17-3「私の祖父母は、父方も母方もすべて死んでいます。
「私の祖父母は、父方も母方もすべて死んでいます。両親とも一人っ子です。祖父母の兄弟やその子供……両親にとっての、おじ、おば、いとこにあたる親戚も、生きて連絡が取れる人はいません。
保証人をお願いできるような人がいないんです」
「それは困ったね」
蒼田は口元に手をやり、考え込むふりをした。
「君は、中間テストでの成績もいい。先生方の評価も高い。他の生徒と比べて学習へのモチベーションが高く、真面目で飲み込みが早い努力家だと聞いている。
特待生として、理想的な生徒だ」
「しかし」と蒼田は続けた。
「残念ながら私学経営は慈善事業ではない」
キッパリとそう言う。
「君を特待生として迎えて、三年間の住居と食事と最高の学習環境を無料で提供すると約束したのは、君が三年後に国公立大学医学部合格という成果を当校にもたらしてくれるだろうと期待したからだ。
いわば、将来を見込んだ投資だ。
例えば、一年生の今から君が学習意欲をなくし、三年後に当校が期待するような成果を望めないような落ちこぼれになったとしよう。そんな君に卒業まで最高の高校生活を無料で提供し続けることは、当校にとって大きな損害となる。
保証人制度は、万が一そうなった時のための備え。当校にとっては、どうしても必要なものなんだよ。
君も理解してくれるだろう?」
「はい。わかります」
峰真治は素直に頷いた。
「特待生としての私に学校が期待しているのが、単なる進学率への貢献だけではないことも、理解しているつもりです」
おや、と蒼田は思った。
「君は、当校が進学率向上以外に、君に何を期待していると考えているのかね?」
「特待生制度の実績作りと、国公立大学医学部とのパイプ作りも含めて期待しているからこその、ここまでの特待生の優遇だと思っています」
「つまり」と峰真治は続けた。
「特待生は、国公立大学医学部に合格するだけでなく、進学しなければ意味がない。
保証人の契約は、大学進学に必要な最低限の経済力が保護者にあることの証明の意味もあるんだと、私は思っています」
面白い。
蒼田は思った。
ついこのあいだ、中学を出たばかりの子供とは思えない。
「その通りだよ。
当校に三年間通う一般生徒が、卒業までに支払う総額はおおよそ九千万円だ。
特待生として同じ『サービス』を無償で享受するからには、それに見合うリターンを当校は君に期待して『いた』。
『塩田高校に通えば、難関国立大学医学部に合格できる可能性が高くなる。実際に、T大に、K大に進学した卒業生がいる。大学でも、塩田高校の卒業生は優秀だと言われている』
そういう当校の評価を作るための、礎の一石となってもらいたいと思って『いた』。
だが、君が保証人を立てられないのなら……君が、医学部進学を望めないのなら、残念ながら当校は来年度以降も君を特待生として優遇することはできない。
君のように不幸な状況に陥った子供を助けるための制度――セーフティネットは、当校の内ではなく、外にある。
そういう制度を使えば、高校に通い卒業することも、大学に進学することも可能だろう。
受け入れ先の学校を見つけることができれば、来年度の入学試験を受けて一年遅れで入学するのではなく、編入試験を受け今年度の一年生として転入することも可能だろう。
当校のカリキュラムは、公立高校のそれを当然カバーしているからね」
「そうだ」と蒼田は、今思い付いたように少し声を大きくした。
「今年度末までは、保証人がなくとも現状のまま、君を当校の特待生として扱おう。寮費も食費も、その他も、免除のままだ。
ノート代くらいは、生活保護などの公的支援でまかなえるだろう?
君の受け入れ校を探すのにも、全面的に協力しよう。児童相談所と連携を取れば、寮を出た後の身の振り方を決めるのに、それほど苦労はしないだろう。
遅くとも年度末には二年次編入できるだろう。上手くすれば、二学期からの転校もできるかもしれない」
出来れば、二学期が始まる前にケリをつけたいが、そう思っていることなどおくびにも出さず、蒼田は続けた。
「『こういうことになったから』と契約通りに1か月で君を寮から追い出すというのは、両親を失って途方に暮れている君には酷というものだろう。
来年の3月末までは、君は当校にいてもいい。だから落ち着いて、ゆっくりと自分のこれからのことを考えなさい」
峰が何か言おうと口を開きかけたのを、蒼田は力強い声で「大丈夫」と言って封じる。
「大丈夫。先生方も事務スタッフも、『できる範囲で』君をサポートする。選択肢は限られるだろうが、きっとそれなりの身の振り方が見つかる。大丈夫だ」
蒼田は善意と誠意を示すように前傾姿勢を取りながら、もう一度「大丈夫だ」と力強く頷いた。
峰はしばらく蒼田の顔を見返して、それから「ありがとうございます」と頭を下げた。
「学校が、こんなことになった私のために、本来の契約を越えて助けて下さることに、感謝します」
「当校としても、一度は特待生として迎えた君をこういう形で手放すことは残念だと思っているよ。せめて、より良い形で君が新しい生活を始められるように、サポートしよう。少しは、安心したかね?」
「はい。これからお話しするお願いを『理事長先生に』聞き届けてもらえなくても、『学校は』当面の私の生活を保証してくれる、すぐに路頭に迷わずに済むと言っていただけて、ほっとしました」
「……そういえば、『お願いがある』と言っていたね」
峰が「理事長先生」という個人と、「学校」を区別したことに気付き、蒼田はわずかに目を細めた。
これは、先手を取って丸め込もうとして失敗したな。
そう思う。
本来ならば、保証人を立てられない特待生は、1か月の猶予期間の後、退学処分になる。
だが、よりによって最初の特待生をこんな形で放り出すというのは、学校にとっても聞こえのいいものではない。
なにせ相手は、相次いで両親を失った不幸な少年だ。話を聞く者は、どうしても不幸な少年に同情的になる。
だから、本来の契約内容を越えて学年末までの猶予を与え、スムーズな転校に必要なサポートもしてやることを決めていた。
ここまですれば、話を聞く第三者も納得してくれるだろう。
当の不幸な少年を、先手先手を打って押し切って丸め込んで納得させることができれば、そこで話は終わるはずだった。
だが、最初からこの少年は、「学校の対応」ではない話をしようとしていたようだ。
理事長という権威を背景にした眼の前の大人に気圧されることなく、その大人のまくしたてる言葉に意味も解らぬまま頷くことをしなかった。
その上、逆にその言葉を言質として、しっかりと胸中に持ち続けていた自身の目的を、改めて切り出してきた。
言質を与えてしまったのは、先走った自分の失敗だ。
子供と思って油断してしまっていた。
「それで」と言いながら蒼田は背筋を伸ばした。肩を開き、体を大きく見せながらゆったりとした仕草で足を組む。
「これだけの学校からの支援では足りないという、『お願い』とは、なんだね?」
浮かべた笑顔は変えず、しかし、仕草と姿勢と言葉選びでプレッシャーをかけてやる。
そんな蒼田の様子に、峰真治はごくりと生唾を呑み込んだ。
そして、緊張に強張った顔の少年は、右掌で自身の胸の中心を押さえた。
「理事長先生。俺に……私に、『出資』をしていただけませんか?」
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