19-2「君は、身の程知らずの子供だ」

 

 

「君は、身の程知らずの子供だ」

 そう断言する。

「大人は、今手元にあるもので望みをかなえようとする。望みをかなえるのに金が必要なら、カード払いでローンを組むことも、銀行から借金をすることもその範疇だ。

 カードを作ることができる社会的信用、銀行が金を貸してくれる担保、そういう今持っている手札で、希望を実現する。

 自分の手札が足りなければ、手札を強くするための努力をする。より多く働く、より良い仕事に就くために資格を取る、資格を取るために勉強をする。

 もしも、それでも手札が足りない時、手札を増やす時間が足りない時は、どうすると思う?」

「諦めるんだよ」と、蒼田は言った。

「まっとうな大人は、自分の持てる力を超える望みは、諦めるんだ。

 何故なら、身の丈に合わない望みを実現するまっとうな手段というのは、存在しないのだからね」

 そう。

 一人の人間のできることには、「身の程」、あるいはわきまえるべき「分」という限界があるのだ。

「中には、過ぎる望みを実現するための行動を起こす人間もいる。

 けれど、そういう人間はね、他者に不利を押し付けることで利を得ようとするんだよ。

 犯罪に走り、他人のものを奪う。

 自分に有利な条件を並べ立てて、返せない額の借金を他者から引き出した挙句、ろくに返済もできずに踏み倒す。

 そういう輩がほとんどだ。

 君も同じだ。

 いや、君の方が性質が悪いな。

 過剰なリスクを私だけに押し付け、身の程以上のものを得ようとしているのに、自覚がないのだからね」

「理事長先生にだけ、リスクを押し付けているつもりはありません」

 少年は言った。

「ほう。君は、どんなリスクを甘受してるつもりかね?」

「妹を守ることと、医師になること、借金返済のためにお金を稼ぐことを妨げない限り、『何でも言うことを聞く』。それは、十分なリスクになりませんか?」

 少年の真剣な目が、真っ直ぐ蒼田を見つめていた。

「子供で、社会経験がない私自身には、理事長先生に提供できる『利益』を思いつくことができませんでした。けれど、理事長先生なら、たとえ制限付きであっても、この条件下の私から最大の『利益』を引き出すことができるのではないですか?」

 煽っているのか?

 天然なのか?

「なるほど、『何でも言うことを聞く君』から『利益』を引き出せるか否かは、私のやり方次第というわけだ。私の才覚ひとつで、君に『出資』した以上の『利益』を絞り出すことも可能であると」

 どちらでも、もう構わない。

 この少年はすでに、交渉するに足る理性的言動ができなくなっているのだから。

 

「『何でもする』から、金を貸してくれ」

「『何でも言うことを聞く』から、出資してくれ」

 父に対して、祖父に対して、あるいは自分に対して、様々な人間がそう口にするのを、自分は何度も聞いてきた。

 特に、身内のために金を出してほしいと言ってくる人間は、一様にその言葉を口にする。

 まさに、眼の前の少年のように。

 馬鹿らしい。

「もう、あなたの慈悲に縋るしかできないので、金を恵んでほしい」と素直に物乞いをする方が、まだマシだ。

 

 そもそも、『何でもする』なんて言葉は、交渉材料になり得ない。

 例えるならば、「今から釣る魚一匹を担保に金を貸してくれ」と言うようなものだ。

 大魚が釣れるか、小魚しか釣れないか、わからない。釣れるか、釣れないかも、わからない。そもそも、大前提の釣りをするための道具を持っているかもわからない。

 そんなものは、「大魚が釣れたらいいなあ」という願望を交渉材料として持ち出すようなものだ。

 そんなことを言い出す段階で、すでに正常な判断力があるとは言えない。『理性的で理論的な交渉』の相手として失格なのだ。

 本来ならば、すっぱりと交渉を打ち切って、当初の予定通りに年度末までの特待生身分を保証することで終わらせたいところだ。

 しかし、安易に交渉を打ち切るわけにはいかない。

 身内のために『何でもする』と言い出した人間は、何かと厄介なのだ。

 

 自身の動機が損得に関係がない人間は、他者にも損得勘定を捨てて判断をしろと求めてくることが多い。理性的に見えていても、理屈が通じないことが珍しくないのだ。

 それが家族のためにしていることの場合、自身に正義があると信じて疑わないことも多い。

 無茶な要求をする上に、極めてあきらめが悪く、「それは無茶な話だから断る」と言えば、こちらが人殺しであるかのように騒ぎ立てたりする。

 そんな人間をまともに説得して引き下がらせるのは、大変に面倒臭い。

 大勢人がいるところに押しかけて、公衆の面前で土下座をする者すらいる。

 土下座は、命じられてすることに意味がある。命じる者、それに従うものの関係性を確認しあう様式だ。

 それを、公共の場で勝手にするというのは、土下座をする方からの「要求を聞かなければ、お前の評判を落とすぞ」という脅迫に等しい。迷惑極まりない。

 かといって強引に切り捨てれば、逆恨みをされてさらに面倒なことになるのがパターンだ。祖父は逆恨みから刺されたことがあるそうだし、父も逆恨みから嫌がらせを受けたことがある。

 どちらも、それなりの方法で解決したようだが、そのための金だけでは済まないコストは相当だったらしい。

 適当に対処して後から始末をする方が、負担は大きいのだ。

 手間のかかる手順を踏んでも、ここですっぱりとけりをつける方が良い。

 そうとわかっていても、面倒なことには変わりない。

 

 特待生という形で馬鹿に育てられた馬鹿を学校に引き入れてしまった自分が招いた事態ということか。

 成績と素行だけを基準に特待生を選んだのは、失敗だった。

 次からは、家庭環境も選考基準に含めなければ。

 そんなことを考えながら、口を開こうとした時だ。

 ノックの音が響いた。

 

 

「お待たせしました、ホットコーヒー2杯をお持ちしました」

 料理長自らが、ワゴンでコーヒーを運んできた。

 いいタイミングだ。

 蒼田は、目の前の少年との会談を打ち切るための仕上げにかかった。

「私はね、『何でもするから金を貸してほしい』と言う人間を、何人も見てきた」

 これは嘘ではない。

 料理長が蒼田の前におしぼりを置き、銀色のポットから注いだコーヒーの入ったカップアンドソーサーを置く。

「だが、そう言った人間が、本当に『何でもする』のを、私は見たことがない」

 これも嘘ではない。

「だから、私は君に『出資』する条件として、君の覚悟を示すことを要求する。それができたら、『出資』しよう。

 君が本当に『何でもする』から『出資』して欲しいと言うのであれば……」

 料理長が少年の前にもおしぼりとコーヒーを置く。

 そのコーヒーを指さして、蒼田は言い放った。

「2秒以内に、それを頭から被りなさい」

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