第12話 鬼神の娘④
紅葉は見るからに弱っていた。
ともに切磋琢磨し合ってきた、美しく強い鬼の姿はなかった。
今まで見たことがないくらい真っ青な顔をして立っている。
私は頭上に振り上げた金棒をゆっくりと下ろし、地面に置く。
「ダメよ花! 私のことなんていいから、このまま人間達を倒して」
私は微笑みを作って首を横に振る。
「できないよ、紅葉。親友を見捨てて自分だけ助かるなんて。そんなことするくらいなら、死んだ方がマシだよ」
紅葉は激しく首を横に振る。
「ダメ! 花が死んだらこいつらはどうするの? もっとたくさんの仲間が殺されちゃうのよ」
私はもう一度首を横に振る。
「大丈夫。この村にはお父様がいる。私が死んでも、こんな奴ら一瞬で倒してくれる」
「でも!」
紅葉が泣きそうな顔で私を見る。
「ごちゃごちゃうるさい!」
茶髪の男が私を殴り付ける。
だが、鬼である私には効かない。逆に茶髪の男の方が拳を痛めたようだ。殴った手を押さえている。
「本気で殴れ、人間よ。まさか今のが本気じゃないだろうな?」
茶髪の男は、私の言葉に激昂する。
私を殴ったのと逆の手で光の刀を出すと、袈裟懸けに私を斬りつけてきた。
――ジュッーー
肉が焼ける嫌な音を残して、私の皮膚が焼ける。
先程魔法で攻撃された時のような激痛が私を襲う。
私は痛みを表情に出さずに耐える。
「武器を使わなければ、無抵抗な女相手に、殴ることすらできないのか?」
私は、嘲笑を浮かべた。
「黙れ!」
茶髪の男は、再度私を斬りつける。
痛い。
泣きたくなる程痛い。
だが私は泣くわけにはいかない。
身体中が焼き爛れ、二目と見ることができない姿になろうとも、弱さを見せるわけにはいかない。
私は鬼神の娘。
お父様の娘だ。
そして紅葉のライバルだ。
「紅葉!」
私は親友の名を呼んだ。
「花……」
今にも消え入りそうな声で紅葉が答える。
「私が死ぬのは紅葉のせいじゃない。私が死んでも紅葉は生きなきゃダメ。生きてさえいればどうにかなる」
「花……」
紅葉の目から涙が溢れる。
「一人前の鬼が人前で泣いちゃダメ。紅葉は私より強くなるんでしょ?」
私は紅葉に笑顔を向ける。
私が喋り続ける間も、茶髪の男は私を斬りつけ続ける。
体の何割かが焼けると、皮膚呼吸ができなくなって死んでしまうと言う。
あとどれくらい焼けたら私、死ぬのかな。
死ぬのは不思議と怖くない。
鬼神になれなかったのは残念だ。
仲間を大勢救えなかったのも残念だ。
でも、親友が救えた。
私一人の命で一人の命が救えたんだ。
十分だろう。
でも、最期に一目だけでもお父様に会いたかったな。
強くて優しいお父様。
大好きなお父様。
痛みで意識が遠くなりそうになったその時だった。
今まで感じたこともない強烈な闘気が私を襲った。
――ドゴッーー
次の瞬間、何かが潰れる鈍い音がした。
私は音がした方を向く。
そこには、紅葉と、紅葉に刃物を突きつけていた男の体。
そう。
体だけが立っていた。
その隣に立つのは、真っ赤な拳を握りしめた巨体。
人間に比べて体の大きい鬼の中でも、一際大きな体をした鬼が立っていた。
鬼の顔は見えない。
でも。
誰よりも立派な背中を見れば、その鬼が誰だか一目で分かる。
鬼は、体だけとなった人間の男の体を蹴飛ばすと、呆然とした紅葉の頭を、赤く染まっていない方の手で優しく撫でた。
「遅くなって悪かったな」
誰よりも優しくて安心できるその声に、紅葉の目から涙が溢れる。
「おいおい。鬼が人前で涙を見せるんじゃない」
鬼は優しくそう言うと、ゆっくりとこちらを振り返る。
人間の光の刀で、服はボロボロになり、身体中火傷だらけになった私を見て、鬼の顔は今まで一度も見たことのない表情になった。
鬼の体から闘気が溢れ出す。
漏れ出すあまりにも濃密な闘気に、膝が震えそうになるのをなんとか堪える。
「お前たち!」
その叫びで空気が震える。
「俺の村に! 俺の娘に! 何をした!」
闘気の波がピリピリと肌に打ち寄せる。
弱い鬼なら、それだけで死んでしまいそうな恐ろしい密度の闘気。
その闘気から、激しい怒りが伝わってくる。
「お父……様?」
憤怒の表情に真っ赤な体。
色白でいつも優しい表情のお父様とは似ても似つかない外観だった。
でも、体に打ち付けられる闘気は、強さこそいつもより強いものの、毎日感じているお父様のものに間違いなかった。
「くっ……」
茶髪の男は、右手を前に向けると、お父様に向かって光の槍を放つ。
真っ直ぐに放たれた光の槍は、お父様に触れる直前で、お父様を避けるように逸れていく。
「ば、ばかな……」
人間の男は後ずさりする。
「それで俺の娘を傷つけたのか?」
お父様は一歩人間の男の方へ踏み出そうとする。
それを見た茶髪の男は、パッと土下座の態勢になった。
「す、すみません! 捕らえたメス……女性の鬼はお返しします。もうこの村へは攻め込みません。だから許してもらえないでしょうか?」
私はあまりに身勝手な申し出に怒りを感じた。
こいつらがどれだけの鬼を殺したと思っている?
八つ裂きにして殺しても殺し足りない。
「お父様。許す必要はありません。この家に来るまでにご覧になりましたよね? 優しかった隣のおじ様もおば様も、こいつらに殺されていました。何も分からない、近所の子供たちも殺されていました。許す理由が見つかりません。許可さえいただければ、私がこの手で全員始末します」
私の言葉を聞いた人間の男が震えだす。
「金を出します。皆様が一緒遊んで暮らせるだけの金を出します」
私はその人間を睨みつける。
「金で命が買えるか!」
私は金棒を拾い、頭上に振り上げる。
「お父様、許可を!」
だが、お父様からの許可は出なかった。
「花。金棒を下ろしなさい」
私は驚きのあまりお父様を振り返る。
「お父様?」
お父様からは憤怒の表情も赤い色も消え、いつもの姿に戻っていた。
「こいつらを殺しても死んだ者たちは帰って来ない。だが、こいつらを殺された人間どもは恨みに思い、再び我々を攻めてくるだろう。私や花はそれでも問題ないが、他の者たちはそうはいかない。私は鬼神としてこいつらを殺せない」
それだけ言うとお父様は私に対し、頭を下げた。
「すまない、花。私はお前をこんなに傷つけたこいつらを殺せない。娘を傷つけられた復讐より、他の鬼の命を優先するダメな父親だ」
私は首を横に振って笑顔を作る。
「いいえ、お父様。そんなお父様だからこそ私は誇りに思います」
私は人間の男の方へ視線を戻す。
「聞け。人間よ。今回は鬼神様の特別の計らいにより貴様らの命は奪わない。だが、次この地に足を踏み入れた際には、鬼神の娘、花がその名において貴様らを殺す。早々に立ち去り、他の人間共に伝えよ。二度と鬼へ危害を加えてはならぬと」
人間が去った後の村には、死体の山が残った。わずか三十分ほどで、数十名の鬼が殺されていた。身近な人も多く亡くなった。
お父様は責任を感じているようだった。思い詰めた顔をしていることが多くなった。
責任ならむしろ私の方にある。
私があの男を家に運ばなければ。
私があの男を残して家を離れなければ。
こんなにたくさん鬼が死ぬことはなかったかもしれない。
お父様の支えになってあげたかった。
でも、原因の一つを作った私には、そんな資格はない。
一通り葬儀が終わり、家へ戻ると、お父様は私へ告げる。
「……話がある」
いつになく真面目な顔をしたお父様の言葉に、私は無言で頷く。
「私たち鬼も属する王国の国王が、西の神国の人間たちに殺された」
突然の話に、私は驚く。
ニ千年続いている平和な王国。
その国に属しているおかげで、私たち鬼は平和に暮らすことができていた。
多種族と争うことなく、静かに暮らせていた。
邪神を信仰する神国との関係は良くなかったが、王国には鬼神であるお父様にも匹敵する戦士が何人もいると聞いていた。
特に、今代の国王は、信じられないことにお父様よりも強いと聞いたことがある。
その国王が殺されたなんて、俄に信じられなかった。
「今この国は神国の人間の支配下にある。だから、迂闊にその手先の人間とは戦えない。その結果、私は大事な仲間を殺し、花を傷つけたあの人間を逃すしかなかった」
お父様の判断に、そんな背景があることは気付けなかった。
「さっきはああ言ったが、人間共は恐らく、また攻めてくるだろう。奴らを帰したのは、この村を攻めるにはそれなりの準備がいると分からせるためと、奴らの拠点を突き止めるためだ」
お父様はそう言うと、下を向く。
「何よりも大事な娘を傷つけられたにもかかわらず、その犯人を逃したのは時間稼ぎと敵を探るために過ぎなかったんだ……」
俯くお父様の頭を私はそっと抱きしめる。
「私は生きていますし、多少の跡は残りましたが、傷も癒えました。気にすることはありません」
私の言葉に、お父様は納得はいっていないようだが頷く。
「すまない、花。私は花の言葉に甘えるしかできない。奴らは約束など守らない生き物だ。この国の人間は亡き国王のおかげで、そうではない者が多かったが、他の国の人間は違う。特に神国の人間は、人間以外の多種族を、人とは思っていない。再び奴らに攻められれば、男は殺され、女は慰み物にされるだろう」
私は真っ直ぐにお父様の目を見る。
「それならば、戦うのみです。確かにおかしな力を使ってはきましたが、それでも勝てない相手だとは思えません」
私の言葉に、お父様は首を横に振る。
「鬼は他の村も合わせても万はいない。花のように奴らと戦える者はもっと少ない。それに対して、神国には、何十万もの兵がいると聞く。我々だけでは対抗できないだろう」
お父様の言葉に、私は絶句する。
「だが、だからと言って滅びるのを待つわけにはいかない。村を襲ってきた人間に、私たちが簡単には滅ぼせないことを示した。敵の拠点も村の者に確認させたが、そこには大した戦力はなかった。これから戦力を整えるのに、しばらく時間がかかるだろう。その間に、王国内の多種族へ協力を呼びかけたいと思う。国王が殺されたとはいえ、この国の全ての兵が殺されたわけではないから」
お父様の言葉に、私は頷く。
「ちょうど近くに、強力な魔族がいるとの情報が入った。私はその魔族に接触したい。ただ、まだしばらくは大丈夫だと思うが、予想より早く人間たちが攻めてくる可能性がある」
お父様は、私の目を真っ直ぐに見る。
「私が離れている間、この村のことを頼めるか? 娘を傷付けた相手を見逃し、娘に頼る情け無い父の助けになってくれるか?」
お父様の言葉に、私は力強く頷く。
「もちろんです。尊敬するお父様に頼っていただいたこと、誇りに思います。全力で期待にお応えします」
私の言葉に、お父様は少し複雑そうな顔をする。
「頼んでおいてこんなことを言うのはなんだが、私にとって何よりも大事なのは花だ。無理だと思ったら逃げるのを最優先にしろ。生きていれば何とでもなる」
お父様の言葉に、私は笑顔で嘘をつく。
「分かりました。危なくなったら逃げるようにします」
お父様が不在になれば、この村で頼りになる鬼は少ない。
そんな村から逃げるなんてできない。
逃げるにしても私は一番最後だ。
私の言葉に、お父様はほっとした笑顔を見せる。
「それでは私はすぐにでも村を発つ。鬼神の金棒は置いていく。何かあったらまた使うといい」
お父様はそう言うと、私の肩を優しく掴む。
「後のことは任せた」
私はお父様の目を見て答える。
「はい」
命に代えても村を守ります、と言う言葉は心の中だけに留め、口には出さない。
出せばお父様は私に任せてはくれない。
初めてお父様に任された任務。
私が生まれ育った大好きな村を守る任務。
たとえ何かあったとしても、絶対に守ってみせる。
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