16-4 初めて史朗が接見室での雑談に応じたのは、蒼田の葬儀の日だった。

 

 初めて史朗が接見室での雑談に応じたのは、蒼田の葬儀の日だった。

 すぐ近くだからと葬儀に行く前に礼服のまま接見に寄った神尾に、史朗が「もしかして、理事長の葬儀に行くんですか?」と聞いてきたのが最初だった。

 その通りだ。昨夜は通夜にも参列した。ちょっとした騒ぎがあった。

 そんなことを話したら、「ちょっとした騒ぎって、何ですか?」と食いついてきた。

「蒼田の元妻が、蒼田の養子を相手に大立ち回りをしたんだよ」と簡単に話をして、そろそろ葬儀の時間だからと、その日は接見を切り上げた。

 翌日から、史朗は雑談に応じるようになったのだ。

 

「さあ、史朗君。どうする? このアクリル板のそちら側から、どうやって私に口止めをする? 放っておくと、私はどこでどう口を滑らせるか、わからんぞ?」

 これが殺気かと納得するような圧力を感じさせる目でこちらをねめつけてから、史朗は目を閉じ、大きくため息をついた。

「私選弁護人に選任すれば、口止めできると言いたいんですね?」

「その通りだ」

 神尾は笑った。

「弁護士には、業務上知り得た情報に関する守秘義務がある。それが刑事事件の捜査や判決内容を左右するような重要な事柄であろうと、依頼者が承諾しないのならば口外しない。たとえ警察官、検察官、裁判官相手であってもだ。

 このことで、私を確実に黙らせたいのなら、私を弁護人に選任すればいい」

 でも、とこちらを見返した史朗の表情に、さっきまでの険しさはなかった。

「でも、私には弁護料を払う資力がないんですよ。預貯金含めて50万円に満たないので、国選弁護人選任請求しているくらいです」

「そこは、出所後、金銭的余裕ができてからの出世払いでいい」

 史朗は眉根を寄せた。

「なぜ、友人を殺した私に、そこまでしてくれるんですか?」

「もう、後悔はしたくないからだよ」

「蒼田さんを紹介したことを後悔する必要はないって、言っているでしょう?」

「いや、それ以前のことも、私は後悔しているんだ」

 神尾は言った。

「飲もうと誘っても『忙しいから』と断り続ける五郎の電話でのようすを、何か変だと思っていた。

 でも、忙しさにまぎれて放置してしまった。

『学校をやめて働く、闇金への対処も自分でする、ひとに借りを作りたくない』という君の言葉を、それは悪手だろうと思っていた。

 でも、他人の私がこれ以上踏み込んでいいものかと、説得をためらってしまった。

 私が間違えていなければ、芙美さんは死なず、五郎も死なず、蒼田も死なず、君も『そちら側』に行かずに済んだ。

 もう、こんな後悔は御免だよ」

「そんな後悔も要りません」

 史朗は目を伏せた。

「たしかに、父が事件を起こすことを止められたら、母は死なず、父も死なず、理事長も死ななかったでしょう。父の会社は倒産したかもしれませんが、私は奨学金を使って大学を出て、法科大学院に入って、弁護士になれたかもしれません。

 それはそれで、私は幸せになれたかもしれません」

 けれど、と史朗は続けた。

「けれど、『もしも、そうなっていたら』と思うと、心の底からぞっとします。その世界は、『私がしなければならないと思い、実行したことが、なされることがない世界』なんですから」

 その世界とはつまり、この子が蒼田を殺してまで守りたかった人物が、守られない世界ということなのだろう。

「今、この場所に、私を導いてくれたすべてに、私は感謝しています。

 神尾さんは、少なくとも私に対しては、何を後悔する必要もないんですよ」

「それほど、その『誰か』が大事かね?」

 史朗は返事をしなかった。

 ただ、目を伏せたまま笑った。とても、とても柔らかな、愛おしげな表情で。

「なら、君は私を弁護人に選任するべきだ」

 神尾は力強く言った。

「君がしなければならないと実行していることは、まだ、道半ばなのだろう? すでに事情を呑み込んでいる私を味方にした方が、そこらの国選弁護人を騙して操るよりも、ずっと楽で確実だぞ?

 君のためにできる限りのことをしたいと思う私を、君が守りたい『誰か』のために利用しなさい。

 なに、弁護料なんか、私と妻の墓守りをしてくれればそれでチャラでいい」

「でも……」と、ためらいのつぶやきを漏らす史朗に、神尾はさらなる誘惑をする。

「私には、もう、その『誰か』のことを隠さなくてもよくなるということは、君が刑に服している間にも、私を通じて『誰か』の情報を得ることができるということだよ? 君が望むなら、服役中も手紙でようすを知らせてあげよう。もちろん、検閲を受けることを前提に、ダミーに他の人物のようすも織り交ぜて」

「それは……」

 眉尻と目尻が下がった少しばかり情けない顔で、史朗は迷っている。

 本当にこの子は、意志は強いくせに、本当に欲しいものの誘惑には弱いから面白い。

「さて、もうひと押しだ」と心の中でつぶやいてから、神尾はさらなる誘惑をするために口を開いた。

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