20-3「ああ。これはわかりやすい! 私にもわかるぞ!」

「ああ。これはわかりやすい! 私にもわかるぞ!」

 蒼田の声に、少年ははっと眉間の力を抜いた。

「なるほど。君にとって、自分から言い出した条件から逃げ出すことは、君の父親と同じ最低の人間になることを意味するわけだ。

 いいだろう。

 私たちの約束の秘匿について、君が裏切る心配はないと信じよう」

 少年が小さく息を吐く。

「安心できることかね? これはつまり、私が君に突き付ける無理難題のレベルが上がるということを意味しているのだよ?」

 弄んでいたグラスをテーブルに置き、蒼田は笑った。

「最初から覚悟していることですから、問題ありません」

 さっきまでの落ち着きを取り戻し、少年は言った。

「では、タオルをそこへ。全裸になりたまえ」

 少年の脇のコンソールテーブルの椅子を指させば、「はい」と即答し、少年はためらいなく自分の体を覆う唯一の布を手放した。

 腰から外したバスタオルをコンソールテーブルの椅子に掛けて、改めて少年は蒼田の前に背筋を伸ばして立つ。

 股間を隠そうというしぐさは無い。硬い表情に羞恥は見えない。だが、太腿の横に下げられた手が、握りしめられ、かすかに震えていた。

 羞恥心がない、というわけではないらしい。

 まだ薄い陰毛の下で小さくなっているものをしげしげと眺めて「仮性包茎かね?」と聞いてやれば、びくりと少年の体が震えた。

 顔を見上げれば、少年は真っ赤な顔で「はい」と小さく答えた。

 少年から見えた動揺に、蒼田は安堵した。

 足を組み直してゆったりと胸の前で指を組む。自分の中に余裕が戻って来たことを感じる。

「私はね、人間をとても利己的な生き物だと思っているんだよ」

 蒼田は言った。

「実際、今まで私が出会った人間は、どんなに綺麗事を口にしても、いざというときには保身に走った。誰かのために自分を犠牲にする覚悟を本当に示すことができたのは、君が初めてだったよ。

 つまり、私にとって君は、今まで見たことがないタイプの人間だということだ」

 人間観察だと親に命じられて通った都立の進学校で、色々なタイプの馬鹿は見て来たが、この少年のようなタイプに接したことはない。

「だからね、私は君に、とても興味がある。

 君が妹のために、本当に『何でも言うことを聞く』ことができるのか、それにとても興味があるんだ。

 もちろん、君が『する』と答えるというのはわかっているよ。

 だけど、私は君をとことん試したいんだよ」

「試す……」

 少年がわずかに眉を寄せた。

「もちろん、『君の目的に反しない』という君が出した条件は守る。私の命じたことが、条件違反と思うのなら、そう思う根拠を説明して拒否してくれていい。私は、条件に反する命令をするつもりはないがね。

 もしも、『何でも言うことを聞く』ことができなくなったら、契約違反だ。

 妹さんの治療費はそれ以上払わない。保証人からも降りる。

 そして、それまで払った妹さんの治療費を、1か月以内に耳を揃えて返してもらう。そのために、どんなに怖いところから金を借りたとしても、私は一切関知しない。

 ああ。金を借りる先を紹介してくれる人物は、教えてあげよう」

 その人物が紹介する先は、相当な金額まで金を貸してくれるそうだ。どうやって返済させるのかは、蒼田はあえて聞いていないが、その人物を紹介した相手が蒼田の前に再び現れたことはない。

「この条件で、いいかね?」

「はい。構いません」

 少年の返事は、即座に返ってきた。

「では、そこに跪いて、土下座しなさい」

 蒼田は自分の足元を指さした。

 わずかのためらいも見せずに、少年はそれを実行した。

 まだ湿気を含む髪に包まれた頭が、組んだ蒼田の足よりも低いところに降りる。

 蒼田は立ち上がり、一歩進んで少年の頭を踏んだ。

 少年の頭は、蒼田が踏んでもその位置が変わらなかった。最初から額を絨毯につけるほどに頭を下げていたからだ。

「いい覚悟だ」

 言いながら、蒼田はその場で手足を滅茶苦茶に動かしたいような衝動を覚えた。

 自分だったなら絶対にこんなことはしないと思うことを、妹のためにするこの少年の姿を見ていると、体の中で何かがうずく。

 性的な衝動とは違う。嗜虐的な欲求とも違う気がする。

 もっと純粋な何か。

「峰真治君」

 敬意すら込めて、蒼田は少年の名を呼んだ。

「君は言ったな? 君の出した条件の中で、私の才覚で君から最大の『利益』を引き出せばよいと。

 いいだろう。

 今日から君と私の約束が終わるまで、私はありとあらゆる手段で、君を試し続けよう。

 その様を観察し、楽しもう。

 これが、私の求める『利益』だ。

 精一杯、耐えてみせたまえ」

 靴の下で頭を絨毯に擦り付け、無様に土下座を続けながら、峰真治はしかし、迷いなく返事をしたのだった。

「はい」

 

 

 

 21へ続く

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