第11話 鬼神の娘③

 家に着いた私は扉を蹴破って中に入った。

 中から紅葉の気配は感じない。


 ここにはいないのか、もしくはすでに死んでいるかだ。


「紅葉さんならここにはいませんよ」


 振り返ると、そこには先ほどの人間の男が立っていた。

 ……吐き気を催すような醜悪な匂いを撒き散らしながら。


「お前がやったのか?」


 溢れ出そうになる闘気を抑えながら、私は茶髪の男に尋ねた。


 紅葉の居場所を聞く前に闘気で気絶させてしまってはまずいから、怒りに任せて闘気を全開にするわけにはいかない。


「いいえ違います、と言ったら信じるのか?」


 馬鹿にしたような笑みを浮かべながら茶髪の男は返事をする。


「馬鹿正直なお前らなら信じるかもしれないな。試してみればよかった」


 茶髪の男の口調が変わっていた。


 口調だけじゃない。


 表情までもが嫌らしいものになっていた。


 噂に聞いていた人間の顔そのものだった。


「まあ、正確に言うと全てをやったのは俺一人じゃない。見張りを殺したのも、この辺りの鬼どもを駆除したのも俺だが、紅葉とかいうメスの鬼を連れ去ったのは俺じゃない」


 私は闘気を抑えながら、茶髪の男を睨みつける。


 連れ去ったということなら、まだ生きているはずだ。


「紅葉をどこへやった? これからどうするつもりだ?」


 茶髪の男はニヤける。


「若いメスの鬼は高く売れるからな。生け捕りにして一纏めにしてある。紅葉とかいうのも一緒だ。今のところ二十匹くらいかな。お前たちが全部で五十匹くらいと教えてくれたから、残りの三十匹を捕まえたらここは去るつもりだ。ただ、紅葉とかいうのは捕まえたメスの中でも一番美しかった。だから特別に売らずに、俺のペットにしてやるつもりだ」


 私の体から、闘気が抑えきれずに漏れ出してくる。


「紅葉のところへ連れていけ」


 私は茶髪の男を睨みつける。


「安心しろ。言われなくても連れて行ってやる。その後、二度とここへ戻ってくることはないけどな」


 茶髪の男は何もないところから刀を生み出す。

 魔族や、一部の人間が使えるという魔法だろう。

 見たことはないが驚きはしない。

 魔法の知識はお父様から教えていただいていたからだ。


「これがお前の切り札か?」


 睨み続ける私に対し、男は動揺する様子もなくニヤけている。


「どうだろうな?」


 私は茶髪の男の態度にイライラしてくる。


「首を捩じ切られて、頭を潰されたくなければ、さっさと紅葉の居場所を教えろ」


「クククッ。怖い怖い。できるものならやってみればいい」


 こいつは鬼の強さを知らないのだろうか?


 いや、知っていて余裕ぶっているのだろう。

 見張り役を殺し、紅葉を倒して連れて行ったから、鬼を甘く見ているのだろう。


 でも私は、見張りの鬼や紅葉より強い。


 腕の骨でも折ってやれば自分の愚かさに気付くだろうか。


 私が一歩踏み出そうとしたその時だった。


『鬼狩り』


 茶髪の男がそう呟いた。


 すると、次の瞬間、茶髪の男の闘気が跳ね上がる。


 その瞬間、私は全身に闘気を込め、身構えた。


 何が起きたのかは分からない。


 だが、茶髪の男の身に纏う闘気が、禍々しくはあるものの、強者が纏うそれになった。


 そんなに闘気の量が多くないと聞いていた人間のものとは思えない闘気が私を襲う。


「そうだな。お前が勝てたら教えてやろう。負けても連れてってやるが、その時は汚いオヤジどもの性奴隷だ」


 茶髪の男は刀を私に向けると、上から振り下ろした。


 ただの鉄の刀なら、鬼の肌を切り裂くことはできない。


 だが、この男は私が鬼であることを分かった上で戦いを挑んできている。危険を感じた私は、刀の軌道上から体を避ける。


 次の瞬間、刀は大きく伸び、後ろの壁を焼き切った。


 受けてみなければ分からないが、たとえ鬼の体でもダメージは受けてしまいそうだ。


 茶髪の男は再度私に刀を向けて構えると、上から振り下ろす。


 私は今度もその攻撃を避ける。


 何度かそのやり取りを繰り返した後、茶髪の男は刀を消す。


 鬼の動体視力と運動神経を持ってすれば、茶髪の男の攻撃を避けることは容易い。筋肉の動きを見て、タイミングだけ気を付ければいい。


「いやあ、見事だね。こいつはサーカスにも売れそうだな。まあ、性欲にまみれた腐ったオヤジどものほうが高く買ってくれるだろうが」


 茶髪の男は喋りながら、今度は、光の槍のようなものを無数に生み出す。


 まずい。


 直感的にそう思った。


 もしこの光の槍が、先ほどの刀とと同じ威力だとしたら、圧倒的に不利だ。

 鬼の動体視力と身体能力でも、流石に全ては避けきれない。


 私は壁を蹴破り、隣にあるお父様の寝室へ飛び込んだ。


「逃げるのか?」


 茶髪の男が隣の部屋から叫んだ。


 私は床の間に置いてあったそれを手に取る。


 手にズシリとくるそれを持つのは、私にはまだ早いことは分かっていた。


 だが、親友を、村を、鬼のみんなを救うためなら、きっと歴代の鬼神様も許してくれるはずだ。


「逃げてなどいない! 戦う準備をしていただけだ!」


 私が叫ぶと、茶髪の男は壁を貫いてこちらの部屋へ現れた。


 光の槍は案の定の威力だ。無数の光の槍によって、壁が障子のように破れる。無闇に飛び込まなかった私の判断は間違ってはいなかったようだ。


 私はそれを両手で持ち、相手に対して身構える。


「クククッ。そんな重そうな武器で、この攻撃をどう防ぐと?」


 私はそれを持つ手に力を込める。


 私が手にしているのは、歴代の鬼神様が手にした金棒。


 闘気によってその強度も破壊力も大きく変わる伝説の武器。

 未熟な私にはまだ使いこなせないだろうが、それでもきっと助けになってくれるはず。


 私は、金棒へ闘気を流す。


 鬼の腕力を持ってしても重く感じていた金棒が軽くなる。


 この金棒なら相手の剣でも受けることができるに違いない。


「今降参するなら、無傷で生かしてやる。なんならお前も特別に俺のペットにしてやってもいい。さっきは俺の言葉にドキドキしていたみたいだしな。それならお友達とも一緒にいられてみんなハッピーだろ?」


 茶髪の男が言う通り、こんな男の言葉に心を動かされていた自分が恥ずかしい。だが、恥ずかしさは表に出さない。戦いはすでに始まっている。心理戦も戦いだ。


「なぜこれから倒す相手に降参しなければならない? お前のほうこそすぐに紅葉の居場所を吐かなかったことを後悔させてやる」


「それは残念だ」


 茶髪の男はそうつぶやくと、疾風のようなスピードで私の懐へ飛び込んできた。


 速い!


 茶髪の男は横なぎに私の腹部を切ろうとする。私はそれを金棒で受けた。


――ジジジッーー


 鈍い音を立てて、光の刀と鬼神の金棒がぶつかり合う。


 金棒ごと切ることができないことを確認した男は、後ろへ飛び下がる。


 すかさず私は、真上から金棒を振り下ろす。


 遠心力と重力の加わった金棒は、たとえ鬼でも受け止めることはできない。


 それが分かったらしい茶髪の男は、さらに後ろへ飛び下がろうとして、後ろに壁があることに気付く。


「チッ!」


 舌打ちをしながら横っ飛びに避けて何とか私の一撃をかわす。


 室内での不利を感じた相手の男は壁を切り裂いて家の外に出る。


 人間同士の通常の戦闘なら狭いところでは軽くて小さい武器のほうが有利なのだろうが、壁をものともしない鬼の金棒相手では、逃げ場の少ない室内は人間にとって不利になる。状況判断も的確なようだ。


 この人間もそれなりの遣い手であることは間違いないだろう。


 だが、刀と同じくらいのスピードで金棒を扱える鬼相手に戦うには力不足だ。


 こちらは相手の剣を受け止められるが、相手は私の金棒を受け止めることはできないだろう。受け止めたとしても剣ごと弾き飛ばす自信があった。


 それはこの短い戦闘の中で確信に変わった。


 相手もこちらのスピードは計算外だったのだろう。汗をかいた顔からは余裕がなくなっている。


 もちろん油断は禁物なのだが、実力は知れた。よほどのことがない限り、私が負けることはないだろう。紅葉を相手にしたほうが、よっぽど怖い。


 相手を追いかけて外に出た私は、茶髪の男を睨みつける。


「もし今ここで紅葉の居場所を吐くのなら、私から痛めつけることはしない。お父様の沙汰が出るまでは身の安全も保障する」


 茶髪の男は苦々しげに私を睨む。


 状況の不利が分からないほど馬鹿な男ではないはずだ。そのことは男の表情からも明らかだった。


 だが、次の瞬間、なぜか男がニヤッと笑った。


 疑問に思った私が問いただそうと口を開いた時、突如右のふくらはぎに焼けるような激痛が走った。右のふくらはぎは焼けただれている。


 振り返ると、そこには見知らぬ男が右手をこちらへ向けて立っていた。


 次の瞬間、今度は左の太ももに同じ激痛が走る。左を向くと、同じく見知らぬ男がこちらに右手を向けて立っていた。


 魔法による不意打ち。

 私はそれを受けていたのだ。


「卑怯な! お前に誇りはないのか!」


 私の問いに男は笑う。


「ククク。誇り? 決闘でもしているつもりだったのか? 害獣を駆除するのに誇りも何もないだろう?」


 害獣?


 この人間共は私たち鬼のことをそんな風に思っていたのか?


 知性も理性も社会性もある私たちを、獣だというのか?


「まあ、もちろんみんなが害獣って訳じゃないがな。メスはペットとして役に立つから、愛玩動物ってところか」


 男はそう言って笑う。


 ……悔しかった。

 だが、私に何かを言う権利はない。


 確かにこれが決闘なら、人間共の行為は許されない。


 だが、これが戦なら、必ずしも責められない。


 他にも仲間がいることは聞いていたのだから、罠や伏兵には当然気をつけなければならなかった。

 よく考えれば、この程度の強さの男に紅葉が簡単にやられるわけがないではないか。


 一対一の決闘だと思い込んだ私の落ち度だ。


 お父様ならきっとこんなヘマは犯さない。仮に伏兵がいたとしても、相手の気配のを察知して、攻撃をかわしていただろう。


「それでは、お前に勝ったら紅葉を解放するというのも嘘か?」


 茶髪の男は他の男たちと顔を見合わせてニヤリと笑う。


「もちろん勝てたら解放するさ。俺『たち』にな」


 茶髪の男はそう言うと魔法を放ってきた男の一人を向く。


「おい。鬼のメスを保管しているところへ行って、俺のペットを連れて来い。一番綺麗でスタイルのいいやつだから、すぐに分かるだろ」


「分かりました」


 魔法を放ってきた男の一人は、返事をするとこの場を去る。


「これでいいだろ?」


 茶髪の男はもう一度ニヤリと笑う。


 勝手に条件が複数人相手で勝つことにを変えられていたが、人質をとられている以上、こちらに主導権がないのは仕方がない。


「ああ」


 私は答えると同時に身構えた。


「おいおい。本当にやる気かよ」


 魔法を放ってきた男の残りが声を上げる。


「こいつに一番いいのをとられたから、お前を俺のペットにしてやろう。そうすれば死ぬことはないし、友達とも会わせてやるし、鬼のオス相手じゃ味わえないような快感も感じさせてやる」


 私はローブを纏ったその男を睨みつけた。


「お前達のペットになるくらいなら私は死を選ぶ。御託はいいからかかってこい」


 ローブの男は肩をすくめる。


「だそうだ。さっき俺も同じ提案をして断られたんだよ」


 茶髪の男の言葉に、ローブの男は肩を落とす。


「あーあ。このメス割とタイプだったんだけどな。まあ、他ので我慢するか。メスはいくらでもいるし」


 ローブの男はそう言いながら右手を私に向ける。


「じゃあな」


 私はその瞬間、両足に力を込める。

 魔法で攻撃された部分に激痛が走った。


 だが、動く。


 皮膚の表面は焼けただれているが、肉や骨にまで傷が及んでいないのは、会話の途中で確かめておいた。


 痛みを我慢すれば避けられる。


 私はローブの男の放つ炎を横っ跳びに躱す。

 燃え盛る豪炎が、さっきまで私がいた地面を焦がす。


 攻撃を躱した私に対し、今度は光の槍が飛んできた。


 今の私はさっきとは違って集中している。


 相手のほうを見ずとも、飛んでくる攻撃の気配を感じることができた。


 光の槍を再度横に跳んで躱し、跳んだ先を狙ってきたローブの男の炎の魔法は金棒で防いだ。


 炎で熱せられた金棒が赤く輝く。


 私は赤く輝く金棒を盾にしたまま、一足飛びで茶髪の男の眼前まで飛んだ。


「くっ……」


 茶髪の男に叫ぶ暇さえ与えず、私は茶髪の男の腹部へ蹴りを入れる。


 くの字に折れ曲がった茶髪の男が膝をつく。


「お前が死んでも約束は果たされるんだろうな?」


 金棒を盾にする必要のなくなった私は、頭上高く金棒を振り上げる。


「ま、待て! もうこの村から手を引くから助けてくれ」


 私は茶髪の男を冷めた目で見る。


「お前も私の仲間の鬼たちを殺す時、待たなかったのだろう?」


 ローブの男がこちらへ右手を向けるのを感じる。


 だが、間違いなく私が金棒を振り下ろす方が早い。


 目の前の男の脳天を叩き割った後でも、十分躱せる。


 頭上に掲げた金棒を握る手に力を込めようとした、その刹那だった。


「待て!」


 先ほど離れていった男の声だった。


 その声だけだったら私はきっと手を止めなかっただろう。


 だが、その男が短剣の鋒を向ける先には、私の大切な親友の姿があった。


「このメスを殺されなたくなかったら、武器を捨てろ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る