本文一部
そこは、スミレが普段生活している村の片隅のテントの中。
スミレは地球で俗に言われる、幼い少女の形をしたスライム娘である。
ロミオは平均的な成人男性、普通の人間である。
輪郭だけは似ている。
二人はどちらも人型だ。
大枠だけは似ている、根本的に違ういきもの。
スミレとロミオの大きな違いは、探せばいくらでも見つかるだろう。
ただ、その中でも殊更大きな違いが一つある。
ロミオには涙を流す機能があるが、
粉々になり、踏まれたような跡が残っている人形を抱え、スミレは俯く。
それは固定の形を持たないアメーバの一種であるスミレが愛した、固定の形を持っていたはずの愛らしい人形だった。
形なきものが愛した形あるものだった。
既に、過去形である。
「スミレ」
ロミオがスミレに語りかける。
意図的に、できるだけ優しい声色を心がけて。
「大丈夫かい?」
「……はい」
力のない少女の声。
心なしか、透明な体も曇って見える。
大丈夫でないことは彼にも分かっていた。
だからこの問いかけは、心情の確認ではない。
返答の誘導だ。
人間は自分の思考とだけ向き合っていると、段々と己の外部への興味をなくし、外部からの刺激に対して鈍化していく。
瞑想を年単位で繰り返した人間は、他人の言葉に影響を受けなくなる。
そのサイクルを断ち切るには、意識を自分の外側に向けさせるしかない。
ロミオは『心配する』ことで、『優しい彼女は必ず返答する』ことを計算した上でこの言動を選び、返答したスミレがロミオに意識を向けたことで、ロミオの言葉がスミレに影響する状況を手早く整えた。
スミレが一瞬ロミオと目を合わせ、すぐに俯いたのを見て取り、ロミオは今の彼女の心情を事細かに感じ取る。
「君が大切にしていた木彫りの人形、これは……誰かに壊されたんじゃないのか」
「そ、それは……き、気にしないでください、お兄さん! お兄さんには心配を掛けないようにします、だから……」
「言っただろう、スミレ。僕は君を守る。君は僕の命の恩人だから」
「……ぁ」
「これは明らかにいじめの類だ。君を苦しめた相手には、僕が直接言ってやらなければならない。たとえどれだけ力に差があったとしても、理不尽な弾圧で僕が死に至ったとしてもね」
そうして、ロミオはスミレに背を向けて歩き出した。
スミレの人形を壊した者を見つける、というお題目で。
スミレのために行く、という看板を掲げて。
いじめをやめさせる、という正義を付けて。
誰もロミオの内心を覗けぬままに、事態は動く。
ロミオが足を向ける先は、スミレを日々いじめている獣人達の棟梁、ヨークシャテリア・ヴェノムの族長カランコエが屯する方へ。
タンジーは自室でごろごろ転がり、ニヤつきを止められていなかった。
耳はぴこぴこ動き、心臓は早鐘を打ち、呼吸は自然と早くなる。
とうとう現れたのだ。心待ちにしていた、
タンジーの運命の相手が。
タンジーと対等に肩を並べられる戦友が。
タンジーだけでは決して勝てない強敵、弱小種族を族滅せんとする恐るべき竜の怪物軍団、サーペント・ヴェノムに共に戦ってくれる頼れる仲間が、ようやく現れてくれたのだ。
自然と、獣人少女の頬は緩む。
恋する少女のような
「にゅへへへ」
長らく、タンジーについていける仲間など居なかった。
彼女は強すぎた。
全身を覆う毛は彼女を人間からかけ離れた二足歩行の野獣に見せ、刃も弾く。
隆々と盛り上がった筋肉は、たとえ合金でも紙のように引き千切る。
五感、反射神経、攻防速のバランス、全てにおいてタンジーは優れていた。
一族の強者も、他種族の強者も、タンジーの父親である族長カランコエですら、タンジーにはまるで敵わなかった。
サーペント・ヴェノム相手にこれまで展開していた撤退戦においても、彼女ほど活躍した戦士はいない。
他者を侮り見下す彼女の悪癖は、そうしたこれまでの過去に裏打ちされている。
だが、彼女に無いものを埋めてくれる男が現れた。
ロミオ。人間のロミオ。弱くも賢いロミオ。
先の戦いでロミオが見せつけた『敵をも操る賢さ』は、タンジーにとって胸踊り頬緩む未知だった。
父カランコエに対する尊敬など足元にも及ばぬほど、タンジーは彼を尊敬した。
生まれて初めて、対等だと思える異性。
生まれて初めて、自分の不足を埋めてくれると思える相手。
生まれて初めて、安心して背中を預けられそうな仲間。
タンジーの胸は高鳴っていく。
「ふんふんふふふーん」
「タっちゃん! た、たたたたいへんでっ!」
「ぬおっ!? スミレ!? えっなになになんのなに?!」
「お兄さんがっ!」
だが、甘酸っぱい気持ちに甘々と浸かって居られる時間も終わりのようだった。
タンジーは自分が認めた相手がスミレのために動いた、というくだりで誇らしい気持ちになり。自分が認めた相手が、乱暴狼藉で有名な父カランコエに直訴に向かったというくだりを聞き、血相を変えて走り出した。
タンジーの父カランコエは、暴力で族長に選ばれた男。
不快感や怒りに身を任せ、ロミオを殴り殺してしまう可能性は十分にある。
焦りと恐れを胸に駆けつけたタンジーが見たのは、掴み上げたロミオの腹を殴り遠方まで吹っ飛ばす、頭に血が上った父親の姿であった。
「───」
タンジーが到着する、少し前。
考えていた通りの位置、考えていた通りの時間、考えていた通りのタイミングで、ロミオは獣人の族長カランコエに掴み上げられていた。
そこは広場。
多くの人が通る場所。
ロミオがカランコエに直訴すると、"弱っちいくせに生意気な人間"であるロミオの意見を不快に思ったのか、カランコエはロミオを掴み上げた。
一触即発の空気の中、多くの人外達が遠巻きにロミオとカランコエを見ている。
円状に、ロミオとカランコエを遠巻きに囲むように。
おそらくは、ロミオにとって理想的な形で。
「もう一回言ってみろよ、雑魚のヒューマンちゃんよ。ええ?」
「何度でも言っている。スミレを初めとする全てのアメーバ達、いや、それ以外の弱き者達への加害を禁じるよう、ヨークシャテリア族全体に命じろ。ヨークシャテリア・ヴェノムの族長、カランコエ」
「随分生意気な口を利くじゃねえか、ああ?」
「恥ずかしくないのか? 自分達より弱い女の子はいじめる。自分達より強いサーペント・ヴェノムには立ち向かわない。強敵には背を向けて逃げ、逃げている最中だというのに弱い女の子はいじめ、女の子が大事にしていた人形は壊す。なあ、ちょっといいかい? 君達獣人の種族は、実は負け犬だったりするのかな」
「……あ?」
族長カランコエのこめかみに青筋が走り、ロミオは嘲笑して、できるだけカランコエが怒る言葉を……それでいて、カランコエが我を忘れない言葉を選ぶ。
「怒るな、怒るな。僕は事実を告げただけだ、」
必要なのは、目の前に居る人間の怒りのコントロール。
それだけがロミオが持てる最大の武器。
怒りを瞳に宿したカランコエが拳を握り、ロミオを全力で殴ろうとして、ロミオの体のあまりに弱い作りを思い出したカランコエが一瞬躊躇し、『痛い目を見せる程度に』加減した拳を振るったのを、ロミオは見逃さなかった。
「がッ───!?」
想定していた通りの行動が来た。
想定していなかった強烈な痛みが来た。
ロミオは腹に強烈な一発を受け、宙を舞い、広場の隅にうず高く積み上げられた黄金の藁の山に激突する。
ロミオの狙った通りに。
ここに落ちるために、この角度からカランコエに話しかけ、この角度でカランコエに掴み上げられ、殴られてもこの辺りにいくつかある藁の山のどれかに落ちるよう、リスクを抑えて立ち回ったのだ。
藁の山の中で、ロミオは苦悶の息を漏らし、獣の拳で殴られた腹を抑える。
(ここだ……ここが想定の中で一番の難関……ここですぐ、痛みに耐えて立ち上がって、フィジカル由来の根性を重視する傾向がある獣人に、『根性のある男』だという印象を与えて、今後全ての言動に布石を打つ……! きっ、つっ……立て、立て、立つんだ……布石を打てなきゃ、他人は操れない……!)
深呼吸一つ。痛みを押し込み、歯を食いしばる。
一秒で整え、一秒で立ち上がり、一秒で余裕の笑みを作るロミオ。
内臓の奥の奥まで響く痛みは、呼吸するだけで死にそうなほどの苦しみを生む。
カランコエが手加減してなお重い一撃は、ロミオの額に、首筋に、服の下に、大量の脂汗を流させる。
けれど、ロミオは笑った。
こんなものは屁でもないと言うかのように。
カランコエがロミオを見る目から、嘲りと侮りの色が消える。
それがやせ我慢であることは、誰の目にも明らかだった。
遠巻きに見ている人外達も、誰もがそれを分かっていた。
だからこそ、誰もが目を離せなかった。
弱々しい身一つで獣人の族長に挑むロミオの姿は、何もせずただ見ているだけの彼らの胸を打つものがあった。
それは、御伽噺に語られる英雄、勇者が、魔王に挑む一幕のようで。
誰かが息を飲んだ。
誰かが唾を飲んだ。
誰かが「頑張れ」と、小さな声を漏らした。
「たかが自分より強い乱暴者程度に屈するようなら、さっさとサーペント族に降伏してしまえばいい。心まで弱い雑魚として、みじめったらしく、腹を晒して」
「……お前」
「僕は負けないぞ。カランコエ、お前にも、獣人の奴らにも。皆を殺しに来るサーペント・ヴェノムにも。僕の命の恩人のスミレをいじめるような環境にも、だ」
「……!」
「僕は勝てない相手にだって挑むぞ、カランコエ。そして勝つ」
ロミオは呼吸を整えつつ、カランコエの息を読む。
呼吸のタイミングと、視線と指先の動きを見る。
そして、カランコエが何を言おうか迷ったその瞬間、カランコエの言葉を先を取るようにして、カランコエの心に一番印象深く残るタイミングで、喋った。
「お前はどうする? 戦って変えるか、何もしないか、たった二択だぞ」
「───」
直情的なカランコエに対してはこの問いかけが一番良いということは、事前の想定で見抜いていた。だから言った。ゆえに響いた。カランコエが息を飲む。
動物にはそれぞれ固有の好みのリズムが存在する。地球の自然動物にも、鳩に対するバッハのように、個別に最適な好みのリズムが存在している。そのリズムを把握しておけば、獣人に対して飲み込みやすいリズムで話すこともできる。ちょうど今、ロミオがカランコエに対してしているように。
カランコエがずっと握っていた拳をほどいた、その瞬間。
カランコエとロミオの間に、小さな妖精……いや、蜂が割って入った。
「何をしているのっ!」
「ネモフィラ!?」
「即座にロミオ様から離れて止まりなさい、いいわね」
駆けつけてきたのは、ビー・ヴェノムの指導者ネモフィラ。
この集落で逆らってはいけない権力者の一人。
カランコエは動きを止めた。
ネモフィラは全身から放電しながら、ロミオを庇う位置でカランコエを睨む。
周囲の観客じみた人外達は、ロミオに好感を持った空気になっている。
スミレが連れてきたタンジーは父カランコエがロミオを殴ったことで怒り心頭であったようだが、ロミオがカランコエ相手に一歩も引かなかったことで逆に機嫌が良くなったようだ。
スミレは殴られたロミオのことを遠くから、一目で分かるほどに心配している。
じくじくと痛む腹をさすりつつ、ロミオは周囲をそれとなく見回し、全体の感情の流れと空気の動きを油断なく見つめる。
(……ふぅ。あとは、事後処理の流れの中で、個々の印象と感情を微調整して、細かく布石を打っておく……次に何かあった時に使える布石を、だ)
舞台は整った。
これが終わりの形だ。
ロミオが想定した三つの終わりの形の一つであり、最良の形。
この形に持っていくため、ロミオはここまで立ち回りと言葉を選んできた。
いくつかの布石は無駄になったが、それもまたよくあることだと、ロミオは安心して深く深く溜め息を吐いた。
「ネモフィラが来たなら、ここで終わりか。弱っちいヒューマン……なんて、もう言えねえな。ああ、大将。あんたは俺達の大将だ。ロミオの大将!」
「おや。認めてくれるのかい、僕が今後の戦いにおいても大将であることを」
「元から頭良いってことは認めてたさ。うちの娘のタンジーも見たことないくらい褒めちぎってたしな。だけど、頭の良さは信じられねえ。知恵なんて信じられる要素がねえ。だけど、仲間のために強いやつに立ち向かう勇気と、仲間のために歯ぁ食いしばって立ち上がる根性は信用できるぜ、ロミオの大将」
「なるほど。よろしく、カランコエ」
「ああ!」
ロミオは他のヴェノム達と違い、族長カランコエが暴力だけの獣畜生とは思っていなかった。むしろ逆で、カッとなりやすいだけで理性的な判断ができる男だと、今日まで何度か言葉を交わす中で読み切っていた。
カッとなりやすいことと理性的な判断ができないことはイコールではない。ロミオが見たところカランコエは関西圏の武闘派ヤクザに多いタイプであり、暴力・恫喝・大声を交渉材料として使うことに慣れきったタイプだ。
「娘ともども、牙も爪もねえあんたの爪牙として働くぜ!」
「僕にも牙と爪はあるよ、君達ほど鋭く大きくないだけで……」
この手のタイプは怒りの形相で大声を張り上げていても、心のどこかに理性の
『止まれないヤクザは長生きできず、長生きしているヤクザはどこかで止まることができる』……それがロミオの知っている、暴力人種の法則性。
理性的な人間とは違うルールで生きる、獣のルールの生命体。
がははと笑ってロミオに懐くカランコエに対し、ネモフィラは呆れ果てた表情で複眼を拭い、はぁと特大の溜め息を吐いた。
「カランコエ。今回はロミオ様に免じて見逃すけれど、再犯は許さないわよ」
「わぁってるよ、たく。もうこいつを殴る気はねえ。……弱っちいやつだとも思わねえ。気合いの入った男だ。ネモフィラが気に入ってた理由、分かる気がするぜ」
一瞬、クールビューティーのネモフィラの表情が、照れたように緩んだ。
「でしょう? お疲れ様、ロミオ様。本当にごめんなさいね。我々の身内の恥を晒した上に、解決させてしまったみたいで……」
「僕が我慢ならないことを思うまま叫んだだけだ。それに、そんなに他人事だとも思ってない。僕ももう、この村の一員だからね。皆の恥は僕の恥だと思ってるよ」
ロミオの言葉に、カランコエが獰猛に笑んで、ネモフィラが優しく微笑む。
弱者が強者に立ち向かって認めさせた英雄譚と、今発されたロミオの言葉が響いたらしく、周囲から遠巻きに見ていたヴェノム達の間にも、熱っぽい声が上がった。
「ハッ……いいね、大将。あんたの指揮の下でなら、いつ死んでも良さそうだ」
「カランコエ! ……ロミオ様の温情に感謝しなさい、いいわね?」
「はいはい」
「はいは一回!」
「まあまあ、ネモフィラさん、カランコエも心を改めてるからそのへんで」
叱るネモフィラ。罰が悪そうにするカランコエ。ネモフィラを宥めるロミオ。
ロミオはカランコエを理解し、ネモフィラを理解していた。
常識外れに短期間に、常識外れに深くまで、常識外れに正確に、理解していた。
だから、カランコエがここを通りかかるタイミングを計算して、この場でカランコエに頼み込み、この場でカランコエに殴らせたのだ。
ここはビー・ヴェノムのお役所もどきから20m程度の位置にある広場。ロミオが読んでいた通り、カランコエは族長であるため他の獣人より遥かに頻繁に役所に足を運んでいる。そして、その役所にはネモフィラが居る。
ロミオが見たところ、理性的で、同じく理性的なロミオに好意的で、暴力による解決を望まず、権力を持ち、この村でも周囲への影響力が強いネモフィラが。
ここでカランコエに自然に出会い、直訴し、殴られ、ネモフィラに庇われるという流れを演出することは、ロミオにとって容易なことだった。
「手当ての手配をするわ、ロミオ様。安静に座って待っていてね」
「ありがとう、ネモフィラ。君は優しい女の子だね」
「い、いえ、それほどでも……」
「何赤くなってんだネモフィラ、自分の歳を考えろよ」
「貴方本当に反省してる?」
ロミオがカランコエに楯突けば、カランコエは大声を張り上げて恫喝する。
彼はそういう人種であるからだ。
カランコエが大声を張り上げて誰かを恫喝していれば、ネモフィラは大声を聞き人を連れて止めに来る。
彼女には良識があるからだ。
権力者に制止されれば、カランコエは一気に冷静になる。以後は過剰な暴力の追撃に走ってロミオを殴り殺すこともない。蜂種で飛べるネモフィラが広場まで20mの距離を駆けつけるのにそこまで時間がかかるわけもない。
ロミオが殴られるとしても、せいぜい加減されて一発か二発だけだろう。
状況を見てネモフィラの到着を読み切り、挑発の言葉を選んで、カランコエが殴るタイミングと殴る力を調整する。ロミオが会話の中でしていたのはそれだった。
「意外に根性あんだな、ロミオの大将。実はちっとびっくりした。見直したぜ」
「大したことはないさ」
「ははっ! 昨日今日出会ったばっかの液体女のためにそこまで体を張る根性見せたくせに、謙遜すんなって!」
殴らせて、その後にロミオがカランコエ好みの台詞を吐けば、理性が戻ったタイミングのカランコエはごく自然に『見直す』。「おっ、となった」程度の心の動きであるが、ロミオにとってはそれで十分である。
そこからカランコエの耳に届くロミオの言葉は全て『軟弱な口だけの男の言葉』ではなく、『カランコエの暴力を前にして一歩も引かなかった優しい勇者の言葉』になるからだ。ならば、聞く耳は持ってもらえる。
あとは、カランコエが信じたくなるものを並べればいい。
ロミオが見抜いた、カランコエが好む人物像をなぞるように演じればいい。
カランコエの誇り、守りたいもの、異種族の協調、これまでの遺恨の一掃、生存の希望、勇者の懇願、それらを意識させる流れを作る。カランコエは己の心の叫びの赴くまま決めたつもりで、全てをロミオに操られていた。
「獣人から他の種族へのいじめ、必ず無くす。時間はかかるが待っててくれ」
「信じてるよ、カランコエ。僕の牙」
「……へへっ! 任せろや!」
カランコエはその心の奥底に秘めていた、『弱小種族同士のいじめ問題は良くないと思っているし、どこかでケリをつけて終わらせたいが、獣人のメンツを保ったまま終わらせる方法が思いつかない』という願望を見抜かれていた。
そして、『人間の勇者に頭を下げられた獣人が頭を下げ返す形で全てを終わらせる』という、分かりやすい餌に飛びつかされたのだ。
ロミオは強者に立ち向かう弱者という演出を行い、勇者を認めた族長カランコエの男気が各問題を解決するという、そういうメンツの立て方をした。
ロミオは変わらず弱者である。
弱者の勇気を尊重する慈悲深き男、という形でカランコエのメンツは立ち、獣人達は族長カランコエに従わざるを得ない。
仮にこの一件において、カランコエがロミオの想定以下の愚か者であり、ロミオへの暴行を強行していたとしても、問題はない。
ロミオはスミレとの会話の中でごく自然に、タンジーの名前を出していた。この村でスミレを助けてくれる者で、カランコエに対抗できるのはタンジーしか居ない。そして娘タンジーは父カランコエより強い。
スミレが『お兄さんを助けるため』に、タンジーを呼びに行くのは必然である。カランコエがやりすぎるようであれば必然、カランコエはタンジーによって打ち倒されるだろう。
そうすれば、後に残るのは『カランコエの暴力をぶつけられても決して折れなかったロミオと、ロミオに忠誠を誓うカランコエを倒したタンジー』の構図である。
ロミオが今後村の動きを掌握するのであれば、この形でも十分だ。
「……ふぅ」
獣人の頂点のカランコエがロミオを認めるか、獣人の頂点のタンジーがロミオに忠誠を誓うか、そのどちらかにしかならない。
ロミオがカランコエに訴えかけた時点で、ロミオの勝利は決まっていた。
詐欺師が最初から勝っていた茶番は、ヴェノム達の瞳には『勇者が起こした奇跡と和解』のように目に映る。
勇者の英雄譚のように見える。
弱者が勇気と根性で強者に認められたように見える。
その裏で、この流れによって知らず識らずの内に皆『次のサーペント・ヴェノムとの戦いに勝つため個々の士気を上げる』という副目標を達成させられていた。
集落の中に、昨日まで無かった『一体感』が生まれつつあった。
これも、ロミオが期待した通りに。
ヨークシャテリアは強者ゆえ仲間内でも加害者になりやすかった立ち位置を捨て、皆と肩を並べる対等の友人へ。アメーバ・ヴェノムは獣人にいじめられがちな日々が終わり、ロミオに感謝する。獣人に軽んじられていた他の弱小種族も口々にロミオの勇気と優しさを讃え、村がロミオへの敬意で一丸になっていく。
戦争に勝つなら、皆が一丸になるしかない。
内部でいじめと確執なんて抱えている余裕はない。
だから、ロミオはこうしたのだ。
一時間と無いたった一つの出来事で、全てが上手く回りつつあった。
英雄譚は勝利をもたらす。
英雄譚は演出で作れる。
英雄譚は偽造できる。
ちょうど、こういう風に。
「よっ、センセ」
「おや、タンジー。楽しく観戦とは趣味が悪いじゃないか」
「へへっ、いやーあたしの出る幕じゃないよなっていうか……センセを信じてたっつーか……いや、やっぱセンセはすげえっすわ」
「そうでもないさ」
「謙遜すんなって! ほら、怪我の手当てするからこっち来てくださいな!」
「親子だなぁ、口調の癖が」
善人は、操りやすい。
詐欺師のやり口を知らない者達は、操りやすい。
食い物にされやすい弱者は、操りやすい。
「おや、スミレ。俯くのはやめたみたいだね。いいことだ」
「お兄さん……ありがとうございます。本当に、本当にっ……」
「この村の人達が皆いい人達で本当に良かったと、僕は思うよ」
「……いいえ、いい人なのはお兄さんです。普通は話し合いに行った先で殴られてしまったのに、そんな人も含めて全員いい人だと言える人なんていませんよ」
「僕はスミレが受けた仕打ちが我慢ならなかっただけなんだけどね。僕の命の恩人、それも可愛い女の子が酷い目に合わされたんだ。黙ってられないだろう?」
「えっ、あっ、そのっ、あぅ……か、からかわないでください」
「ははっ、スミレはかわいいな」
「も、ももも、もうっ! 知りませんっ!」
まあ、そもそもの話。
獣人の中には以前スミレをいじめていた者がいた、それは事実である、が。
スミレが大事にしていた木細工の人形が、先のサーペント・ヴェノムとの戦闘の振動で落下してタンスの下敷きになって壊れたため、壊れた人形に細工して、誰が壊したわけでもない人形を誰かが壊したように見せかけたのは、ロミオであり。
彼が糾弾のために語り、正当性の御旗にして、カランコエを責め、スミレを守ろうとする理由にした、『嫌がらせのためにスミレの人形を壊した獣人』なんてものはこの集落には存在しないのだが。
それが白日の下に晒されることは、永遠に無いだろう。
ひょっとしたら、『いい人』なんてこの村には居ないのかもしれない。此処に居るのは優しい人もどき達と、たった一人の悪人だけなのだから。
③機神と運命の不在証明 -種族最後の希望が全員俺に依存している人外娘- オドマン★コマ / ルシエド @Brekyirihunuade
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます