第19話 旅立ち

 花が紅眼の魔族に認められた。


 それは予想していたことだ。

 私が望んだことだ。


 それでも、いざ旅立つとなると、寂しさに耐えられなくなりそうな自分がいる。


 旅立ちの日、私は花の家に行った。


 鬼神様が亡くなり、花も出て行ってしまう家。

 この家も私と同じ気持ちなのだろうか。


 家の中に入ると、ちょうど花が身支度を終えた所だった。


 家を出る女性とは思えないほどの少ない荷物。

 旅装とは思えないほどの軽装から覗く、一見細く見えるけれど鍛えられた手足。


 私に気付いた花は、満面の笑みを浮かべる。


 名前の通り、花のような笑顔。

 眩しすぎて直視できない、美しい笑顔。


 あまりの眩しさに目を逸らしたくなるのを堪えて、私もぎこちない笑顔を作る。


「ありがとう、紅葉。紅葉のおかげで私、グレンに認められた」


 そう話す花の言葉を、私は素直に喜べない。


「私のおかげなんかじゃない。花の実力だよ」


 そう。


 花はすごい。

 誰よりもすごい。


 私なんかいなくても、きっと認められてた。


 だから、今の言葉は私の本心だった。

 ……本心のはずだった。


「ふふふっ」


 花がなぜか笑う。


「その実力がついたのはお父様と紅葉のおかげ」


 花の言葉に、私は思わず花の目を見てしまう。

 花の目に嘘はなかった。


「私がどれだけ鍛えて強くなっても、紅葉も同じだけ強くなってくる。一日も気を抜ける日がなかった」


 私はただ、自分が花の隣にいたかっただけなのに。


 花にそう言われて、私は次の言葉が選べない。


「紅葉は私の最大のライバル」


 花はそう言うと私の両手をとる。


「そして、最高の親友」


 私がずっと欲しかった言葉。


 それを花が私に与えてくれた。


「紅葉がいるから、私は村を離れられる。紅葉がいるから、私は一人になっても自分を鍛え続けられる」


 花はそれだけ言うと、少し恥ずかしそうに微笑んだ。


「ありがとうね、紅葉」


 その言葉を聞いた瞬間、私の目から涙が溢れてきた。


 そんな私の涙を優しく拭ってくれながら、花はゆっくりと首を横に振る。


「だめだよ、紅葉。鬼は人前で泣いちゃ」


 花の言葉に、私は首を横に振る。


「なら、大丈夫。私にとって花は他人じゃないから」


 私の言葉を聞いた花は一瞬驚いた後、にっこりと笑う。


「そうだね。私にとっての紅葉も他人じゃない」


 花の言葉に、止まりかけていたはずの涙が、また溢れてくる。


「もう。紅葉がこんなに泣き虫だったなんて知らなかった」


 花はそう言いながら、私をそっと抱きしめてくれた。


 細いけれど引き締まった体。


 その体に抱きしめられた私は、花から離れたくなくなってしまう。


 花とは、花が紅眼の魔族のところへ向かったあの時に別れを済ましたつもりだった。

 鬼神様とムラのみんなの仇を討つために旅立つ花を応援するつもりだった。


 いや。

 応援する気持ちは変わらない。


 ただ単純に大好きな花と離れたくないという、子供のわがままのような気持ちが抑えきれないだけだ。


 泣いちゃダメだ。

 笑顔で花を送り出さなきゃ。


 そう思うほどに涙が溢れてくる。


 大好きな花。


 今送り出したら、もう二度と花と会えないかもしれない。


 そう思うだけで、感情がコントロールできなくなる。


 ああ。

 私はこんなにも花のことが好きなんだ。





 ひとしきり泣いた後、私は花から離れる。


 その間、花は何も言わずに私を抱きしめてくれていた。

 そんな花をこれ以上拘束するわけにはいかない。


「落ち着いた?」


 花の言葉に私は頷く。


「うん」


 私は小さく深呼吸する。


「もう大丈夫。だから花は安心して行ってきて」


 私の言葉を聞いた花は頷く。


「紅葉と離れるのは寂しい。でも、さっきも言った通り、紅葉が村に残ってくれるから、私は安心して旅に出れる」


 花はそう言うと、金棒を私に向かって差し出す。


 代々の鬼神が受け継いできた金棒。

 鬼神だけが持つことを許された伝説の代物。


「う、受け取れないよ。これはこれから戦いに行く花の方に必要でしょ?」


 そう話す私に、花は金棒を押し付ける。


「これは、鬼のみんなを守る鬼にこそ相応しいものだから。復讐なんかに行く私が持っていいものじゃない」


 花が言うことは分かる。

 でも、花に死なないでいてもらうためには、少しでもいい武器を持っていて欲しい。


 鉄棒を押し返そうとするが、花の目はとてもそれをさせてくれそうには見えなかった。


 仕方なく私は鉄棒を受け取るが、受け取った鉄棒を地面に置く。


「少し待ってて」


 私は走って家に戻り、別の金棒を持ってくる。


「代わりにこれを持って行って」


 花に渡したのは私の金棒。

 何年もの間、自分を鍛えるのに使い続けてきた、私の分身と言っても過言ではないものだ。


「鬼神様の金棒には敵わないけど、ずっと大事に使ってきた金棒だから、きっと花の助けになってくれるはず」


 鬼にとって金棒は魂のようなものだ。


 それを差し出すなんてこと、本来はやらない。

 でも、花になら、魂でもなんでも預けられる。


「ありがとう」


 少し驚いた顔をした後、花は笑顔を作る。


「これがあれば『鬼に金棒』ね」


 花の言葉に、私は笑う。


「何それ? そのまんまじゃない」


 私の言葉に花も笑う。


「なんか、魔族や人間の間ではそういう言葉があるって、グレンが言ってたの」


 二人でしばらく笑った後、私たちはお互いの金棒を地面につき、向かいあった。


「それじゃあ行ってくる」


 そう告げる花に、私は答える。


「うん。花ならきっと仇を討てる。村のことは私に任せて」


 お互いそう言ってしばらく向き合った後、花は金棒を肩に担ぐ。


 私に背を向け、紅眼の魔族の滞在先に向かう花。


 鬼としては細いはずの背中は、とても大きく力強く見えた。

 立派な角と金棒がとても頼もしい。


 私は小さくなった花の背中に、小さな声で告げる。


「いってらっしゃい、花。大好きだよ」


 花の背中が見えなくなったところで、私も金棒を肩に担ぎ、家の方へ向かう。


 重量以上にずっしりと重い鬼神の金棒。


 私はこれから、この金棒に見合う立派な鬼にならなければならない。


 そして、花が戻ってきた時恥ずかしくないよう村を建て直さなければならない。


 でも大丈夫。


 私は花にこの村を任された。

 私は絶対に花の信頼を裏切らない。


 そんな私の頬を涙が一筋流れる。


 だからこれは最後。

 今回までは許して欲しい。


 今流した涙の後は、花と会うまで泣かないから。

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