第17話 次期鬼神
私と花は、私のお母さんの母乳で育った。
花のお父さんは歴代最強とも言われる鬼神様で、花のお母さんは花が産まれてそんなに長く経たずに亡くなっていた。
本物の姉妹のように育った花。
お父さんである鬼神様のような鬼を目指して、誰よりも努力する花。
強くて。
優しくて。
眩しくて。
私はそんな花が大好きだった。
でも、いつの日からか感じるようになる。
そんな花の横に、普通の鬼に過ぎない私がいてもいいのかと。
「今日もおとうちゃまに鍛えてもらうの」
二人で遊んでいる時に、嬉しそうにそう話す花。
その笑顔を微笑ましく思うと同時に、危機感を覚える私。
鬼の社会は強さが全て。
そんな中で、早くも頭角を現し始めている花。
同年代の子供の中で、毎日鍛える花に敵う鬼はいなかった。
そんな花の周りには、強い花に惹かれた鬼の子供たちが集い始めていた。
このままでは花の横にいられなくなる。
そう感じた私は、花の横にいるために、自分を鍛えることに決めた。
「お母さん。私、花に負けないくらい強くなりたい」
鬼神様ほどではないが、かつてそれなりに名の馳せた鬼だったというお母さんに、私はそうお願いした。
「花は物心ついた頃から鬼神様に鍛えられてる。生半可な鍛え方じゃ一生花には勝てないよ」
お母さんの言葉に私は力を込めて頷く。
「私、花が好き。花の隣にいるためなら、どれだけだって頑張る」
私の言葉を聞いたお母さんはにっこりと微笑む。
「分かった。お母さんは若い頃、鬼神様には一度も勝てなかった。そんな鬼神様に毎日鍛えられてる花に勝つには花以上に厳しく鍛えるしかないよ。辛かったらすぐに言いなさい」
その日から、言葉通り血の滲む訓練が始まった。
普段は優しいお母さんが、まだ子供の私に遠慮せず、厳しい訓練を課してくれた。
毎日。
毎日。
お母さんの仕事の時間以外はひたすら私を鍛えてくれた。
お母さんが私を鍛えている間は、お父さんが家事を全部引き受けてくれていた。
お父さんも働いてい手疲れているはずなのに、愚痴なの一つも言わずに。
「俺よりお母さんの方が強いし教えるのがうまいからな。紅葉が鬼神のやつの娘を負かせて、鬼神の悔しい顔が見れるなら安いもんだ」
家族みんなの協力のおかげで、最高の環境のもと自分を鍛える日々。
お母さんに鍛えてもらい始めてから一年が経ち、それなりに自信がついた私は花へ試合を申し込む。
「花。私、花と戦ってみたいんだけど」
その頃の花は、同年代どころか、ある程度年上の子供にも負けなかったし、大人相手でもそれなりに戦えるようになっていた。
私の言葉を聞いた花は少しだけ考えて首を横に振る。
「ダメだよ紅葉。私、紅葉を怪我させたくないから」
私を思いやる花のセリフ。
でも、それは鬼の世界では誉められたものじゃない。
勝負を挑む相手への侮辱になる。
「逃げるの、花?」
私の言葉にピクリと反応する花。
「それでも鬼神様の娘?」
私の言葉に、怒りを露わにする話。
「……お父様は関係ない」
花が鬼神様の娘であることを意識しているのは、私が誰よりも知っていた。
その鬼神様をだしに使うのは卑怯なのもわかっていた。
それでも私は花と対等でいたかった。
「逃げるなら、鬼神様のそばにいる資格はない。花の代わりに、私が鬼神様のそばにいることにする」
花のそばにいるために。
花に嫌われるかもしれない言葉を口にする。
鬼として嘘はダメだ。
でも、鬼神様のことは、最高の男性だと思っていたから、完全に嘘というわけでもない。
「私は紅葉のこと、大事な友達だと思ってる。でも、お父様のことで私を侮辱するのなら、たとえ相手が紅葉でも容赦はしない」
大事な友達という花の言葉に、思わず笑みがこぼれそうになるのを堪えながら、私は花に告げる。
「容赦しなくて結構よ。本気で私と勝負して、花」
そうして行われた初めての勝負。
……結果は私の完敗だった。
必死に鍛えてきたはずだったのに、手も足も出なかった。
「……大丈夫?」
心配そうに私へ向けられる目は、私が望んだ視線じゃなかった。
悔しさと惨めさのために涙で滲む瞳で、私は花を見据える。
差し伸べられた手を払い除けて私は答えた。
「この程度なんでもない。次は私が勝つから」
戸惑う花に背を向けて、私はその場を後にする。
振り返るわけにはいかなかった。
大好きな相手に。
これから横に立とうとしている相手に。
悔し泣きする惨めな顔を見せるわけにはいかなかった。
それから私は、しばらく鍛えては花に挑むという生活を繰り返すことになる。
お母さんの厳しい訓練に耐え、私は確実に強くなっていった。
一日のほぼ全ての時間を鍛錬に費やす日々。
体は辛かったが、心は満たされていた。
ぐんぐん強くなり、同世代では花以外、私に勝てる鬼はいなくなった。
ただ、それでも花との差は縮まらない。
何年もの間戦い続けても、一度も花に勝てたことはなかった。
まだまだ隣には立てないけれど。
どれだけ追い続けても追いつけないけれど。
私自身、花以外の誰にも負けないくらい自分を鍛えてきたからこそ分かる、花の凄さ。
ライバルというのもおこがましい、私の憧れ。
これからもその背中を追い続けるんだと思っていた。
いつか隣に並び立てるその日まで。
隣に立てたたとしても、それで終わりじゃない。
再び置いていかれないよう、二人で切磋琢磨し続けるんだと思っていた。
花が鬼神様にも負けない立派な鬼神になって、私がずっと支え続ける。
そんな未来を思い描いていた。
……それなのに。
村を襲ってきた人間の手により、鬼神様が亡くなった。
よりにもよって花が人質にされてしまったせいで。
それだけでも立ち直れないほど辛いに違いない。
血のつながりのない私でさえ大きなショックを受けていたのだから、唯一の肉親を失った花の心中は計り知れなかった。
一度は人質になった私を助けてくれたのは花だ。
そんな花を守るために私が盾になるのは当然だった。
その結果、私の背中には一生火傷の跡が残ってしまうようだが、そんなことは花の命に比べれば、なんということもなかった。
少しは花の役に立てたかと思ったのに。
鬼神様の死で、花の心は死んでしまったかのようだ。
今の花を見ていると、私なんて何の役にも立てていなかったということを思い知らされる。
村の被害は大きかったが、私のお父さんは無事だったし、お母さんも一命を取り留めた。
誰よりも大好きだった父親を亡くした花に、私からかける言葉なんてあるのだろうか。
花は、村を救ってくれた二人へ、共に鬼神様の仇討ちをしようと申し入れた。
そして、そのうちの一人に完膚なきまでに敗れ、足手まといはいらないと切り捨てられた。
その日以来、日課の鍛錬も忘れ、呆けたよう空を見つめて過ごす花。
そんな花を見るのは辛かった。
でも、と私は思う。
今の花なら、私が支えてあげられるのではないか。
花にとって一番の心の支えだったであろう鬼神様という存在を失くし、もう一つの支えであったであろう強さも否定された。
全てをなくした花にとって、唯一無二の存在になれるのではないか。
そんな卑しい考えが私の中に浮かぶ。
大好きな花に依存される日々。
私なしでは生きていけなくなる花。
それこそ、私が望んだ生活ではないだろうか。
そう考えた私は、すぐにその考えを否定する。
それは違う。
私が一緒にいたいのは。
私が好きになったのは。
そんな弱々しい鬼じゃない。
誰よりも強くなろうとする、誰よりも眩しい最高の鬼だ。
「花」
私の問いかけに、生気を失った目をした花がゆっくりと顔を上げる。
「……何?」
そんな花の目に、心がずきりと痛むが、私は笑顔で話しかける。
「もう一回あの人たちにお願いしてみたら? あんなに強い人たちと一緒なら、きっと鬼神様の仇を討てるよ」
私の言葉に苛立たしげな顔をする花。
「私はあの人に手も足も出なかった。そんな私がついて行っても足手まといになるだけだ」
弱気な発言をする花。
やっぱり違う。
こんなの花じゃない。
「一回負けただけでしょ? それくらいで諦めるのは花らしくない」
私の言葉に、さらに不機嫌そうな顔をする花。
「紅葉に分かるわけがない。私より弱いくせに。私に何度負けてもなんとも思わないくせに」
いつもの花なら絶対に言わない言葉。
私が元の花に戻してあげなくてはならない。
「ふふふっ」
私の笑い声に花が眉を顰める。
「……何がおかしいの?」
花の言葉に、私はあえて憎まれ口を叩く。
「いつまでも私より強いと思っているところよ。花が何日も鍛錬をサボってる間にも、私は強くなった。今はもう私の方が強い」
私の言葉に立ち上がる花。
「紅葉の実力は誰よりも私がよく知ってる。たかだか数日じゃひっくり返らない」
私は花をまっすぐに見つめる。
「それならこうしよう。私が勝ったら花はもう一度あの二人にお願いしに行く。花が勝ったら、私はもう花にこの話はしない」
花の目に闘志が。
花の体に闘気が漲る。
「受けて立つよ、紅葉」
花との実力差がたった数日でひっくり返るわけはない。
私が本気になる何年も前から鍛えてきた花にそう簡単に勝てるわけはなかった。
……それでも。
それでも私は負けるわけにはいかない。
私は全身に闘気を流し、そして拳を振りかぶった。
ーードフッーー
何度目だろうか。
花の拳が私の腹部にめり込む。
「……うっ」
口から内臓が飛び出しそうになるほどの衝撃が、私の体を貫く。
普通の鬼の喧嘩では闘気は用いない。
でも、本気で何かをかけた戦いはその限りではない。
そして、闘気を用いた戦いでは、当然命の危険がある。
「もうやめよう、紅葉。このままじゃ紅葉が……」
今にも倒れそうな体を気力で立たせ、私は花を見据える。
「この程度で勝ったつもり? 私はまだ負けてない。負けるつもりもない」
私の言葉に困惑する花。
「何でそこまで……? そんなに私に出て行って欲しいの?」
花の言葉を、私は全力で否定する。
「そんなわけないじゃん!」
突然の私の叫びに、花が驚く。
「私は花とずっと一緒にいたい。でも、私が一緒にいたいのは、今の腑抜けた花じゃない。強くて、眩しくて、私なんかが隣にいるのも申し訳なくなるような、最高の鬼の花なの。花と離れるのは嫌だけど、それ以上に今の花を見てる方が嫌」
思わず出てしまった私の本音。
花はきっと引いているに違いない。
でも、言ってしまった後で後悔しても遅かった。
こうなってしまったら全て伝えるしかない。
「あの人たちと一緒なら、きっと鬼神様の仇を討てる。そして、私がどれだけ頑張っても勝てない花なら、足手まといなんかにはならない。これで負けたら私のゼロ勝九百九十一敗目。私なんかとは比べ物にならないくらい強い花なら、今はまだ力不足でも、すぐに鬼神様に負けないくらい強い鬼になれる」
私は、もう一度まっすぐに花を見つめる。
「だから花。花は鬼神様の命を奪い、村をこんなにした奴らを倒してきて。その間、力不足かもしれないけど、村は私が守るから」
私を見つめ返す花の目に、生気が戻るのがわかる。
「ありがとう、紅葉。私、もう一度あの人たちにお願いしてくる」
私は笑顔で頷く。
「うん。花なら絶対に大丈夫。もしまた連れてかないなんてふざけたこと言ったら、私があの人たちに挑んでても連れて行ってもらうから」
私の言葉に笑顔を作った後、花は言葉を返す。
「でも、一つだけ否定させて。紅葉は弱くなんてない。紅葉がいたおかげで今の私があるし、紅葉になら村を託せる。それに、今日の勝負は紅葉の勝ち。お父様が亡くなってどうしようもなく弱くなった私を紅葉が倒してくれたから。次会う時までに、紅葉にそんな弱さを見せなくて済むよう、もっと強くなって帰ってくるから」
そんな花の言葉に、私は何も言い返せない。
私は花にとって取るに足らない存在ではなかった。
それが分かっただけで、嬉しさのあまり涙が出そうになる。
そんな私を軽く抱きしめた後、花は私に背中を見せて駆けていく。
私は、そんな背中を見えなくなるまで見つめていた。
「よかったの、紅葉? 花と離れたくないんじゃなかったの?」
いつの間にか後ろに来ていたお母さんから、そう尋ねられ、私は涙を拭いながら振り向いて答える。
「確かにしばらく会えなくなるけど、花はきっと帰ってくる。体は離れても心は側にいるから大丈夫。だから私は、次会う時までにもっと強くなって、この村も立て直す。そうじゃないと、もっと強くなって、鬼神様の仇を討った花に合わせる顔がないから」
私の言葉に、お母さんも笑顔を作る。
「村の大人たちと話したけど、次の鬼神は花にお願いするつもりだった。その花が貴女に村を託したんだから、花が帰ってくるまでは貴女が鬼神よ」
あまりにも重い役目に、私は首を横に振ろうとして考え直す。
それぐらいしなければ、私は花と並び立つ存在にはなれない。
「分かった。でも、鬼神の名は名乗れない。鬼神に相応しいのは花だから。でも、代理でいいなら務めさしてもらう。花が帰ってきた時にガッカリされないよう、亡くなった鬼神様に負けないくらい立派に代理を務めてみせる」
私は、亡くなった鬼神様と、背中の見えなくなった花を思いながらそう決意した。
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