第15話 鬼神⑩
あと少しで村へ着くというところで、村の方から駆けてくる村人たちと会う。
「みんな、大丈夫か!?」
私の言葉に、泣きそうな表情で答える、赤ん坊を抱いた母親。
「……花ちゃんや紅葉ちゃんのおかげで何とか逃げ出せました。相手は巨大な龍を連れています。早く花ちゃんたちを助けてあげてください!」
縋るようにそう告げる母親に、私は頷く。
「このまままっすぐ西へ行け! グレンという名の魔族がどうにかしてくれるはずだ」
私は逃げる鬼たちにそう告げると、再び村へ向かう。
村人たちがまだここにいるということは、まだ花たちが戦っている可能性が高い。
私はさらに速度を上げ、村へと向かう。
村に着いた私は、村の外れから、強力な多数の闘気を感じる。
私は、気を引き締め、闘気を感じる方へ向かった。
そこで見たのは、地面に伏す数人の鬼と、膝をつく紅葉の母。
そして、真っ赤に焼け爛れた背中の紅葉。
ただ、それより何より私の目に飛び込んできたのは、鬼たちを守るように先頭に立ち、闘気も纏わずに人間の攻撃を受ける花だった。
両手両足から血を流し、服ばぼろぼろで、服から覗く肌は焼け焦げていた。
その姿を見た瞬間、私の理性は吹き飛んだ。
私は右手に全力の闘気を込めると、花へ右手を向けていた人間を力任せに殴りつける。
ーーバキャッーー
爆散する人間の頭部から撒き散らされる血と骨と脳。
それらを浴びながら、私は次の人間を狙う。
次の獲物に定めた人間は、恐怖に顔を引き攣らせながら、自分の周囲に透明な壁を作る。
人間は闘気で己の身を守る壁を作れると聞く。
私はその壁に蹴りを入れる。
ーーバキッーー
ヒビは入ったが、一撃では砕けない。
だが、そんなことは関係なかった。
私は、拳から血が出るのも気にせずに、その壁を殴りつける。
ーーパリンッーー
乾いた音を立てて砕けた透明の壁の破片を浴びながら、私は、人間に向かって拳を振りかぶる。
「ま、ままま待ってくれ。俺はあいつに誘われただけで、まだ何もしていない。誰も殺してないし、メスを犯してもいない」
恐怖に震え、失禁する人間を見下ろしながら、私は拳に込める闘気の量を増やす。
「何も? お前たちにとって、私の大事な娘をあそこまで痛めつけたことは、何かをした内には入らないのだな」
私はそれだけ言って、目の前の人間の頭を粉砕した。
ーーバキャッーー
二人の人間の返り血や頭蓋骨の中の内臓物で、私の体はドロドロになってしまったが、今はそのようなこと、気にもならなかった。
私は周りを見回す。
恐怖に固まる人間が数名と、巨大な龍。
私が次に始末する人間の目星をつけていると、先日この村を襲ったばかりの金髪の人間が叫ぶ。
「ど、ドラゴンを使え! 能力を十倍にする!」
金髪の人間の言葉に、誰かしらに操られていると思しき龍が、闘気の量を爆発的に増やしながら、私の方へその首を向ける。
ーーブオッーー
風を切る音を立てながら、その巨大な尾が私を襲った。
ーードフッーー
私はその尾を両手で受け止める。
そして、左腕で抱き抱えながら、右手を手刀の形にし、魔力を込めて振り下ろす。
「ギャァァッ!!」
龍の尾が血を撒き散らしながら、その体から離れた。
トカゲのしっぽのように跳ねる尾を投げ捨てた後、私は、少し離れたところに落ちていた金棒を拾い上げる。
龍の闘気の量は、私と同じくらい。
だが、それは全く問題なかった。
闘気の量が同じなら、この世の誰にも負けるつもりはない。
ましてや、金棒があるなら尚更だ。
私は金棒を振り上げる。
歴代の鬼神が受け継いできた金棒。
ズシリと思いその金棒へ闘気を流す。
まるで体の一部のように軽くなる金棒を、私に噛み付かんとしていた龍の頭へ振り下ろす。
ーーゴキッーー
鈍い音を残して、龍の頭が半分潰れる。
まだ息がある龍へ、もう一度金棒を振り下ろす。
ーーゴギャッーー
既に闘気の薄れていた龍の頭が完全に潰れる。
真っ赤に染まった金棒を右手に、私は金髪の男の方を向く。
ガクガクと震え、尻餅をつく金髪の男に向かって、私はゆっくりと歩み寄る。
今すぐにでも駆け寄って殺したいが、なんとか感情を抑え、一歩づつ歩を進める。
「ば、馬鹿な……。四階位のドラゴンが……。十倍の能力で、魔王並の力のドラゴンが……」
尻をつきながら無様に後退りする金髪の男を見下しながら、私は金棒を振り上げた。
「お前たちは、俺の何より大事なものを傷つけた」
私は金棒を振り下ろし、まずは金髪の男の右腕を砕く。
ーーゴギャッーー
「ギ、ギィヤァ!!」
私はそんな男を冷めた目で見ながら、もう一度金棒を振り上げる。
「楽に死ねると思うな。花が負わされた苦痛の百倍は苦しめてから殺してやる」
両手両足を潰し、顔の皮を剥ぎ、内臓を順番に潰す。
そう考えていた時に、別の人間の声がした。
「ま、待て!」
私はその言葉を無視し、金棒を振り下ろす。
ーーベチャッーー
「グ、グワァァァッ!」
左腕を潰された金髪の男が奇声を上げる。
「ま、待てと言っているだろ! こ、こいつがどうなってもいいのか!」
私は金髪の男への攻撃をやめ、後ろを振り返る。
そこには、傷だらけで動けない花の首に剣を向ける人間の男の姿があった。
私は怒りに血が沸騰しそうになるのをなんとか抑え、人間の方を向く。
「娘に指一本でも触れてみろ。ここで俺に潰される男よりさらに痛めつけて殺す。だが、もし何もしなければ、半殺しで許してやる」
本当なら全員殺してやりたいが、花の命には代えられない。
私の言葉に対し、花を人質にとった男の反応は想像とは違った。
「や、野蛮な亜人の言うことなんか信じられるか! このメスガキを殺されたくなければ自害しろ!」
私は金棒を構える。
「勘違いするな。お前がその距離で花を殺すより、俺がここからお前の頭を潰す方が早い。お前を殺さないと言うのは温情だ。さっさと剣を下ろせ」
私の言葉を聞いた男は、それでも態度を変えない。
恐怖に震える手で花の首筋に剣を当てたまま、今にも剣を動かしかねない危うい目をしたまま、声を荒げる。
「だ、だったらやってみろよ! 俺だって魔王を倒すために鍛えてきたんだ。お前より先にこのメスガキを殺してやる」
実際のところ、私の方が早いかどうかは賭けだった。
花を人質にとった人間がその剣を数センチ動かすのと、数メートルの距離を跳躍して金棒を振るのでは、距離が違い過ぎる。
力量差と距離の差。
そのどちらが上に働くかは、やってみなければ分からなかった。
……それに。
私はこの男の全てを知っているわけではない。
私の足元で両腕を潰されて死にかけている金髪の男のように、私の知らない妙な力を使うのであれば、間に合わない可能性はさらに高まる。
……だからこそ。
私の手は動かない。
あまりにも不確定な賭けに、花の命を天秤にかけることはできない。
花が死んでしまう可能性がそれなりにある中では、私は動くことができない。
金棒を持ったまま次の行動を起こせない私に、花が口を開く。
「……お父様。私のことなど気にせず、この人間たちを倒してください。例え死んだとしても、私が死ぬだけで村が救われるなら、ここで死ぬことは本望です。鬼神であるお父様の娘として、これ以上誇らしい死に方はありません」
鬼神である私より鬼神らしい花の言葉。
掠れ掠れの声にもかかわらず、その言葉には確かな強さと重みがあった。
花が鬼神となったなら、私などとは比べ物にならないほど立派な鬼神となっただろう。
そして、鬼神としては、花の言葉通り、花を人質にとった人間を殺し、残りの人間を殲滅することが正しいのは分かりきっていた。
それでも私は……。
私は手に持った金棒を地面に置く。
「お父様! 何をしているんですか!?」
重症とは思えないほど大きな声が花から発せられる。
「お父様が死んでしまえば、この人間たちが再び鬼の村を襲うのは明白です。そうなれば私は死にます。ここで人間たちを殺すこと。それが一番なのは間違いありません」
花が言うことはもっともだ。
だが、ここを生き延びさえすれば、グレンたちが救出してくれるだろうという打算もあった。
グレンのもとにいた女性の実力は本物だ。
この程度の敵なら簡単に滅する力はある。
時間稼ぎさえできれば花は生き延びられるだろう。
私は、その可能性に賭けた。
花が生きる時間稼ぎに死ぬのなら、悪くない死に方だ。
「私は、花が思うほど立派な鬼神ではない。私にとって何よりも大事なものは花だ。鬼の未来より、世界の安定より、私は花の命と将来の方が大事な、ただの親に過ぎない。花が暮らす村のためなら命を賭けれるが、花を失ってまで守りたいものなど何もない」
私は、闘気を声に乗せ、この辺りあたり一体に響き渡るくらい声を張り上げる。
「鬼たちよ! ただ今をもって私は鬼神の座を降り、ただの鬼と戻る。最後まで村を守り抜くことのできなかった役立たずの鬼神で申し訳なかった。だが、せめてもの償いとして、龍と人間の何人かは始末した。戦える者はこの場に集まってほしい!」
せっかく逃げ出せた鬼たちを呼び戻すのは心苦しい。
だが、鬼は戦いに誇りを持つ種族だ。
逃げ出した鬼たちの中には悔しさを滲ませた目をした者も多かった。
娘を守るために利用することに、なんの言い訳もできないが、彼らの心に救いを与えることにもつながるかもしれない。
命より誇りを。
そう思うものも間違いなくいるはずだから。
これで。
私が死んでも、人間たちは、簡単に花に手をくだせない。
私は花に向き直る。
私に愛を教えてくれた、世界一愛する妻との間に生まれたかけがえのない娘。
桜が死んだ後、全てを捧げて育ててきた大切な娘。
強過ぎる腕力で傷つけないよう優しく触れることを覚えた。
夜泣きをあやすための、心地よいあやし方も覚えた。
酒のつまみ以外の料理についても覚えた。
子供が喜ぶ遊びも覚えた。
桜がいなくなってどんなに辛くても。
桜がいなくなってどれだけ寂しくても。
花がいたから耐えられた。
鬼神の仕事がどれだけ忙しくても。
村人たちの命を預かる重圧に折れそうでも。
花の笑顔一つで乗り越えられた。
毎日成長する花を見るだけで、自然と頬が綻んでしまう。
日々のたわいのない出来事が、かけがえのない宝物で。
この幸せを独り占めしていることが、嬉しくて、寂しかった。
可愛くて。
愛しくて。
いつの間にか、桜と同じか、それ以上に私の大事な存在になっていた花。
その花が死ぬかもしれない。
そんなリスクは耐えられなかった。
ここで私が死んだ方が、もしかすると花の死ぬ確率は高いのかもしれない。
だが、恐怖に判断能力が狂い、今にも花を殺しかねない人間相手に。
私より早く花を殺しうる能力を持っているかもしれない相手に。
勝算の分からない賭けで花の命を危険に晒せない。
「絶対に花には手を出すな。それが条件だ。それが守られないなら、あの世からお前たちを呪い殺してやる」
私はそう言った後、右の拳に闘気を込める。
「お父様!」
掠れた声で叫ぶ花に、私は笑顔を向ける。
「花。生まれてきてくれてありがとう。花、私は……」
花に対して一度も口にしたことのない言葉。
でも、いつかは必ず伝えようと思っていた言葉。
私に幸せをくれた。
桜のいない世界で、私に生きる意味を与えてくれた。
そんな花に感謝と共に伝えたかった言葉。
「私は花を愛している」
恥ずかしくてずっと言えなかった言葉を花に伝え、そして私の右拳は、私の胸を貫いた。
ボロボロの姿で泣き叫ぶ花を見ながら、私は自分の視界が薄れていくのを感じていた。
すまない、桜。
最後まで花を守れなくて。
すまない、花。
鬼神としても父親としても半端なままで。
花の成長を見続けられないのは残念だ。
ただ、この十数年の花の成長を、桜に伝えられるのならば、それは悪くないと思えてしまう無責任な自分もいた。
薄れゆく意識の中で最後に願う。
花。
願わくば花の将来に幸あらんことを……。
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