第33話 エルフの姫と鬼⑥

 項垂れる私に、エルノールが私の右手を差し出す。


「それではこれをお返ししましょうか。私はどんな状態の姫でも愛せますが、ないよりはあったほうが姫も不便がないでしょうから」


 私はおとなしく右手を受け取ると、魔力で右手を繋げた。


 右手が完全に繋がったところで、私はエルノールへ告げる。


「エルノール。妾はそなたのことを家族のように思っていた。誰よりも信頼していた」


 その言葉を聞いたエルノールは微笑む。


「ええ。そしてこれからは本当の家族になるのです」


 私はエルノールの言葉に首を横に振る。


「だが、そなたはその信頼を裏切った。これ以上ないくらい最低な形で」


 私の言葉に、笑顔のままピクリと反応するエルノール。


「妾がそなたと結ばれることはない。友を見殺しにし、民を裏切るくらいなら、妾は死を選ぶ。死すら選べず陵辱される運命なのだとしたらそれも受け入れる。だがその前に……」


 私は再び魔力を練る。


「できることは全てやってからにしよう」


 それまで黙って話を聞いていた神国の人間たちが、私の言葉を聞いてようやく口を開く。


「だから言っただろう? さっさと力で屈服させて分からせればいいって」


 別の人間も言葉を続ける。


「説得できなかったから、このメスは俺が最初にいただくってことでいいよな? 飽きたらお前に回してやるが、壊れてたら勘弁な」


 人間の言葉を聞いたエルノールが、慌てて声を上げる。


「ま、待ってください。もう少しだけお時間ください。必ず説得してみせますから」


 エルノールの言葉を聞いた金色の髪の青年が吐き捨てるように言う。


「亜人のお前にチャンスをやっただけありがたく思え。それに、絶対に結ばれることのなかった、お前の大好きな姫様とも、こいつのお下がりとはいえ結ばれることができるんだ。感謝しろ」


 人間たちの勝手な理屈に、私はため息をつく。


「よくもまあ、人を物のように。妾を舐めるでないぞ」


 私はエルノールのことも警戒しながら右手を前に出す。


 罠には嵌った。

 相手はエルノールから聞いた私の力を踏まえて、それでも勝てる戦力を用意しているのだろう。


 ただ、エルノールに対しても、私の力の全てを見せているわけではなかった。

 不意打ちを喰らわなければそう簡単に負けるつもりはない。


 敵に称号と呼ばれる不思議な力があるのは分かっている。

 それでも、その力を圧倒するさらなる力で攻めればいい。


 溢れるように湧き出る魔力で、空気が歪む。

 室内でこれだけの魔力を放出するのは初めてだ。


 私は魔力に空気を纏わせ、異界の神の名だと言う言葉を発する。


『ニンリル!』


 空間を埋め尽くすほどの魔力を全て真空の刃と変え、人間たちを攻撃する。


 父や重臣たちも死ぬだろうが仕方ないだろう。

 一瞬だけ、まともだった頃の父の顔がよぎるが、すぐに振り切って私は魔法を放った。


 出し惜しみはしない。

 一手目から、私の持つ最強の魔法の一つで攻める。


 私より魔力が多い相手なら別だが、多少魔力量が多いだけの人間なら、魔法障壁で防げるのはせいぜい一、二発。


 絶え間なく降り注ぐ真空の刃を防ぎ切ることはできない。

 そのはずだった。


『さ、聖域(サンクチュアリ)』


 二人いる人間の女のうちの一人がそう呟くと、人間と父たちを光の壁が覆う。


 魔法障壁のようなものだと思って私は魔力を注ぎ続けるが、光の壁には傷一つつかない。


 この魔法は強力だが、魔力の消費が激しい。

 どんどん削られていく魔力に、私は焦る。


 しばらく経ったところで、私は魔力の供給を止めた。


 原理は分からないが、敵に私の魔法は通用しない。

 私はこめかみを汗が流れるのを感じる。


 魔法を止めた私は、拳に魔力を込めた。

 魔法がダメなら物理だ。


 最大限まで魔力を込めた拳で、私は光の壁を殴る。


ーードゴッーー


 鈍い音を残して、私の拳が光の壁に触れた。


 筋力は少ないが、魔力の量のおかげで、大抵のものなら粉砕できるはずの私の拳でも、ヒビすら入らない。


「無理ですよ、姫。この壁はどんな攻撃も通しません。二千年前、歴史上最強と言われる大魔王の攻撃さえ通さなかったらしいですから」


 ギルノールの言葉を聞いた私は、攻撃の手を止める。


 裏切り者ではあるが、嘘を言っているようには見えなかった。


「相手を洗脳する力。その力を誰にでも使えるように分け与える力。どこにでも瞬時に移動する力。そして、どんな攻撃も通さない力。女神様が与えられたこの世の断りを覆す力。姫がどれだけ魔力を持とうとも、人間には敵わないのです。だからこそ、私は姫だけでも救おうと思ったのに……」


 自分の欲を満たそうとしていたことを忘れたギルノールの最後の言葉は聞き流し、私は質問する。


「他に奴らが使う力は?」


 私の言葉にギルノールは首を傾げる。


「他にも数人いて、そのうちの一人は鬼神にも負けないほど強いということは言っていましたが、具体的には……」


 鬼神というと花の父親だ。

 王国四神の一人で、純粋な戦闘力だけなら最強と呼ばれる一角だ。


 そんな相手より強い敵。


 現状だけでも打つ手なしなのに、さらにそんな相手が控えている。


 絶望的な事実を前に、それでも私は前を向く。


 私が諦めた時がこの国の終わる時だ。

 最後の血の一滴が枯れるまで、私は戦い続ける。


「諦めましょう、姫。戦っても怪我するだけです。姫がどれだけ汚されても、私は姫を愛しますから」


 私は唾棄したくなるような言葉を発するギルノールを睨みつける。


「お前はもう黙れ。妾が……私が信じた家族のようなギルの心が残っているなら、命を賭けて戦え。私を愛しているというのなら、私のためではなくエルフの民のために戦え。例え勝ち目のない相手でも、最後の最後まで抗い続けろ」


 最後の言葉は半分自分を鼓舞するために発した後、私は意識を、ギルノールから人間たちへ向ける。


「私は……」


 そう言って固まるギルノールは、後ろから再度私を襲う危険も少ないと判断し、光の壁に囲われた人間たちの攻略法を考える。


 あの壁がある間、私の攻撃は通らないだろう。

 だが、あの壁にも、何か弱点か制約があるだろうと思っていた。


 そうでなければ、あの壁の力を使ってもっと早く、もっと簡単に隣の王国を滅ぼせていたはずだ。

 裏で聞いた話では、隣の王国は、謀略と人質によって滅ぼされたとのことだ。


 そういえば、と私は気付く。


 私がギルノールと話したり、考え事をしている間、敵からの攻撃はなかった。

 壁に囲われている間、敵も攻撃できないのではないのかもしれない。


 試しに私はしばらく何もせずに待っていたが、敵からの攻撃は一向に来なかった。


 絶対的な防御も、こちらから攻めなければただの壁だ。


 私は考える。


 他に制約はないか。


 持続時間は?

 使用回数は?

 開示した後、次の発動までの時間は?

 敵を分散させた場合、複数壁は張れるのか?


 他に制約があれば、絶対の壁も、絶対の防御にはならない。


 私は、わずかな希望に縋りながら、それでも諦めずに壁の中の敵を見続けた。





 そんな時だった。


「おいおい、まだ終わってないのかよ」


 突然現れた人間の男の野太い声。


 私は男の方を向く。

 壁に囲まれていないこの男を攻撃すれば、壁を複数個張れるのか、発動時間までどれだけ必要なのかを見ることができる。


 そう思って攻撃しようと思った私の手が止まる。


「こっちはもう終わったぞ。長老とかいうロリババアの首と、鬼の娘だ。鬼の娘は生捕りってことだったから連れてこようと思ったんだが、その前にちょっと味見しようとしたら暴れやがったんで殺しちまった。悪い」


 そう言って転がされたのは間違うことない、長老の首と、ボロ雑巾のようになった花だった。

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