第10話 鬼神の娘②

 紅葉と私は、お互い警戒して闘気をまとったまま、音がしたほうを向いた。


 そこに倒れていたのは二十代半ばくらいの小柄な男性だった。


 おそらく私たちの闘気にあてられてのだろう。強い闘気で気絶するのは、弱い鬼にはたまにあることだ。


 警戒を解いた紅葉と私は、仕方なくその男性に近づく。

 だが、近づいてみてあることに気が付いた。


「角がない……」


 紅葉も私と同じことに気付いたらしく、そうつぶやいた。


 茶色の髪をかき分けても、やはり角はなかった。


 この世に角のない鬼はいない。角は折れても生えてくる。


 角がなくて小柄なこと以外、鬼とほとんど変わりのない容姿。そんな存在に心当たりはある。


 人間だ。


 かつては敵対関係にあったという人間も、今は敵というわけではない。

 交易もすれば交流もする。


 ただ、それは大人に限った話だ。


 人間は賢いが、すぐに鬼を騙す。

 人間と接してもろくなことにはならない。


 人間と深い関係を持ったことのある鬼たちはことごとくそう言う。


 ただ、今や人間の知識や技術なしに鬼の生活は成り立たない。

 だから接点は持たなければならない。

 でも、その場合も必要最低限以外の言葉は交わさない。

 言葉を交わしすぎると、騙されるからだという。


 私も紅葉も人間を見たことはなかった。十八になるまでは人間と会ってはいけないという掟があるからだ。


 聞いた話から私の想像する人間は、醜くずるい顔をしていた。鬼ほど整った顔はしていないと聞いていたからだ。


 ただ、倒れた男の顔を見る限り、それほど醜い顔はしていない。


「……どうする?」


 紅葉が私に尋ねてきた。


「お父様から、見慣れない男には近づかないよう言われたけど、気絶してるなら大丈夫だと思う。とりあえず私の家に連れて行こう。きっとお父様が言っていた男はこの人のことだと思う。お父様が帰ってきたらどうにかしてくれるはず」


「そうだね」


 紅葉もうなずく。


 私は人間と思われる男を肩に担ぎ、家まで連れて行くことにした。


 私の家は鬼神の屋敷とは思えないほど小さかったが、それでも小柄な人を一人寝かせるくらいの客間はある。


 担いだ男の皮膚は、硬化を解いた時の鬼のように柔らかかった。角をなくし、硬化を解いてしまえば、鬼も人間も外見上はほとんど変わらないと改めて思った。


 家に着き、客間に男を降ろすと、降ろした拍子に男は目を覚ました。


「……ここは?」


 茶髪の男はあたりを見渡そうとして、私と目を合わせた。そして目を合わせるなりつぶやいた。


「美しい……」


 男性から美しいなどと言われたことのない私は、反応に困る。


 鬼は基本的に全員顔立ちが整っている。その中でも飛びぬけて綺麗な紅葉は別として、わざわざ外見をほめる鬼などいない。


 茶髪の男は私の隣にいる紅葉にも目を移す。


「こちらも美しい……」


 茶髪の男は感嘆の声を漏らす。


 私と紅葉はどう対応してよいか困り、お互い顔を見合わせる。


 茶髪の男はうっとりとした表情で私と紅葉をしばらく眺めた後、はっとしたように両手を床に付き、頭を下げる。


「すみません。お二人があまりに美しいので見とれてしまいました。倒れたところを助けていただいてありがとうございます。歩いていたら急に気が遠くなってしまいまして……」


 その原因は私と紅葉にあるのだが、私たちは二人とも黙っていた。


 人間との会話は禁止されているからだ。


 無言のままの私たちを見て、茶髪の男は困惑の表情を浮かべる。


「もしかして言葉が通じませんか?」


 私と紅葉は顔を見合わせた後、首を横に振る。


「いいえ。人間との会話は掟で禁止されているから……」


 仕方なく私が口を開いた。


「そうなんですか。なぜ禁止されているんでしょう?」


 茶髪の男が疑問を口にする。


「人間はすぐに相手を騙すから……」


 私はそう答える。


 すると、その答えを聞いた人間は声をあげて笑う。


「ははは。助けてくれた恩人を騙すようなこと、するわけないじゃないですか」


 私と紅葉は再び顔を見合わせる。


 確かにこの人間は人を騙しそうではない。さわやかで好青年に見える。どちらかと言えば好感が持てた。


 私たちの人間に関する情報は、他人から聞いたものだ。やはり、直接会ってみなければ本当のところは分からないのかもしれない。少なくとも外見に関しては醜くはない。


「なぜこの村へ?」


 紅葉が質問する。


「山を歩いていたら道に迷ってしまって。そうしたらこちらに家が見えたものですから」


 私たちの村は、人間の町から遠く離れた山奥にある。鬼より脚力のない人間が、普通に歩いていてたどり着ける場所ではない。それに、村の入り口には見張りがいる。気配に敏感だから、人間が入り込むのを見落とすわけがない。


「迷ったくらいではこの村にはたどり着けないし、村の中には入れないはずなんだけど」


 紅葉も私と同じ疑問を感じたらしく、質問する。


 それに対し、茶髪の男も困惑の表情を浮かべる。


「そうなんですか。ぼくもどうやってここまで来たのか分からないですし、なぜ村に入れたのかも分かりません……」


 茶髪の男がうそを言っているようには見えなかった。


 確かに、いくら山奥にあるとはいえ、絶対にたどり着けない場所にあるわけではないし、村の見張りも必ずしも完璧であるとは限らないのかもしれない。


「それにしても……」


 茶髪の男は私と紅葉の顔を見比べる。


「鬼の女性はみんなお二人のように美しいのですか?」


 私と紅葉は顔を見合わせた後、私が答える。


「紅葉くらい綺麗な子は少ないけど、私くらいだったらいくらでもいるよ」


 茶髪の男は驚きの表情を見せる。


「皆さんこんなに美しいなんて。人間の社会だったら、あなたみたいに美しい人、ほとんどいませんよ」


 紅葉と違って美しいと言われ慣れていない私は、人間とはいえ、男性から目を見て美しいと言われると、どうしても照れてしまう。


「ちなみにこのあたりには若い女性は多いんですか?」


「そうだね。五十人くらいかな」


「そうなんですね」


 なぜそのような質問をしてきたのか、意図は読めなかったが、初めて来る鬼の村だから、いろいろ聞きたくなって当然だろう。


「でも、私を助けてくださったのが、おニ人みたいな方で本当に良かった」


 倒れた原因を作ったのも私たちだけどね、という言葉は飲み込んだ。


「助けていただいておいてこんなこと言うのも失礼ですけど、この村に迷い込んで倒れたおかげでお二人みたいな方と出会えて、本当に幸せです」


 茶髪の男はそう言って私の目を見る。

 熱のこもった視線を受けて、思わずドキッとした。


「と、とにかく、あなたのことをどうにかしないといけないね。このままここに置いておくわけにもいかないし。私たちでは何ともできないから、お父様を呼んで来るよ」


「お父様?」


 茶髪の男は疑問を口にする。


「花のお父様は鬼神様なの。鬼の中で一番偉くてすごい方だから、きっとあなたの扱いを決めてくれるはず」


 鬼神という言葉を耳にしたとき、一瞬だけ男の目が鋭くなった気がした。鬼神という名は人間の間でも広まっているのかもしれない。さすが私のお父様だ。


「そうですか。その鬼神様を迎えに行くとして、どれくらい時間がかかります?」


「行って帰って来るのにゆっくり歩いても三十分もかからないと思うよ。あっ。でも、さっき家に来ていたし、仕事場にいなかったら探すのにもう少しかかるかも。すぐに人間の町に帰りたいだろうけど、その間、紅葉が相手するからちょっとだけ待っていて」


「分かりました。紅葉さん、すみません」


 茶髪の男は紅葉に頭を下げる。


「いいよ」


 紅葉は笑顔でうなずく。


 男じゃなくても見とれてしまいそうな笑顔。鬼の優劣が容姿で評価されるなら、正直なところ紅葉には完敗だ。


 紅葉くらい綺麗な鬼と一緒の時間を過ごせるなら、茶髪の男も文句はないだろう。


「それじゃあ行ってくるね」


「うん。気を付けてね」


 紅葉が優しい笑顔を私にも向けてくれた。


 紅葉は、戦うときは絶対負けられないライバルだが、普段は優しく気配りのできるいい鬼だ。紅葉みたいな友達がいて、私は本当に恵まれている。


 全力で走ればお父様の職場までは数分で着くが、特に急ぐ必要はないと思い、歩いて向かった。


 それにしても、人間の印象は私が思っていたのと全然違った。あの感じなら仲良くなれるかもしれない。


 人間はどんどん新しいものを生み出す。きっと人間そのものの中身だって変わっているはずだ。昔は相手を騙さなければ生きていけなかったのかもしれないが、これだけ便利なものに囲まれていれば、騙す必要だってなくなったのかもしれない。


 人間と親しくしてはいけないという掟の見直しについて、お父様に相談してみようかな、そんなことを思いながら、お父様の職場である屋敷に着くと、中は騒然としていた。


「どうしたんですか?」


 お父様が見当たらなかったので、私は、お父様の片腕として働く、中年の鬼へ尋ねた。


 深刻な顔をした中年の鬼は低い声で私に教えてくれた。


「村の見張り役が任務中に殺された」


「……えっ?」


 私は思わず声をあげる。


 見張り役には、それなりに腕の立つ鬼がなる。私だって見張り役には簡単に勝てるとは思わない。そうやすやすと殺されはしないはずだ。


「どこの村の者にやられたか分かりますか?」


 同じ村の中で仲間を殺すような鬼はいない。間違いなく他の村の者のはずだ。


 だが、別の村の鬼を殺すというのも、極めて珍しいことだ。理由次第では村同士の戦になりかねない。


 私の問いに対し、中年の鬼は首を横に振る。


「おそらく他の村の者ではない」


「では、村の中の者がやったということ?」


 鬼神であるお父様自らが治めるこの村で鬼を殺すということは、殺した本人も死ぬことを意味する。普段は優しいお父様も、厳しいときには厳しい。治安を守るためなら、甘えを一切許さない。


「いいや」


 予想に反して、中年の鬼は再び首を横に振る。


 別の村の者でも、私たちの村の者でもない?


 そうすると他の部族と言うことだろうか。


 確かに、私たち鬼も属しているこの国には、鬼と同等の力を持った部族がいくつか存在する。

 魔族や龍人たちであれば、鬼相手でも同等に戦えるだろう。


 だが、他部族の者を殺すということは、残りの部族全てと王様を敵に回すということだ。そんな愚かな真似をするとは思えない。


 あとは、どこの村にも属さないはぐれの鬼という線もあるにはあるが、村の見張りの者を殺せるほどの実力を持ったはぐれの鬼がいるという話は聞いたことがない。


「それでは他部族ですか? どの部族にやられたんですか?」


 中年の鬼は渋い顔をした。


「人間だ」


「えっ?」


 私は再度声をあげてしまう。


 人間。


 人間は、数こそ多いし、中には優秀な者もいると聞くが、基本的には弱い。魔族や鬼といった強力な部族にはほとんどの者が敵わない。

 そんな人間に、見張りを務めるほどの実力を持った鬼が敗れるとは思えない。


 中年の鬼は私の疑問に答えるように話を続ける。


「偶然目撃した鬼の話によると、その人間は、鬼に比べて小柄ではあるものの、角がない以外はほとんど鬼と見た目が変わらなかったそうだ。初めは大した闘気もないようだったが、突然闘気が膨れ上がり、どこかに隠していた刀で正面から見張り役を斬り倒したらしい」


 私は背筋に寒気が走るのを感じた。


 なぜか山奥にあるこの村へたどり着いた人間。

 なぜか見張りに見つからずに村に侵入できた人間。


 そんな人間が現れた日に、見張り役が人間に殺される?


 これは偶然ではない。


「……お父様は?」


「見張りを殺した人間が村にいないか探してくださっている」


 これで、先ほど突然お父様が現れた理由が分かった。犯人である人間を探していたのだ。慌てて立ち去ったのも嘘ではなかったようだ。


「戻ってきたらすぐ家に来るように伝えてください。それと、弱い鬼は私の家に近づかないようにとも伝えてください。恐らく、犯人は私たちの家にいます」


「ちょっと……」


 私はそれだけ伝えると、止めようとするお父様の片腕の鬼を置き去りにし、すぐに屋敷を飛び出した。


 紅葉が危ない。


 紅葉は強い。でも、見張り役と比べて圧倒的に強いかというとそんなことはない。


 私は、私たちが助けたあの茶髪の男が犯人であると確信していた。


 もちろん本当にたまたま今日現れただけで、無関係であるという可能性もある。


 だが、思い返してみると、あの茶髪の男は私たちを見た瞬間、私たちが鬼であると確信していた。


 何も知らずに迷い込んだ村で、私たちを見ただけで鬼と断言できるはずがない。


 人間とほぼ同じ容姿で、角が生えた部族は他にもいる。龍人もそうだし、獣人の一部もそうだ。何も知らない者が、見かけだけで鬼と判断はできない。


 私は家に向かって全力で走る。


 家を出てから三十分近く経っている。


 茶髪の男は私が戻ってくるまでの時間を確認していた。間に合わないかもしれないという思いを思考から振り切ろうとしながら走った。一秒でも早く戻らなければならない。


 闘気にあてられただけで気絶していたから油断した。

 見張り役を殺せるような相手に、紅葉一人で敵うとは思えない。


 紅葉。


 美しく強い最高の親友。


 紅葉を失うわけにはいかない。


 間に合いますように。


 そう祈りながら走った。


 家に近づいてくると、二つのむっとする匂いが鼻を突いた。


 一つは血の匂い。

 もう一つは醜悪な生き物の匂い。


 道端にたくさんの鬼が血を流して倒れていた。倒れている鬼の中にはよく見知った顔もある。助けなくてはならないのは分かっていたが、私の力では全ての鬼は救えない。

 心の中で謝りつつ、唇を噛み締めながら家に向かった。


 私が一番に助けなければならないのは決まっている。


 紅葉!


 心の中でその名を叫びながら走り続けた。

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