第32話 エルフの姫と鬼⑤

「それじゃあ行ってくるね」


 花にそう告げて部屋を出ようとする私を、花が抱きしめる。


「成功しても失敗しても、父殺しの汚名は一生付き纏うだろう。それでも私は知っている。フローラが誰よりも民を思い、国のためにそれを為したのだと。それは私にはできないことだ」


 花の言葉を聞いた私は頷く。


「ありがとう。きっと成功させてみせる。私の味方がいなくならないよう、花も死なないでね」


 自分の汚名など、本当はどうでもよかった。

 でも、それが花の生き残る確率を少しでも上げるなら何でもしたかった。


 私の言葉に花が頷く。


「分かった。元々死ぬつもりはないけど、フローラのためにも必ず生き残る」


 花との会話を済ませた私が部屋の外に出ると、既にギルノールが待ち構えていた。


「行きましょう、姫」


 心なしかいつもより明るい表情のギルノール。


 真面目なギルノールも、彼なりにこの国を憂いていたのだろう。

 ようやく国を救うために動けることよ喜んでいるのかも知れない。


「行こう、ギルノール。この国を救うために」


 父を殺すことに全く抵抗がないわけではない。

 でも、何もせずに国を滅ぼさしてしまうよりはマシだ。


 父も王族である。


 政治を司るものの誤りは、民のそれとは違う。

 ほんの僅かな誤りで多くの人の命を奪い、生活を壊す。

 謝ることは罪だ。


 失政に対して命をもって贖う覚悟がない者に王たる資格はない。


 国を滅ぼす寸前までこの国を痛めた父には、その命をもって罪を償ってもらう。


 食事の部屋へ赴く私は、一歩一歩しっかりと踏み締める。


 父殺し。


 どんな言葉で言い繕ってもそれは変わらない。

 一生苦しむことになるだろう。


 それでも私は今日必ずやり遂げる。





 食事の部屋に着いた私は、念の為耳に魔力を集中する。


 中からは特に会話は聞こえない。

 お父様やいつもの重臣たち以外の心臓の音もない。


 私は作戦の第一段階の成功を確信する。


 かつての父ならともかく、今の父では私の相手にはならない。

 重臣たちの中にも、私とまともに戦えるものはおらず、ギルノール一人でも制圧できるだろう。


 私は部屋の扉を開く。


 そこにいる父は、最近見ることのなかった険しい顔で私を睨む。


「親不孝者め」


 突然の父の言葉に、私は理解が追いつかない。


 作戦がバレた?


 でも、作戦は信頼できる人にしか話していない。

 漏れるはずがない。


 私がほんの一瞬だけ逡巡している間に、部屋の上部の空間が割れる。


 初めて見る事象。


 それでもそうとしか表現できない。


 次々と空間の割れ目から飛び出してくる見知らぬ一者たち。


 いや。


 見知った者もいる。


 ……神国の人間たちだ。


 私は右手を前に向ける。


 何故かは分からないが作戦が漏れたことは決定的。

 私一人に対して行く人も飛び出してくることから考えるに、これまで秘匿にしていたはずの私の実力までバレている。


 私は全身の魔力を右手一点に集中させた。


 時間の勝負だ。


 一瞬の逡巡のロスはあったがまだ間に合う。


 神国の人間たちが臨戦体制となる前に、最大火力で神国の人間たちも父も、全てを滅してしまえばいい。


 私が来ることを知り、備えていたであろう父。

 でも、今の父に、私の攻撃は防げない。


 感慨深い別れも。

 罪を悔いる時間を父に与えてあげられないけど。


 目的だけは達成する。


 私が全てを終わらせるべく、魔法を放とうとした時だった。


ーースパッーー


 大根でも切るかのような綺麗な音を残して、私の右手の肘から先が切り落とされた。


 鮮血を撒き散らしながら落下する右手を見るより先に、私の頭を疑問が駆け巡る。


 なぜ?

 何が起きた?


 父も、神国の人間も、もちろん他のエルフの重臣たちも。


 身動き一つ取れていない。


 それなのに、誰が私を攻撃した?


 第三者が近づく気配もなかったし、遠距離で攻撃されたわけでもない。

 どちらも警戒していたから、攻撃されれば分かるはず。


 それなのに。


 私の右手は、いとも容易く切り落とされた。


 遅れてやってくる痛みに、私は思考を止める。


 攻撃への備えは大事だが、それよりも先に切断された手の出血を止めなければ、出血多量で死ぬ。


 私は魔力で血を止めつつ、落ちた右手を拾おうと左手を伸ばした。


 ただ、私の左手が落ちた右手を拾うより早く、別の白い手が私の右手を拾う。


 私の右手を拾ったのはギルノールだった。


「ありがとう、ギルノール。すぐに繋げたいから右手を渡して」


 私の声が聞こえているのか、いないのか、ギルノールは、手にした私の右手に口づけする。


「な、何を……」


 口づけを終えたギルノールは今まで見たこともないような恍惚とした表情で、今度は私の右手を舐め始める。


 その悍ましい光景に、私はギルノールが幼馴染であったのも忘れ、嫌悪感を抱く。


 ふと、ギルノールが片手に持った剣に目をやると、その鋒から血が滴るのが目に入る。


 それを見た私は、なぜ警戒していたにもかかわらず、右手が切り落とされるのを察知できなかったか、悟った。


 私が警戒していたのは、敵や第三者のみ。


 家族同然に育った幼馴染であり、全幅の信頼を置いていた護衛者には全く警戒を向けていなかった。


 その白い肌と対照的な赤くて長い舌で、ベロベロと私の右手を舐めまわしたギルノールは、ようやく私の方を向く。


「ああ、姫。貴女の手の、細くて長い指と、そのきめ細やかな肌にようやく触れることができたので、我を忘れてしまいました」


 笑顔を顔に貼り付けて、ギルノールがそう言った。


「この国はおしまいです、姫。私と一緒に神国で暮らしましょう。貴女が頷いてくれるなら、この右手もお返ししますし、女神様も、人間の寿命の間くらいは生かしてくれるそうです。他のエルフたちのように人間の性奴隷にされることもなく、私の愛の下、幸せな暮らしを送れます」


 ギルノールはそう言うと、にっこりと笑う。


 分からない。

 何を言っているか分からない。


「王の許しも得ています。今回の企ても、長老の首と、鬼の娘の生捕りで許していただけるそうです。彼女たちの動きは私からちゃんと伝えてあるので、ご安心ください。まあ、エルノールも一緒に殺されてしまうのは残念ですが、これからは彼の分も私が尽くしますのでご容赦ください」


 私は理解してしまう。

 理解したくないけどしてしまう。


 もはやここには私が信頼していた幼馴染はいないことを。


 私が死ぬのは仕方ない。


 でも、私が人を見る目がなかったせいで。

 私が愚かだったせいで。


 長老は死に。

 国は滅ぶ。


 民は人間たちに陵辱され。

 性奴隷という名のおもちゃにされる。


 私に手を貸してくれた初めての友達も。

 生捕りということはきっと似たような目に遭うのだろう。


 悔しさに歪む私の顔を見て、ギルノールが微笑む。


「ああ。最高です。悔しさで歪むその表情もいい。そんな顔をされると欲情してしまいます。でも、少しだけ待ってください。長老の首と鬼の娘が届くまでの辛抱ですから」

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