第4話 鬼神④

「……え?」


 この場にいた私以外の三人が同時に声を上げた。


 特に傍に座り私を見つめる女は目をパチクリさせている。しばらくの静寂の後、最初に声をあげたのは、私が見つめている女だった。


「け、結婚ですか? それはどんな意味でしょうか?」


 動揺した女が私へ問いかける。


「そのままの意味だ。俺の嫁になれという意味だ」


 私は女の目を見て答えた。


「な、何をおっしゃっているんですか? 今は冗談を言っていい場面ではありません」


「冗談ではない」


「それでは同情ですか? 同情は受けないと何度申し上げたら分かるのですか?」


 未だ動揺を隠せぬまま、女は私を睨もうとした。


 だが、私の目を見た女はすぐに睨むのをやめた。

 私の目を見ることにより、私の気持ちが伝わったのだろう。私は真剣そのものだった。


「同情でもない。鬼にとっての結婚は、人生で一番の決断だ。そんな大事な結婚相手を同情などでは選ばない」


「……本気ですか?」


「もちろん本気だ」


「出会ってまだ二日目ですよ」


「二日でお前の魅力は伝わった。時間は関係ない」


「私は村でも一番弱い鬼ですよ」


「腕っぷしが弱いのは知っているが、お前の魅力はそこじゃない。喧嘩なら俺が誰にも負けないから大丈夫だ」


「さっきも申しあげましたが、私はきっと……あと数年しか生きられませんよ」


「……分かっている。例え限られた時間でも、俺はお前と一緒にいたいと思ったんだ」


「子供を産む体力もないかもしれません」


「ああ。お前さえいればそれでいい」


「私は……」


「おい!」


 なおも話を続けようとする女を、初老の男が遮った。私と女は初老の男のほうを向く。


「なんだ? 俺はこの女と話をしている。邪魔をするな」


 邪魔だと言われた初老の男は、私を睨む。


「何が目的だ? こんなやつと結婚しても何の利点もない」


 私は初老の男を睨み返した。


 男は後ずさりして怯む。

 怯んだ初老の男を見て、私の気持ちはさらに逆立った。


 少し睨んだ程度で狼狽えるような男に、この女の自由が奪われているのが我慢ならなかった。


 殺気というものがあるのなら、間違いなく私の体から殺気が放たれていただろう。


 ぶちのめしてやろうか、そう思い始めたとき、初老の男は何か思いついたかのように、ニヤッと笑った。


「そうか。貴様、こいつを妻にした後、人間に売り払うつもりだろう。こいつの体の弱さなら、すぐに死ぬ。そうすれば次の嫁もすぐにもらえるからな」


 初老の男の言葉に、私の怒りは急速に冷めた。

 この男には、怒る価値さえない。


「だが、そうはさせぬ。嫁にするためには親の許可がいるからな。お前には絶対渡さぬ。金はわしのものだ」


 私は初老の男から顔を背けた。もう、顔も見たくなかった。


 私は、もう一度女の顔を見る。


「お前の気持ちはどうだ? 鬼神にも見放されるような、ダメな男など嫌か?」


 女は全力で首を横に振る。


「嫌なわけなどありません。鬼神様がなぜ貴方を見放したのかは分かりません。強くて優しくて……世の中に貴方以上の方がいるとは思えません。嫌なわけ、ないじゃないですか」


 女は今にも泣きだしそうな顔で私を見た。


「でも、なぜ私なんですか? 冗談でも同情でもないなら私を選ぶ理由が分かりません。貴方なら、いくらでも女性を選べるはずです。知り合ってからたったの二日目で、弱くて、余命も僅かで、何の魅力もない私を選ぶ理由は何ですか?」


 私は言葉を選ぶために少しだけ考えた。


 だが、途中で考えるのをやめた。

 考えた言葉では気持ちは伝わらない。


「結婚したい理由なんて一つしかない」


 私は女の目を見た。


「お前に惚れたからだ」


 私の言葉に女は頬を薄い桃色に染める。


「ど、どこに惚れたかを知りたいんです。私みたいに何の魅力もない女に」


 私は首を横に振った。


「魅力はある」


 私は女を見つめる目に、さらに気持ちを乗せた。


 女がゴクリと唾を飲む。


「お前は強い」


 私の言葉を聞いた女は、表情を一変させ、私を睨む。


「ふざけないでください。真面目に聞いているんです。それでは私に対する侮辱ですよ。私が弱いのは、誰より私が知っています」


 私は女の両肩を持ち、もう一度しっかり目を見た。


「ふざけてもいなければ、侮辱するつもりもない。お前は強い」


 そう、この女は強い。


 腕力の弱さに気を取られて、初めは私も気付かなかった。だが、この女は強い。


 どんな境遇でも折れない心。

 自分の身を顧みず、他人を思いやる心。


 どんなに腕っぷしが強くても、心の強さは別物だ。私にはその強さがない。私にはない強さを持った女。


 だから初めて見た時から魅力を感じていたのだ。

 心の強さが滲み出ていたから俺の心を惹いたのだ。


 ただ弱いだけの女なら、家に泊めたりはしない。


 心の強さが鬼神に必要な本物の強さにつながるかどうかは分からない。でも、私が今より強くなるために必要であるのは間違いないはずだった。


 女は睨むのを止め、いつもの優しい目に戻った。


「貴方に言われると……なんだか本当に私が強いんじゃないかと思ってしまいます」


 諦めたように微笑みを浮かべる女に、私も微笑みを返す。


「だからお前は強いと言っている」


「でも私、喧嘩で勝ったことありませんよ?」


 女が聞き返してきた。

 刺々しい様子はなく、純粋な疑問として聞いているようだった。


「喧嘩に勝つだけが強さじゃない。喧嘩だけなら、俺は誰より強い。鬼神にも負けないつもりだ。だが、それは本物の強さじゃない」


「本物の強さ?」


 女が首を傾げる。


「ああ」


 私は頷いた。


「俺の強さは本物じゃない。だからこそ鬼神にも見放された」


 女は真面目な表情で私を見つめた。


「本物の強さって何ですか?」


 女の問いに私は首をゆっくりと横に振る。


「それはまだよく分からない。だが、お前の強さが、本物の強さに近いものだと思う。お前に出会う前の俺は喧嘩が強いだけのクズだった。それがお前と一緒にいるうちに、少しだけましになった。本物の強さに近づけた気がした」


 私は女の目を見た。


「お前と結婚したいのは、お前を幸せにしたいからだけではない。俺が本当に強くなるためには、お前が必要だと思ったからだ」


 女も私の目をしっかり見ている。


「腕力や体の弱さなら気にするな。腕っぷしだけなら他の鬼の何倍も強い俺がお前の分まで支えてやる。その代わりお前は俺の側にいてくれ。それが俺の強さに繋がる。俺もお前も弱いところはある。だが、それを支えあってこその夫婦だろ?」


 女は頷いた。

 涙を流し、嗚咽をこぼしながら、頷いた。


 そんな私たちの様子を見ていた初老の男が声を荒げた。


「勝手に話を進めるな!」


 私は初老の男に視線を戻した。

 存在すら忘れていたその男に対しては、もはや何も感じない。


「何度でも言うが、儂は貴様にこいつをやる気はない!」


 必死で威厳を保とうと私を見る初老の男に、仕方なく私は返事をする。


「確かに結婚には親の承認が必要だ。だが、例外がある。親本人若しくは親が指名した代行者と勝負して勝った場合だ」


 私は小さく息を吸い、初老の男に対して闘気を向けた。


 部屋にピリピリとした空気が放たれ、初老の男が一歩引き下がる。

 一歩下がった時点で、もはや勝負は見えている。


 まあ、そもそも私は誰にも負けるつもりはなかったのだが。


「仮にもお前は村長だ。逃げはすまい。だが……」


 私は再度闘気を発した。


「お前に俺の相手が務まるか?」


 初老の男の額に汗がよぎった。もちろん暑さのせいではないだろう。


「あ、あいつらを呼べ!」


 初老の男は傍にいた案内役の女に命じた。


「は、はい!」


 同じく私の闘気に当てられていた女は逃げるように部屋を出て行った。


 一分と待たずに戻ってきた女の背後には、門番をしていた二人の鬼が、金棒を持って立っていた。


「お呼びで?」


 二人の鬼は、初老の男に問いかけた。


「この男を処分しろ」


「は!」


 二人の鬼がこちらを向く。


「これに勝てば、この女を嫁にもらえるということでいいな?」


 私の問いかけに、余裕を取り戻した初老の男は笑う。


「まさか勝てると思っているのか? この二人はこの村でも上位に入る実力者だ。しかも金棒を持っている。金棒を持った鬼が、素手の鬼と比べて桁違いに強いのは貴様も知っているだろう?」


「ふっ」


 私は返事はせずに鼻で笑って返した。


「大丈夫ですか?」


 女が不安そうな顔をする。


「問題ない。五秒で片付けよう」


 私はなおも不安そうな女に笑顔で返し、二人の鬼の方を向いた。


「強がりを。殺しても構わん。やれ」


「は!」


 二人の鬼は金棒を振り回しながら近づいてきた。

 さすがに闘気は使っていないようだったが、金棒を使っている時点で私を殺しても構わないと思っているのは本当だろう。

 金棒を持った鬼は確かに強い。鬼の金棒は鬼の強靭な体でも破壊できる特別な金属でできている。もし一撃でも受ければ、致命傷になってしまう。


 うねりを上げた金棒が私を襲ってきた。


ーーブンーー


 私はそれを難なくかわす。


 予想どおりではあったが、この二人の鬼は、他のほとんどの鬼同様、武術の類は身につけていないようだ。

 武術を使うかどうかは、筋肉の付き方と立ち居振る舞いを見ればすぐ分かる。鬼神は見ただけでかなりの遣い手だと分かった。

 この二人は、明らかに腕力だけで戦ってきたのが分かる筋肉の付き方だった。


 私にとって人間の一番の発明は武術だと思う。


 弱いものが強いものに勝つための手段。

 強いものがさらに強くなるための手段。


 戦闘において、武術を遣う者は、遣わないものとは別次元にいる。


 もし相手が武術を遣う者なら、私もこんな条件飲みはしない。


――ブンーー


 二撃目の攻撃が鈍い風切り音を残して私の頬をかすめた後、私は金棒を持つ相手の腕を取り、そのまま地面に叩きつけた。


 倒された鬼は何をされたか分からないようだった。


 相手が攻撃してくる際の力を利用して投げただけだったのだが。


 投げた隙を見逃さず、もう一人の鬼が上から金棒を振り下ろしてきた。

 武術は身につけていなくとも、喧嘩慣れはしているようだ。


 私が相手でもこの隙は逃さない。


 私は横に跳んで金棒をかわし、もう一度跳んで金棒を振り下ろした鬼の横に並ぶと、その鬼の顎へ掌底をお見舞いした。


 脳を揺らされた鬼は、そのまま地面に膝をついて倒れた。


 闘気なしの鬼同士の戦いで、相手を倒す手段は限られている。


 金棒を使えば直接被害を与えられるが、素手の攻撃では、皮膚や骨に影響を与えることは難しい。脳か内臓に刺激を与える必要がある。

 全力で闘気を使えば別だが、喧嘩でそんなことをすれば、ほぼ確実にどちらかが死ぬ。

 普通の喧嘩での闘気使用は鬼の中では御法度だ。


 威嚇として自分の強さを示すためや、訓練の際には使うが、それ以外では基本的には使わない。


 だから、顎やこめかみに対して鋭い攻撃を加えて脳を揺らすか、臓器のある個所へ外から攻撃し、中まで衝撃を伝える必要がある。投げ技も有効だ。衝撃が臓器に伝わるからだ。


 ちなみに余談だが、この東の地域で人間の間でも盛んな相撲は、鬼同士の喧嘩が発祥になっている。脳や臓器への攻撃は体への負担が大きいため、それ以外の方法で喧嘩を決着させるために生まれた手段が、相撲の起源だからだ。


 私は脳震盪によって倒れた鬼から、すかさず金棒を奪い、投げられた後、起き上がろうとしていたもう一人の喉元に突きつけた。


「まだやるか?」


 金棒を突きつけられた鬼は力なく首を横に振った。


 私は倒れた鬼に金棒を突きつけたまま、初老の男に目線を戻す。


「俺の勝ちだ。この女は嫁に貰っていく」


 一瞬の出来事に初老の男は驚きを隠せていなかった。


「そ、それだけの強さを持ちながら、なぜこいつなんかを嫁にする? 儂に仕えろ。そうすれば金はいくらでも用意するし、もっといい女も用意する」


 私は鼻で笑った。


「金に興味はないし、この女以上にいい女は、鬼の世界にはいない」


 私は持ってきた五十万円を初老の男へ投げつけた。札束は男の腹に当たると、その拍子にひもが切れて、辺りに一万円札が散らばった。


「そいつは結納金代わりだ」


 私は初老の男に背を向け、これから妻となる女の方を向いた。


 女は何か信じられないものでも見たような目で私を見つめていた。


 女に近づいた私は、膝をついた。

 座ったままの女と視線が近づく。


「改めて言う。俺と結婚してくれ」


「はい」


 女は三つ指ついて頭を下げた。


「不束者ではございますが、よろしくお願いいたします」


 しばらくして顔をあげた女の表情は、私の大好きな、朝日のようにまぶしい笑顔だった。


 この日、私に、家族ができた。

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