第13話 鬼神⑨

 花を村に残し、村を出た私は、人間の足で三日、鬼の足で半日ほど離れたところに滞在しているという、王国の生き残りの魔族の元へ向かった。


 花を残していくのは不安ではあったが、だからといって、連れていくのが安全というわけでもない。


 今から向かう先の魔族が、必ずしも味方というわけではないからだ。

 残党を呼び寄せるための罠、という可能性も考えられる。


 何よりも大事なものが花であるのは間違いないが、だからといって、村の鬼たちがどうでもいいというわけではない。


 これから向かう先ぐわなである可能性と、村が襲われる可能性。

 それらを総合的に判断した結果だ。


 それでも、何があった時のために、自分の手で守れる範囲に置いておけばよかっのではないかと思ってしまうのは、私のよくないところかもしれない。


 花のことが頭から離れないまま歩く私が向かう先にいるとされている魔族と、私は面識がない。


 王国の行事にほとんど顔を出していない私は、そもそも他種族に知り合いが少なかった。


 龍の血が流れているという龍神。

 獣人の王である獣神。

 そして、国王を除き最も魔力が高いという魔神。


 それらの神の名を冠する強者についてはある程度知っているが、その他の魔族についてはよく知らない。


 だが、これから会う相手については、噂話を聞いたことがある。


 次期国王になる予定の王太子の伴侶の座を約束されていた少女。

 次期魔神になり得るだけの才能を秘めていると言われる少女。


 花と歳の変わらないその少女には、会ったことはないが、同じ年頃の娘を持つ親として、気にはなっていた。


 国王が殺され、王太子も殺され、復讐の炎に燃えているという少女。


 これから会う相手が本当にその少女なら、助けになってくれるに違いない。


 鬼の足でも半日かかる道のりを三時間ほどで駆け抜けた私は、小さな村へと辿り着いた。


 私が暮らす村より小さな村。


 開けた場所にあるその村に佇む、何の変哲もない宿屋へ私は一人赴く。


 宿屋には受付の人間の女が一人いるだけで、誰かが待ち構えている様子はない。

 罠のような気配も感じられなかったが、念のため警戒は怠らずに受付の女へ尋ねる。


「ここへ金髪紅眼の魔族が泊まっていると聞いたんだが」


 俺の言葉を聞いた女は、またか、というような表情を一瞬浮かべた後、すぐに笑顔をつくり、少々お待ちください、と告げた後、宿屋の主人を呼びにいく。


 しばらくして現れた中年で細身の主人は、笑顔のまま質問する。


「あなたはどちら様でどのようなご用件でお越しでしょうか?」


 主人の言葉に、私は素直に答える。


「私の村が神国の者だと思われる人間に襲われた。その村を守るための助力を請いに来た」


 顔に笑顔を貼り付けたまま、じっと私の目を見つめて話を聞いていた主人は、にっこりと頷く。


「承知しました。少しだけお待ちください」


 数分待たされた後、主人は二人の女性を連れてきた。


 一人は金髪紅眼の魔族の少女。

 この少女が噂の魔族だろう。

 闘気を抑えてはいるが、その身に宿る力は、確かに次期魔神をうかがうくらいに感じられる。


 その横に立つのは長身で白髪の人間の女性。

 人形のように白く整った顔に、感情の感じられない目。

 人間にしては闘気が多いようだが、私や紅眼の魔族の少女には及ばない。

 それにもかかわらず、私の感覚が、この撫でただけで折れそうな人間の女性に対して、警鐘を鳴らす。


「まあ、そう警戒しないで欲しい。貴方が敵対しない限り、こちらからは危害は加えない」


 そう言葉を発したのは、紅眼の魔族。

 この少女もまた只者ではない。

 単に魔力が高いだけではなく、その目はいくつもの死線と絶望を乗り越えてきた、強者のものだった。


「私が貴女に着いて知っているのは噂話程度だ。悪いが、いきなり信用しろと言われても難しい」


 私の言葉に、紅眼の魔族は、にいっと笑う。


「なるほど。貴女が言うことはもっともだ。ただ、私は貴方についてある程度知っている。歴代最強の鬼神の呼び声も高い鬼の中の鬼。ただ強いだけではなく、最愛の妻を亡くしてからは、男で一つで娘を育てながら、我の強い鬼たちをまとめ上げる素晴らしい族長」


 褒められすぎな気はするが、否定するほどのことではないので黙って聞いていた私に、紅眼の少女は言葉を続ける。


「ただ、今は、神国の人間に村を攻められ、助けを必要としている」


 紅眼の少女の言葉に、私の警戒度はさらに上がる。

 情報が早すぎるからだ。

 これだけ早く情報を入手できる理由は二つしかない。


 驚く程優秀な情報網があるか、もしくは、私の村を襲った人間と通じているか、だ。


「そして、会ってみて初めて分かったことがある。貴方は脳筋ではなく、自分の力に驕っているわけでもなく、私の言動や、力を隠しているはずのサーシャの雰囲気から、正しく警戒心を持てる人物だということだ」


 紅眼の少女は、そう言って言葉を続ける。


「俺の目的は一つだけ。俺の最愛の人を殺し、最愛の人の大切な国を滅茶苦茶にした、神の使徒を称する人間どもを皆殺しにすることだ。だから、奴らの仲間の動向は把握しようとしているし、共に戦ってくれそうな仲間も探している」


 紅眼の少女から怒気が溢れ出しているのが分かる。

 これが演技だとしたら私には見抜けない。


「俺ばかり話して申し訳ない。そう言えば話があるのは貴方の方だったな。まずは話を聞こう」


 思い出したかのようにそう言った紅眼の少女に、私は本来の目的を告げる。


「貴女が言った通り、私の村が人間に襲われた。村を守るために助力をお願いしたい」


 私の言葉に、紅眼の少女は、じっと私の目を見る。


「いいだろう。だが、ただで助けてやるわけにはいかない。さっきも話した通りで、俺は神の使徒を称する人間どもを根絶やしにする。だが、現状戦力は全く足りていない。そこで貴方には、私の麾下に入り、共に戦って欲しい」


 紅眼の少女の言葉に、私は考える。


 私は村に残って村を守りたい。

 村に暮らす何より大切な娘、花のそばにいたい。


 だが、大勢で攻めて来られれば、私一人では守りきれないし、諸悪の根源を断たなければ、またいつ襲われるかも分からなかった。


「……分かった。だが、私にとって大事なのは同じ種族であり、家族だ。貴方の麾下に入っても、私は鬼という種族と家族を優先する」


 私の言葉に、紅眼の少女は少しだけ考える。


「絶対の忠誠を誓ってもらいたいところだが、むしろ本心が分かっていた方が安心か。いいだろう。その条件で頼む」


 そう言って立ち上がった紅眼の少女は右手を前に出す。


「グレンだ。これからよろしく頼む」


 私は少女の右手を両手で掴む。

 この国の魔族や人間の間では、差し出された手へ口付けを返すのは婚姻の証だが、両手で握り返すのは主従の契りだ。


 私は、この紅眼の少女の臣下となった。


「それでは早速向かおうか」


 少女はそう言うと、後ろの白髪の女性だけを連れて、家を発とうとする。


「ま、待て! いや、待ってください。兵は連れていかないのですか?」


 私は主となった少女グレンへ尋ねる。


「ああ。俺とサーシャがいれば十分だ。数だけの敵なら千でも二千でも俺一人で始末できるし、サーシャで勝てない敵なら、誰を連れて行っても一緒だ。万を超える敵や、サーシャ並みの手練れを何人も連れて来られれば、それに耐えられる戦力はそもそもない」


 主人であるグレンの言葉に、私は耳を疑う。


「グレン様。申し訳ないが、娘の命や村の存亡がかかっている。貴女の言葉をそのまま信じるわけにはいかない。貴女がそれなりに戦えるのは分かるし、その女性が雑魚でないのは分かる。だが、一人で十分かどうかは分からない」


 私の言葉に、グレンはため息をつく。


「まあ、サーシャの魔力量は心許なく感じるからな。そんなに心配なら、少し手合わせしてみろ」


 グレンの言葉に、私は頷く。


「闘気を使っても?」


 私の言葉にグレンは少しだけ首を傾げた後頷く。


「闘気? ああ、魔法がほとんど使えない鬼は魔力のことを闘気と呼ぶんだったな。もちろん使え。お互いそうじゃなきゃ力が分からないからな」


 私は、グレンの言葉を聞き、サーシャと呼ばれる白髪の女性に向かって身構え、闘気を放つ。


「闘気を使えば手加減は難しい。死ぬんじゃないぞ」


 私の言葉に反応を見せないサーシャ。

 私の闘気を浴びて全くの反応を見せないのは気味が悪かったが、相変わらずサーシャからはそこまでの闘気を感じない。


 闘気の量が絶対とは言わない。

 だからこそ、鬼は普段、闘気なしで体を鍛えている。


 だが、圧倒的な差がある中で逆転するのが難しいのも事実。


 それにもかかわらず、グレンがここまで信頼を寄せるのは、本当に強いからか、それとも見る目がないのか。


 そんなことを考えている間に、グレンが手を頭上へ掲げる。


「俺が手を振り下ろしたら始めろ」


 そう言葉を発したグレンが、少しだけ間を置いて右手を振り下ろす。


「始め!」


 手を振り下ろしても、サーシャが動く様子は見えない。


 闘気の量が劣る相手が私に勝とうと思えば、隙を突くしかない。

 さすがに無闇に突っ込んでくるほど馬鹿ではないか、そう思った時だった。


 閃光とともに、目に入ったのは、今にも私の胸を貫きそうな剣の鋒だった。


 避けている時間がない。


 そう判断した私は、闘気を集中して、胸を守る。


ーープシュッーー


 剣は、私の皮膚を傷つけるに留まったが、私は驚愕した。


 視界に捉えられない動きの速さもそうだが、圧倒的に劣る闘気で、私に傷をつけたことにもだ。


 だが、私はその理由を考えるより早く、右腕を振る。


 加減をする暇もなく、その左脇腹を弾けさせるはずだった私の右拳は、空を切る。


ーーブンッーー


 また閃光を残して宙を舞い、私の攻撃を交わすサーシャ。

 そして、伸び切った私の右腕を切りつける。


ーーブシュッーー


 両断するには至らないが、今度は皮膚だけでなく肉にまで到達したその斬撃。


 ありえないと思った。


 同じ鬼の中でも、全力で闘気を纏った私を傷つけられるものがどれだけいるか。

 油断していたわけではないつもりだったが、どこかで自分が傷つけられることはないという驕りがあったのかもしれない。


 力試しのつもりで戦える相手ではなかった。

 私は小手調べから、強敵相手への戦闘へ思考を切り替える。


「はい、終わり」


 そんな私へ、グレンがそう告げる。


「これでサーシャの力は分かっただろ? これ以上は、お互いただじゃ済まない」


 グレンはそう言うと、私の腕の傷に右手をかざし、傷を治す。


 魔法。


 鬼の社会では、なかなか目にかかることのできない奇跡。


 先ほどの話では、グレンは敵を殲滅するのに適した魔法を使えるはずだったが、回復の魔法まで使えるようだ。

 魔族は基本、瞳の色に応じて一系統の魔法しか使えないはずだったが、この少女もまた特別ということだろう。


 少なくとも闘気を纏った私を傷つけるだけの力を持ち、未だ強さの底が見えないサーシャ。

 そして、殲滅力に自信を持ち、回復魔法も使えるグレン。


 確かにこの二人がいれば、戦局は良くなるかもしれない。


「分かった。二人に助力を願う」


 私がそう告げ、グレンが笑みを浮かべた時だった。


「グレン様!」


 グレンの配下と思われる魔族が、血相を変えて駆け込んできた。


「何だ? 今取り込み中なのだが」


 少し不機嫌そうなグレンへ魔族は告げる。


「鬼の村が神国の人間に襲われています。敵は四階位のドラゴンを連れ、中には『狩人』の称号持ちもいるとのことです」


 その言葉を聞いた瞬間、全ての思考が吹き飛んだ。


「悪いが、私は今すぐ村へ戻る」


 そう告げた私に、グレンは首を横に振る。


「ダメだ。あまりにも早いこの攻撃。間違いなく鬼神である貴方の不在を狙ったもの。その目的は間違いなく罠だ。みすみす貴方を死地へ追いやるわけにはいかない」


 グレンの言葉に、今度は私が首を横へ振る。


「先ほども告げた通り、私にとって何よりも大事なのは娘だ。娘を救えないのなら、私だけ生きていくつもりなどない」


 話しながら私は、急いで村へ戻るために、再度体の闘気を高める。


「……今から行っても間に合わない。奴らは若い女を簡単に殺しはしない。娘さんもきっと殺されはしないだろうから、戦力を整えて奪還することを目指すべきだ」


 グレンの言葉を私は鼻で笑う。


「その間、人間どもに娘が陵辱されるのを耐えて待て、と?」


 グレンは苦虫を潰したような顔をしながら応える。


「……皆んな死ぬよりマシだ」


 私はため息をつく。


「見解の相違だ」


 私はグレンへ背を向ける。


「貴女も子を持てば分かる。自らの命よりも、世界よりも大事な存在がこの世にはあることを。私は行く。私が貴女の命を守らず行くのだ。助力はなくても構わない」


 それだけ告げた私は、何も言葉を返せないグレンたちを残し、すぐにその場を離れた。


 行きに三時間かかった道を半分の時間で駆ける。


 闘気の消費が激しく、戦闘に問題が出る可能性はあったが、間に合わなければ、闘気が残ったところで意味がない。


 私は駆けながら、花のことを考える。


 花は自慢の娘だ。


 強く。

 賢く。

 何より優しい。


 桜のおかげで何とかまともになれた私とは違い、物心ついた時から本当の強さが分かっている子だ。


 闘気の量こそ鬼の中でもずば抜けているわけではないが、鬼神としての資質は私なんかよりもある。


 花には、敵わないようなら逃げるよう告げてから村を出た。

 だが、きっと花は、先頭に立って最後まで戦い続けるだろう。

 それが分かっていながらも、恐らくしばらくは人間たちも攻めてこないだろうと思って、花を残したのは私のミスだ。


 私は怖かった。


 どんな強者が相手でも怯むつもりはないが、自分より大切な存在がいなくなるのは、何よりも怖かった。


 桜が旅立った時も、辛かった。

 ……でも、その時には花がいた。

 今、私には花だけだ。

 花だけが私の全てだ。


 その花がいなくなることなんて耐えられない。


 遠くに村が見えてくる。

 遠目にもうっすらと立ち上る煙が、すでに人間たちが村を襲った後であることを告げていた。


 私は闘気の量を増やしてさらに速度を上げる。


 間に合ってくれ。


 心の中でそう念じながら、私は残り少しとなった道を急いで駆けた。

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