16-2「私が……」 不意に胸の中にこみ上げて来た熱いものに押し出されるように、神尾は、今まで口にしたことが無かったその言葉を吐き出した。

 

「私が……」

 不意に胸の中にこみ上げて来た熱いものに押し出されるように、神尾は、今まで口にしたことが無かったその言葉を吐き出した。

「私が蒼田を紹介したのが、間違いだったんだな」

 

 蒼田統という人間。

 砂川史朗という人間。

 二人ともを良く知っている神尾にとって、この事件の原因がどちらにあるかは明白だった。

 蒼田統という人間は、自身の望みを実現するためならば、他者を踏みつけることを是とできる人間だ。

 踏み方が上手く、踏まれている方が気が付かないうちに踏んでいたり、踏まれている方も踏まれながら喜んでいたりということはある。だが、そもそも蒼田は、誰かを踏みつけることを悪いとは思っていない。

 他者を踏みにじり、踏み台にするのは、優秀な自分の当然の権利だと本気で思っている人間なのだ。

 対して、砂川史朗という人間は、何の外圧もない状態で、自発的に法律の枠組みを超える行動をとる人間ではない。

 特に、父親の無理心中事件以降の史朗は、後悔にとらわれて自棄になっている。今の史朗であれば、たとえ踏みつけられても、それが自分だけのことであるのならば受け入れて耐えることを選ぶだろう。法律で立ち向かえばどうにでもできたはずの不条理な闇金の取り立てに、黙って金を差し出していたように。

 そんな史朗が、蒼田を殺したのだ。

 二人の間に何があったのかは知らない。わからない。

 だが、殺人という常軌を逸した結末を招くきっかけは、蒼田にあったに違いない。

 

「私が蒼田を紹介しなければ、よかったんだな」

「神尾さん。それは違います」

 神尾が繰り返した悔恨の言葉に、史朗が言った。

「神尾さんの友人の命を奪ってしまったことについては謝罪するしかありません。でも、それを神尾さんが『自分が紹介したせいだ』と後悔する必要はないんです。

 きっと、理事長もそう言います」

「蒼田がそう言うと、なぜ言い切れるんだね?」

「理事長は、最後の最後まで何一つ後悔していないようすでしたから」

 史朗は自分の手を見下ろしながら言った。

「理事長は、私が理事長を殺すための準備をしている間も、見苦しい命乞いをすることがありませんでした。お前など雇わなければよかったとか、そんな恨み言を口にすることもありませんでした。

 わき腹を刺されて、相当痛かっただろうと思うんですが、『結構痛いんだが、鎮痛剤を飲ませてくれないかね?』と言うくらいで、痛いと泣き喚くこともありませんでした」

「蒼田らしい」

 神尾は、苦笑した。

 

 

 おそらく、蒼田は自身の殺害計画に協力をしている。

 神尾はそう思っていた。

 蒼田が史朗に殺されたと聞いた時、神尾は信じられないと思った。史朗が人を殺したということも信じられなかったが、それ以上に、蒼田が大人しく殺されるような男とは思えなかったのだ。

 安藤刑事に史朗と蒼田の性的指向について聞かれた時、二人の間に愛人関係などがあったとは思わなかった。

 だが同時に、蒼田自身が隠そうと画策するような「何か」は、確実にあったのだろうと神尾は思った。

 そう思い到った神尾は、この事件の真相が法廷という公の場で明らかになることはないだろうということを確信した。

 蒼田は、自身の死後、あるいは、殺害計画が失敗に終わって自身が助かった後、隠していた「何か」が捜査によって明らかになることを望まなかったろう。

 そして蒼田は、史朗がその「何か」を必死に隠そうとすることも信じていた。

 だから、大人しく殺されてやった。

 抵抗らしい抵抗をせず、むしろ協力すらしてやったのだろう。

 腹を刺され、拘束されながらなお、堂々と胸を張って話す蒼田の姿が、神尾にはありありと想像できた。

 他でもない被害者が全面的に殺人犯に協力したなどということは、蒼田の人となりを伝聞でしか知ることのできない安藤刑事には、検察官には、裁判員には、裁判官には、理解できないだろう。

 そこに思い到れない人間に、この事件の全貌を把握することができるとは、神尾には思えなかった。

 

「蒼田は……苦しんだのか?」

「多分、それほどは……」

 神尾の言葉に、史朗は静かに言った。

「ならいい」

 

 金と権力と実力に裏打ちされて培われた蒼田のプライドは、男として役に立たなくなり、妻に浮気をされて別れることになったことで、ズタズタに傷つけられていただろう。

 月に一度程、上京するたびに蒼田は自分を飲みに誘った。蒼田が離婚してからの店は、従業員の口の堅さが折り紙つきの政治家御用達の料亭と決まっていた。

 決して他に漏れない場所で、「男として不具である」という意味で同類である自分にだけわずかに見せた自嘲と弱音。どれほど自身を傷つけることになっても男としてのプライドに寄って立つ以外の生き方を知らない蒼田のその姿は、自信に満ちた頃を知っているだけに、自分にはただ痛々しいものにしか見えなかった。

 そんな蒼田が、形だけでもそのプライドを守りながら蒼田らしく死ねたのなら、あの男の死に方としては悪い方ではないだろう。

 死んでしまった蒼田のために、自分ができることなどない。

 死んでしまった芙美さんと、死んでしまった五郎のために、今さらできることもない。

 悲しむ気持ちと、死を悼む気持ち。それらは自分自身と、その気持ちを分かち合える人間とのためのものに過ぎない。故人の遺志を尊重するのも、生きていた頃にできたはずのことをしなかった自分を慰めるための行為に過ぎない。

 今更、本当の意味で故人にしてやれることなど、ありはしないのだ。

 だから私は、生きているこの子のためにできることをしよう。

 そう神尾は思う。

 今度こそ、妥協せずに。

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