉を聞いた花はため息をつく。
「いいからかかってこい。お前の称号の力とやらは、口数を増やす力なのか?」
花の言葉に、筋肉男の怒りが頂点に達する。
「殺す!」
そう言って拳を振りかぶった筋肉男が花へと殴りかかってきた。
肥大化した筋肉と膨大な魔力を兼ね備えた攻撃。
その攻撃が、花の頭上から振り下ろされる。
ーードゴッ!ーー
しかし花は、まるで先が見えているかのように、その攻撃を難なく躱す。
抉れた床には目もくれず、攻撃によって低い位置へと来た筋肉男の首筋を、花は蹴り付ける。
ーーバキッーー
しかし、筋肉男には花の攻撃が効いた様子はない。
「効かん!」
そう叫んだ筋肉男は、地面に刺さった拳を抜くと、再び花へと殴りかかる。
ーーブンッーー
ただ、その攻撃は花には掠りもしない。
その後も風を切り裂きながら唸りを上げて花を襲う筋肉男の拳。
その嵐のような攻撃を、まるで舞を踊っているかのようにひらりひると躱す花。
「ハァ、ハァッ。クソがっ。逃げるしか脳がねえのか、蠅女が」
筋肉男の言葉を鼻で笑う花。
「フッ。ブーブー吠えるしかない豚野郎よりはマシだと思うがな。その見せかけの筋肉で場所だけ取って邪魔くさくないし」
花の言葉にプチンとなにかが切れたらしい筋肉男。
花のことを無視して、私の方を見ると、ズカズカと歩いてくる。
「まともに戦うつもりがないのなら、戦うように仕向けるまでただ」
筋肉男はそう言って私の方を見ると、拳を振り上げる。
「このエルフのメスで遊べないのは残念だが、質を問わなければ玩具のエルフは腐るほどいるからな」
下卑た笑いを浮かべながら私に殴りかかろうとする筋肉男の前に、花が立ち塞がる。
「豚野郎。一対一の戦いの最中だ。私の大切な友達を巻き込もうというのなら、手加減はおしまいだ」
そんな花へ、私は告げる。
「花。私のことなら構わないで。いくら花が強くなったとしても、あの筋肉男は花より大きくて魔力も多い。その攻撃を食らったらひとたまりもないよ」
そんな私の言葉に、花は少しだけ笑みを浮かべた後、力強く答える。
私はその自信に満ち溢れた表情にドキリとした。
「私は物心ついた頃から、自分より遥かに大きくて強い相手と毎日戦ってきた。その相手と比べれば、こんな豚野郎、箸にも棒にもかからない」
力強くいい返す花は、足を少し開き、腕を組んで真っ直ぐ立つ。
「いいからかかってこい。お前とおしゃべりするのも疲れた」
花の言葉を聞いた筋肉男は呟く。
「潰れろ」
筋肉男の巨大な拳が。
真っ直ぐ花へと振り下ろされて、花が潰れてしまうように見えた。
……だが。
恐ろしい魔力量の込められた巨大な拳は、花に触れることはなかった。
かなりの速さで向かってくる拳を見極めた花は、筋肉男の腕を掴む。
そのまま、筋肉男自身の力を利用して、花は筋肉男を投げる。
ーードガッ!ーー
その巨体を地面へ叩きつけられた筋肉男。
「グハッ!」
筋肉男が声を上げる。
「な、なぜダメージが……? 魔力と筋肉で俺の体は最強の鎧と化しているはず」
地面に叩きつけられた衝撃で、立ち上がれない筋肉男を、花は見下ろす。
「魔力と筋肉を鎧に見立てている時点で、肉弾戦におけるお前の強さは知れている。武器を使わない肉弾戦において、鎧じゃ中身を守れない。例えば今のように地面に叩きつけてしまえば、内臓が耐えられない。鬼なら子供でも知っていることだ」
花はそう言うと、筋肉男の元へ近づく。
「だ、だから何だ! お前の魔力じゃ俺の筋肉の鎧は貫けない。衝撃が収まったら俺の勝ちだ」
そう言って、地面に仰向けになりながらも不敵に笑う筋肉男を残念な者でも見るように蔑んだ目で見下す。
「私の村を襲ったのが、お前のような戦いの基本も知らない馬鹿な豚なら、お父様も死なずに済んだのに……」
花はそう言うと、魔力を込めた足で、筋肉男の顎を、思い切り蹴った。
脳震盪で白目を剥く筋肉男。
「魔力と筋肉だけの豚を倒す方法なんていくらでもある。お前程度ならフローラの力がなくても倒せただろう。鬼を舐めるな」
この世界において魔力が絶対だとは言わない。
でも、強さを決める重要な要素であるのは間違いない。
魔力量の差を覆して、完全な勝利を収めた花。
たかだか十数年しか生きていないにもかかわらず、鍛え抜かれた技を持ち、強者にも怯まず立ち向かう姿は尊敬に値する。
強く美しいその背中。
姫様と周りから持ち上げられ。
長老と並ぶ量の魔力を持ち。
国を背負っているのは自分だと自惚れていた私。
そんな自分が恥ずかしくなるくらい、花は素晴らしい女性だった。
花は、気を失って魔力の鎧を失い体も縮んだ筋肉男に向け、拳を振りかぶって魔力を込めた。
「神国の人間は根絶やしにする。気を失っているところを殺すのは不本意だが、恨むなら己の行いをあの世で振り返ってからにしろよ」
そう言って花が筋肉男にトドメを刺そうとした時だった。
「やめろ」
金髪の青年の声と共に、花へ向かって魔法の矢が降り注ぐ。
その尽くを撃ち落とす花。
「そんな馬鹿でも使い道はあるんだ。勝手に殺すな」
金髪の青年はそう言うと、周りにいる人間たちへ命じる。
「エルフの姫は殺すな。鬼は確実に殺せ」
金髪の青年の言葉に、数十人の人間たちが一斉に右手を花へ向けた。
『ニンリル』
私は右手を前に出し、異界の神の名を呟く。
無数の真空の刃が吹き荒れて、花に右手を向けた人間たちの右手が切り刻まれた。
「花は傷つけさせない!」
近接戦闘は花。
遠距離は私。
二人で戦えば誰にも負ける気がしかない。
「『怪力』ごときを倒したからって、調子に乗るなよ。さっきのやつを超える極上の幻覚を与えてやる!」
金髪の青年の横に立つ、根暗そうな男がそう叫ぶ。
先ほどの花や長老が死んだ姿を見せられた幻覚は、現実と全く区別がつかなかった。
この男は危険だ。
私が右手を向け、根暗そうな男を魔法で排除しようとした時だった。
「ぐわっ!」
根暗そうな男が叫び、右肩から血を撒き散らす。
右肩には、深々と矢が刺さっていた。
「ちゃんと頭か首を貫け、下手くそ」
声のした方を向くと、上空に浮かぶ金髪紅眼の少女。
「足場がないと弓は安定しないんだよ」
同じく赤い目をした、私のよく知るエルフが弓を片手にそう言い訳をしていた。
「撃ち落とせ!」
すぐにそう指示を出す金髪の青年。
でも、その指示は間に合わない。
『ヒュプノス』
子供の声が、異界の神だというその名を唱えると、右手や弓を向けようとしていた敵の兵士たちが、次々と眠りに落ちていく。
「フローラ見ておいて。これからこの国を救うから」
そう言って微笑む花は、勝利の女神以外の何者でもなかった。
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