第16話 鬼神の娘⑥
お父様が助けに来てくれた。
それだけで安心できた。
いつもの落ち着いた優しいお父様ではなく、私が傷つけられたことに憤怒の表情だった。
どんな姿でも、信じられないくらい強いお父様を見て、間違いなくこの最悪の事態は終息すると思った。
人間たちを一撃で倒していき、私たちが手も足も出なかった龍を簡単に倒したお父様。
私が信じる、誰よりも強いお父様がそこにはいた。
……それなのに。
満身創痍で身動きが取れない私の首筋に当てられた剣。
恐怖で震え、理性のない目をした人間。
身動きが取れれば、こんな人間ごときに簡単に捕まったりしない。
私を人質に、お父様に自害するよう話す人間。
お父様は優しいだけではなく、冷静な判断ができる立派な鬼神だ。
私の命と、お父様の命。
どちらに価値があるかは明白だ。
もはや傷だらけで戦えない私。
この場において私に価値はない。
そもそも、万全であったとしても、若手の中では強いというだけの私と、歴代最強の鬼神とも言われるお父様とでは比べるべくもない。
お父様が生きていれば、この場を救える。
お父様が生きていれば、鬼の世界は今後も大丈夫だ。
私のためにお父様が死んでも、この卑怯な人間たちが、私を救う保証なんてない。
お父様が死んでも、それは無駄死にになる可能性の方が高い。
……それなのに。
それなのに何で?
何でお父様が死ぬの?
男手一つで私を育ててくれたお父様。
厳しくも優しいお父様。
どんなに忙しくても。
どんなに大変でも。
必ず私のために毎日時間を作ってくれた。
私を叱るときも、決して感情的にはならず、理路整然と伝えてくれた。
毎日ご飯も作ってくれた。
太い指で裁縫もやってくれた。
小さな頃は毎日遊んでくれた。
毎晩本も読んでくれた。
どんなに疲れていても私の訓練に付き合ってくれた。
病に罹れば徹夜で看病してくれた。
いいことをしたら大きな手で優しく撫でてくれた。
寒かったり寂しかったりした時は、そっと抱きしめてくれた。
思い出せばキリがない。
鬼神としても立派で、親としても最高。
私にとって理想のお父様。
ただ、そんなお父様から一度も聞いたことがない言葉があった。
溢れんばかりの想いを感じていたのに、ただの一度も耳にしたことのない言葉。
いつかは聞いてみたかった言葉ではある。
でも、それは今じゃなかった。
「愛してる」
最後にそう言い残し、お父様は倒れた。
感情が追いつかない。
まともに考えることができない。
考えてしまうと私は壊れる。
それでも叫ばずにはいられなかった。
「あ……ああああああァァァァァッ!」
私の声が虚しく響き渡る中、しばらくして金髪の人間が潰れた腕を魔法で癒しながらフラフラと歩いてお父様の亡骸の元へ行く。
「クソがっ! 亜人の分際でこの俺の腕をこんなにしやがって」
ーードガッーー
そう言いながら、残った両足でお父様の亡骸を蹴る。
ーーぺっーー
そして、唾まで吐きかけ、足で顔を踏みつける。
「や、やめろぉっ!」
怒りに任せて叫ぶ私。
そんな私に目を向ける腕の潰れた金髪の人間。
暗い眼をしながら、金髪の人間は私の方へ歩いてくる。
立っているのがやっとの私は、何もできない。
ーードフッーー
金髪の人間は闘気を込めた足で、私を蹴る。
ーードフッ、ドガッーー
倒れた私を何度か蹴り、お父様の亡骸のそばまで転がしてきた。
微動だにしないお父様の亡骸を間近で見て、改めてお父様が亡くなってしまったことを実感する私。
お父様の方へ手を伸ばそうとして、痛みのあまり動かせない事実に、唇を噛み締めるしかなかった。
金髪の人間は、冷たい目で私を見下ろしながら、私の首筋へ剣を当てていた人間に命じる。
「おい。お前、このメスの服を脱がせろ」
金髪の男に命じられた人間は困惑する。
「いや、どういうことか……」
困った様子の人間へ、舌打ちしながら金髪の人間は苛立たしそうに告げる。
「聖女様に後で治してもらうにしても、俺の腕をこんなにしたこいつは許せない。俺は約束を守る男だからこのメスは殺さないが、こいつの横で娘を犯す。あの世できっと悔しがるだろう」
金髪の野獣は私を見下ろす。
「よかったなお前。大好きなお父様の横で、一度は惚れかけた俺を相手に初めてを経験できて」
冷たい目にげびた笑みを浮かべながら金髪の野獣はそう告げた。
男の言葉に、私はすぐに決意を決める。
お父様の敵に殺されるくらいなら、私は死を選ぶ。
体は動かないが、顎はまだ動く。
勢いよく舌を噛み切ろうとする私の顎を、金髪の野獣が横から蹴り、開いた口の中へ靴を突っ込む。
「させるかよ」
金髪の野獣はそう言って暗い笑みを浮かべる。
「おい。俺の靴を脱がせてこのメスの口の中へもっと突っ込め」
金髪の野獣はそう言いながら、別の人間に命じてズボンのベルトを緩める。
「これで破瓜の痛みも耐えられるだろ。大好きなお父様の前で、大人の女に成長した姿もリアルタイムで見せられる。俺は亜人のメスであっても女には優しいんだ」
私は悔しさと憤りに気が狂いそうになりながら、金髪の野獣を睨みつける。
お父様を死に追いやり、私を汚す男の顔をこの目に刻みつけた。
手足が動くようになったら、きっとこの手で殺してみせる。
そう誓いながら。
先程まで私の首筋に剣を当てていた男が、今度は私の服へその剣を当てる。
この恥辱も屈辱も何倍にもして返してやろう。
そう思いながら、私の服を切り刻もうとする男の顔もこの目に刻もうとして、私の視界が真っ赤に染まる。
感情の高まりのあまり、視界がおかしくなってしまったのかと思った私は、その数瞬後に感じた生暖かさで、それが誤りだったと気付く。
思わず目を閉じた私。
錆のような匂いを鼻にしながら、瞼を上げた私の目に飛び込んできたのは、両腕を切り離され、血飛沫を撒き散らす人間の男だった。
「ぐ、ぐわあぁぁあっ!!」
今度は、叫ぶ男の首が胴体から切り離され、再び血飛沫を撒き散らしながら、ことりと落ちる。
恐ろしく早い剣筋。
その斬撃を放ったのは、見たこともない色白の女性だった。
人形のように整った顔で。
人形のように無表情に。
女性は剣に付いた血を払う。
突然の出来事に、場が一瞬凍りついた後、金髪の男が口を開く。
「な、なんだお前は!」
そう叫ぶ金髪の男。
色白の女性は、そんな金髪の男へ感情を感じさせない目を向けながら、剣を構える。
それを見て狼狽える金髪の男。
代わりに動いたのは、金髪の男の仲間の人間だった。
「逃げるぞ」
そう言って金髪の男と、生き残りの仲間たちに向かってそう言うと、次の瞬間、人間たちが一斉に目の前から消えた。
次から次へと巻き起こる突然の出来事に、私の理解が追いつかない。
この場で唯一事情が分かりそうな色白の女性へ問いかけようとして、私の言葉は別の声に遮られる。
「間に合わなかったか」
悔しそうな声のした方に目を向けると、またもや見知らぬ少女がそこにいた。
私と同い年くらいの金髪紅眼の少女。
その瞳は紅蓮に輝き、その髪は秋の稲穂よりも金色に輝いていた。
「『狩人』だけでなく、『旅行者』もいたか。俺の読みより早く襲ってきたのはそれが理由か。相変わらず厄介な能力だ」
紅眼の少女は独り言のようにそう呟きながら、お父様の亡骸に目を向ける。
「それでも鬼神ならば遅れを取ることはないはずだったが、理由はこの娘か。目と魔力が鬼神とよく似ている」
紅眼の少女は、私へ右手を向ける。
右手を相手に向けるのは、相手に魔法を放つための予備動作だというのは、先程この身を持って嫌というほど学んだ。
身構えたいところだが、手足はまるで動かない。
「俺の読みが甘かったせいで、鬼神もこの村も失ってしまった。許せとは言わないが、せめてもの詫びだ」
紅眼の少女がそう言いながら、私へ闘気のような何かを放つ。
私の体を柔らかく温かな光が包む。
しばらくその光に包まれていると、体の傷がみるみる癒えていくことに気付く。
十数秒の間に、さっきまで身動きすら取れなかった私の体は、ほぼ完治していた。
信じられない出来事に驚きながらも、私は立ち上がる。
目の前に立つのは紅眼の少女と色白の女性。
どちらからも敵意は感じなかった。
そもそも私を殺そうと思えば、身動きが取れない間に首筋を切るだけでいいのだから当然だろうが。
紅眼の少女も色白の女性も、特に強い闘気は感じない。
でも、紅眼の少女が先ほど私を癒した際には、お父様にも負けないくらいのから闘気を感じた。
色白の女性からも、信じられないことにお父様に匹敵するほどの歴戦をくぐり抜けた猛者の雰囲気が漂っていた。
私は、そんな二人へ、まずは頭を下げる。
「窮地を救っていただき感謝する。私の傷を癒してくれたことも。出来ることなら、まだ息がある鬼たちの傷も癒していただけるとありがたい。助けてくれるなら、この恩は私の身命を持って返す」
私の言葉を聞いた紅眼の少女は、表情を変えないまま、答える。
「全員というわけにはいかないが、重症者のうち助かる見込みのある者は助けよう。だが、お前の恩返しなどいらない。今俺に必要なのは強者だけだ」
ここで私が腹を立てるのは間違っているのは分かっている。
でも、鬼として、お父様の娘として、弱者扱いされて黙っているわけにはいかなった。
「確かに今回私は、奇妙な力を使う人間相手に遅れをとった。助けてもらったのにも感謝しかない。でも、弱者扱いされて黙ってはいられない」
私の言葉を聞いた紅眼の少女は、ふっと鼻で笑う。
「いいだろう。私の連れに剣を抜かせることができたなら、弱者扱いした非礼を詫び、助力を願おう」
私は、あまりにも私を舐めた条件に、なんとか憤りを抑えた。
怒りの感情は冷静さを失わせる。
もしかするとこの一連のやり取りも、私から冷静さを奪うための作戦なのかもしれない。
私は色白の女性相手に、素手で身構える。
「金棒は持たなくていいのか?」
紅眼の少女の言葉に私は答える。
「素手の相手に武器を持って戦うなんて恥知らずな真似はしない」
私の言葉に、一緒何か考えるような顔をした後、紅眼の少女は口を開く。
「まあいい。あとで武器がなかったことを言い訳にするなよ」
「当たり前だ」
即答した後、色白の女性の方を見ると、あくびでもしそうな様子で、こちらを向いていた。
二人して私を馬鹿にしている。
そう感じた私は、闘気を解放した。
それを見ても態度を変えない色白の女性。
「……始めるぞ」
相手は無言だったが、了承したと判断した私は、全身に闘気を流して跳躍する。
一歩で相手との距離を詰めた私は、右手で突きを繰り出す。
跳躍の勢いを活かしたまま繰り出された槍のような突き。
闘気を用いたその攻撃は、普通の人間では目視することすらできないはず。
でも……。
色白の女性はまるでそこに攻撃が来るのがわかってたように軽くかわす。
相変わらず大した闘気は感じないが、並の相手ではないのは分かっていた。
攻撃を簡単にかわされたのは驚きではあるが想定の範囲内。
そのまま二撃目に移ろうとした時だった。
伸び切った右腕に、色白の女性の手刀が振り下ろされる。
闘気を使っていないその攻撃速度は、私の突きと比べればゆっくりとしたものだった。
それなのに。
全くの死角から繰り出された攻撃を私はかわせない。
闘気に覆われた私の腕には全くダメージはなかった。
ただ、トンっと触れられた感触だけが伝わる。
「くっ」
私は思わずそう口にしながら蹴りを繰り出す。
色白の女性の側頭部を捉えたはずの蹴りは、虚しく空を切り、そして……。
トンっと私の脚に触れる手刀。
人間の反応速度は鬼よりはるかに遅い。
それでも闘気の量が多ければその差を覆せるが、闘気の量もこの女性は私より少ない。
それなのに私の攻撃はこの女性を掠ることさえできず、女性の手刀は私を捉え続ける。
認めたくはないが、相手は私より遥か高みにいた。
私は拳を振り上げようとして、そして下ろした。
この右拳は、先ほどの手刀が、剣か、もしくは闘気が込められていたら、既に失われたものだ。
それを見ていた紅眼の少女がため息をつくのが目に入る。
「はぁ……。もう終わりでいいか?」
紅眼の少女の言葉に、私は残念ながら頷くしかない。
私が小さく頷いた後、紅眼の少女は、私へ告げる。
「やはりお前は連れていけない。他の怪我人を治すから俺はもう行く」
紅眼の少女はそれだけ言い残すと、私に背中を向け、この場を離れた。
色白の少女だけが、表情の読めない目で私をしばらく見つめ続け、そして同じく背を向けると、紅眼の少女が歩いて行った方へ消える。
「……くそっ」
村も救えず。
お父様を犠牲にし。
仇を討ちに行くことさえできない。
……全ては私が弱いせいで。
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