第23話 エルフの姫②

 森と共に生きる種族エルフ。


 その認識は今や薄れつつある。


 西の神国から半ば押し付けられてくるように流入してくる人間の文化。

 それらはエルフの文化に侵食していった。


 木々を利用して作られた簡素な家は土や石を用いた強固な壁の建築物へと変わり、陽が昇ると共に起き、陽が沈むと共に眠っていた生活時間は、油や魔力による灯りを用いることで、夜まで広がっていった。


 それらはまだいい。

 発展と言われればそうだろう。


 だが、その恩恵をもたらしたということで、森のあちこちに神国の神を祀る教会が建てられていったのは、いまだに許し難い。


 技術も文化も無償で提供する。

 代わりに信仰と布教の自由を認めてほしいというのが、神国の人間の主張だった。


 木々を敬い、精霊を信仰していたエルフだったが、その信仰は宗教というにはあまりに弱かった。

 分かりやすい恩恵をもたらす神国の影響は大きく、神国の教会へ通うエルフは少なくない。


 神国の文化に毒されたのは、我が父であるこの国の国王も例外ではなかった。


「父上。お酒は程々になされた方が良いかと」


 神国から提供された城の中の、神国から提供された食卓で、神国から提供された赤い葡萄酒を口にする父を、私はそう嗜めた。


「大丈夫だ、フローラよ。多少飲み潰れても、例え病んだとしても、神国の魔法があれば全く問題ない」


 エルフの特徴でもあるその白い頬を赤く染めながら父はそう言った。


 確かにエルフの魔法体系とは異なる人間の魔法にかかれば、酒の毒が簡単に抜ける。

 そして、聖女の称号を持つ人間にかかればどんな病も治せるという。


 問題は、神国の魔法ありきの考えに陥ってしまっている父だ。


「父上。我がエルフの森は、万を超える歳を生きる古代樹が生まれる前から、中立を貫いてきたはずです。神国に頼り切るのはいかがなものかと」


 私の言葉を聞いた父は笑う。


「はははっ。東の王国は滅んだ。北の帝国はどの国にも敵対的で、南の商国は金さえ積めばどことでも手を組む。そのような中で神国と親しくするのは当然のこと。いつまでも古きしきたりに縛られるのは愚かなり。私は時代を切り開く王になるのだ」


 神国の使者に毒されている父は高らかにそう告げ、食卓に同席していた父の側近たちがうんうんと頷く。


 その東の王国を滅ぼしたのは西の神国だ。


 友好の使者を装って侵攻し、人質を取った上で王を殺したという。

 そして、王国の民は、今なお虐殺や暴行・略奪の被害に遭っているとのことだ。


 甘い汁を吸った神国がいつ我々エルフに目を向けるか分からない。


 ……いや。


 城や文化の無償での提供は、この国を奪うための前準備で、すでにその手は心臓を掴むところまで来ているのではないかとさえ思える。


 だが、神国の文化に溺れ、彼らを信用し切っている父には、それが見えていない。


「何があるのか分からないのが国と国との関係です。くれぐれも油断なされぬよう」


 それを聞いた父はめんどくさそうな顔をする。


「我は王だ。そのようなこと分かっておる。仮に神国が裏切ったとしても、我が国には長老がおり、数多の精兵たちがいる。数だけが頼りの人間どもになど負けぬわ」


 父が言っていることは分かはなくもない。


 かつての魔王に匹敵するほどだという大量の魔力を持つ長老。

 低階位であれば、ドラゴンをも倒せる精兵たち。


 まともに戦って簡単に負けるとは思えなかった。


 だが、それは王国だって同じはずだった。

 むしろ王国の方が戦力は整っていたはずだった。


 それでも簡単に滅ぼされた。


 神がもたらす奇跡。

 神国でも、一部の限られた人間が持つ称号という名の力。


 恐らくそれが肝だ。


 どんな傷や病も治すという聖女のような奇跡を使える者が何人もいたら。

 魔力量や武技を簡単にひっくり返すことができるに違いない。


 父はその危険性を分かっていない。


 いや。

 今の父は分かっていない。


 かつての父は聡明だった。


 強く。

 賢く。

 愛に溢れていた。


 父が変わったのはそう。


 神国の人間が頻繁にこの国へ出入りするようになってからだ。

 母が、神の使徒を名乗る人間に誘惑されて不倫し、離婚してからだ。


 貞淑で父のことを誰よりも愛していた母が、なぜ不倫したのかは分からない。


 ただ、その時から父は変わった。


 神国の人間が献上する酒に溺れ。

 城の女性たちに手を出し。


 国の政を疎かにするようになった。

 判断力が鈍り、覇気も無くなった。


 私が尊敬していた父はいなくなった。





 早々に食事を終え、自室に戻った私は、窓から街を眺める。


 街を歩く人々の中に、褐色の肌をしたエルフがちらほらと見えた。


 ダークエルフ。


 他種族の者と交わったエルフはその白い肌が褐色になる。

 その数がこのところ明らかに増えた。


 今までもダークエルフはいなかったわけではない。


 数十年に一人はダークエルフになる者がいた。


 純血主義の強かったという数千年前ならともかく、真に愛し合ったのであれば、他種族と結ばれるのも悪いことではないと思う。


 だが、このところの増え方は異常だ。


 街を歩くエルフの一割から二割はダークエルフになっているように見える。


 このペースで増え続ければ純血のエルフはいなくなってしまうのではないか。


 そんな危惧さえ浮かんでくるが、本来そのことを考えるべき父は、気付いてさえいないかもしれない。


 私は無力だ。

 姫とは名ばかりの百年も生きていない小娘だ。


 自分のことを妾などと呼んで虚勢を張っても。

 こうやって街の声を聞き、異常がないかを調べても。


 結局できるのはせいぜい、魔物に襲われそうな子供を二人助けるくらいだ。


 国の危機にも。

 種族の危機にも。


 何もすることができない。


 私に力があれば。

 私に地位があれば。


 もっと何かできるのに。


 国のため。

 種族のために。


 もっと尽くすことができるのに。


 そんなことを思いながら耳に魔力を集めて街の声を聞いていると、酒場の方から揉め事の声が聞こえて来る。


 私は体に魔力を満たし、窓から体を乗り出す。


 考えても仕方ない。


 私は私にできることをしよう。


 それが酒場の喧嘩の仲裁でも。

 何もしないよりはこの国のためになるはずだ。


 私は窓から飛び出す。


 十五メートルほどの高さは、空を駆けるのにちょうどいい。

 魔力の壁で足場を作りながら、私は街の灯りのせいで月の明かりを感じられない夜の空を進む。


 国の種族の未来がこの街の灯りくらい明るければいいのに。

 そんなことを考えながら。

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