第18話 鬼神の娘⑦

 私は弱い。

 私は愚かだ。


 私が弱いせいで。

 私が愚かなせいで。


 村は破壊されて。

 村の人が大勢殺されて。


 ……お父様が死んだ。


 敵討ちに行こうとしても、頼んだ相手からの実力試しに、剣を抜かせることすらできず惨敗。

 足手纏いだから連れていけないと言われる始末。


 こんな私のために。

 弱くて愚かな私のために。


 お父様がが死んだ。


 お父様は私の全てだ。


 唯一の家族で。

 一生をかけて目指すべき目標で。


 父としても。

 鬼としても。


 最高な存在だった。


 お父様が死んで。

 敵討ちにも連れて行ってもらえなくて。


 私は何をするにも気力が起きなかった。


 立ち上がることも。

 食事を摂ることさえ面倒で。


 物心ついてから毎日続けてきた鍛錬すらサボってしまっていた。


 何もかもが嫌だった。

 何もしたくなかった。


 お父様を亡くして、強さを否定された私に残るものなんて何もない。


 そう思っていた。





 ……でも違った。


 私には親友がいた。

 何年も切磋琢磨し合ってきた最高のライバルがいた。


 親友は私に気付かせてくれた。


 自分自身を否定することは、彼女を否定することになることを。


 紅葉はお父様以外では最高の鬼だ。


 内面も外面も美しくて。

 私に負けないくらい努力家で。


 そんな彼女を親友に持つ私は、これ以上ないくらいに恵まれている。


 命懸けで。

 背中に一生残る傷を残して。


 私を助けてくれた紅葉。


 そんな紅葉が背中を押してくれた。


 私を最高の鬼と呼び。

 いつかはお父様のような鬼になれると言ってくれた。


 ああ。

 私はなんで幸せなんだろう。


 最愛のお父様が亡くなられても。

 私にはまだ、私のことを心の底から信じ、励ましてくれる相手がいる。


 先日細身の女性と戦った時から、今の私は全く鍛えていない。


 体のキレや技の精度はあの時より下がっているだろう。


 でも。


 今の私はあの時より間違いなく強い。


 私が弱いということは、私の最高の親友も弱いということだ。

 そんなことは絶対にない。


 私がなす術もなく負けるということは、彼女の顔に泥を塗るということだ。

 そんなことは絶対にできない。


 私は誰もいない家へ戻り、鬼神の金棒を握った。

 私が持つにはまだ早いはずのその金棒が心なしか軽く感じる。






 私は金棒を片手に、紅眼の魔族グレンと私を負かせた細身の女性が滞在している家へ向かう。


「何の用だ? 足手纏いはいらないと言ったはずだ」


 冷めた目でそう告げる紅眼の魔族に、私は金棒を置いて膝をつき、頭を下げる。


「もう一度だけ見極めて欲しい。今度は貴女を失望させない」


 しばらくの無言の後、紅眼の魔族は口を開く。


「……いいだろう。条件は前回と同じでいいな?」


 私は顔を上げて頷く。


「感謝する。条件はそれで構わない」


 相手の剣を抜かせれば勝ちという屈辱的な条件。

 でも、残念ながら細身の女性と私の間にはそれだけの実力差がある。


「サーシャ、聞いていたな。頼むぞ」


 紅眼の魔族の言葉に、細身の女性がずっと前に出てくる。


 相変わらず闘気の量は人間の枠組みを超えない程度しかない。

 ただ、彼女が強いことは身に染みてわかっている。


 私は一礼して両手で金棒を構えた。


 相手は格上の強者。

 お父様を相手にするつもりで戦う。


 前回も舐めていた訳ではない。

 でも、心技体のうち、心が著しく欠けていた。


 今は違う。

 尊敬すべき親友のおかげで、今は心を取り戻せていた。


 私は目の前の細身の女性をじっと見つめる。


 力も闘気量もお父様が上。

 速度も技のキレもお父様が上。


 それでも、当てるだけなら私の攻撃をお父様に当てることはできた。


 ただ、この細身の女性には当たらない。


 それがなぜかは分からなかった。

 でも、だからといって戦えない訳ではない。


 私は全力で闘気を練る。


 それに伴い、細身の女性も臨戦体制に入った。

 腰に刺している剣をそっと握っている。


 ピリピリと張り付くような空気。

 闘気は少なくとも間違いなく強者が纏う雰囲気を持っている。


 そんな相手を前に、私は自分の口元が緩んでいるのに気付く。


 圧倒的な強者との戦い。

 どう考えても勝ち目のない戦い。


 普通なら挫けてしまいそうなそんな戦いを前に、私は笑みを浮かべていた。


 勝ち目のない戦いなら物心ついた頃から毎日行ってきた。

 圧倒的な強者を相手に毎日戦ってきた。


 相手は、なぜか分からないが私の攻撃を躱す。

 私より動きが遅いはずなのに、私の攻撃は当たらない。


 だったら小細工は不要だ。


 私は手にした金棒を真横へ大きく振りかぶる。

 闘気を十分に込めた金棒は、もし当たれば、華奢で闘気量の少ない細身の女性を簡単にへし折れるだろう。


「はじめ!」


 闘気の量が臨界点に達したのを感じた私は、紅眼の魔族の掛け声と共に、細身の女性へ向かって跳躍する。


 闘気を用いた跳躍は、凄まじい突進力を持つ。

 その勢いのまま、私は振りかぶった金棒を、細身の女性へ向かって振り抜いた。


 突進力と。

 金棒の重さと。

 注げるだけ注いだ闘気。


 私が今放てる最大の威力を持った攻撃。

 お父様ですら無傷では済まないだろう渾身の一撃。


ーーブォォッンーー


 風切り音を置き去りに振り抜かれた金棒を細身の女性は跳躍して躱す。


 後ろや横に回避しなかったのは流石だ。

 もし後ろや横に避けられたら、持ち手をずらしたり闘気を伸ばしたりすることで、攻撃範囲を広げられたのに。


 上に対しては攻撃を伸ばすことはできない。

 ……ただ、空中では回避もできない。


 全力で振り切った金棒はその重さに遠心力が加わり、止めることはできない。


 そう思ったからこその上空への回避。


 細身の女性の判断は間違っていない。

 ……私がまともであれば。


 遥か高みにいる相手と、まともに戦ってはとても勝てない。


 私は金棒を握る両手のうち、右手を離す。

 そして、金棒の遠心力に飲まれて回転しそうになる体を止めるため、左腕の前に闘気の壁を作る。


ーーバキャッーー


 左腕の骨が壁とぶつかって粉砕する音がして、金棒が止まった。

 それに伴い、体の回転も止まる。


 空中で私へ主導を繰り出そうとしていた細身の女性の目が見開いた。


 経験豊富であろう細身の女性の裏をかくには、演技では通用しない。

 だからこそ、渾身の一撃を放った。


 仲間にしてもらうための、命のかかっていない戦いのために、わざわざ自分から大怪我を負う馬鹿はいない。

 そんな先入観の裏手を書いて片腕を犠牲にした。


 左腕が潰れたことで、金棒が地面に落ちていく。


 金棒が地面に落ちるより早く。

 腕が潰れた痛みを自覚するより早く。


 私は空いた右手に闘気を込めて、細身の女性へ向かって繰り出す。


 金棒での渾身の一撃とは逆に、速度重視の一撃。

 致命の一撃とはならなくとも、相手に攻撃を当てるのを重視した攻撃。


 それでも、闘気量が劣る相手に当たれば、無視できない影響は与えられる。


 細身の女性は空中でその攻撃を躱そうとして……諦めた。


 闘気で壁を作ってそこを蹴って回避しようとしたようだが、それでは間に合わないとの判断だろう。


 私の拳を手刀で弾くにも、予備動作を行う余裕はなく、蹴り落とすには足の位置が離れすぎている。


ーードンッーー


 そのまま細身の女性を捉えるかに見えた私の拳は、硬いものに阻まれてその動きを止めた。


 半分抜かれた剣。

 闘気を帯びたその剣は、私の攻撃を難なく防いだ。


「それまで!」


 その瞬間、紅眼の魔族が声を上げる。


 私は拳を引き、音もなく地面に降り立った細身の女性は、静かに剣を鞘へしまう。


 紅眼の魔族は私へ告げる。


「合格だ。共に戦うことを認めよう。今回はその腕は治してやる。だが、今後はあまり無茶するな」


「助かる。無茶かどうかは私が判断するが」


 私は、紅眼の魔族の言葉に頷いた後、砕けた左腕の痛みを堪えつつ、細身の女性へ頭を下げた。


「お手合わせ感謝する」


 そして紅眼の魔族の方を向く。


「今はまだこれが精一杯だ。でも、必ずもっと強くなることを約束する」


 私はまだまだ弱い。

 お父様には遠く及ばず、この細身の女性の足元にすら辿り着けていない。


 今のままあの人間たちに会っても、私は返り討ちに会ってしまうだろう。


 でも、一つだけ言えることがある。


 今日の私は昨日の私より強い。

 明日の私はきっと今日の私より強いだろう。


 全ては最高の親友のおかげ。

 復讐は自分のためではあるが、私が弱いままでは、私の背中を押してくれた親友に対して恥となる。


 私は強くならなければならない。


 誰よりも強く。

 お父様よりも強く。

 紅葉が思う私より強く。


 私は金棒の先端を地面につき、空を見上げる。

 そして、天に帰られたお父様に誓う。


 お父様の仇は、命に代えても討つ。


 ……例えお父様が望まなくとも。

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