15-3 ふと、砂川青年の表情が緩んだ。
ふと、砂川青年の表情が緩んだ。
力の抜けた目元。下がった眉尻。口元に浮かんでいるのは、自嘲するような笑み。
その表情に安藤は違和感を覚えた。
おかしい。
この話題には、絶対に興奮すると思ったのに。
「彼女に会ったのか?」、「彼女に何を言った?」、感情のボルテージを上げながら、そう聞き返してくると思ったのに。
一気に興奮が冷めてしまったように見える。
憑き物が落ちたようなとでもいうのか、まるで、今まで相手していたのとは別の人間と中身が入れ替わったような、そんな違和感があった。
安藤は、慌てて最後のカードを切った。
「あんたを診せた肛門科の先生に、話を聞いてきたんだよ!
男の肛門裂傷や直腸裂傷ってのは、便秘や生活習慣が原因のパターンと、外から突っ込んだ何かが原因のパターンがある。そして、専門の先生が診れば、どっちの原因かは一目瞭然なんだとさ!
誤魔化そうとしても誤魔化しきれないんだよ!」
テンションを下げずに声を荒げてまくしたて、安藤は最後の言葉と共に机を平手でバンと叩いた。
「でも――」
返って来たのは、どこまでも冷静な声。
「私の切れ痔が『外から』の原因だとは、先生は言っていないんですよね?」
穏やか過ぎるほどに穏やかな調子で、砂川青年は言った。
「『秘密漏示罪。
刑法第134条1項。
医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6
さらりと刑法をそらんじる。
「医師には守秘義務があります。たとえ犯罪者であっても、患者のプライバシーである病状についてぺらぺらとしゃべるわけがありません」
砂川青年は、さっき立ち上がり損ねて位置がズレたパイプ椅子を、両手で引き寄せて座り直した。
「あくまでも一般論として先生が語ったのだろう内容を、私についてそう言及したとは言葉にせずに、そう言及したかのように錯誤させる表現を使い、私からの反論を引き出そうとする。
刑事さんは本当に、人が悪いですね」
安藤は、大きくため息をついて体の力を抜いた。
「一応聞いておくが、あんたの肛門裂傷と直腸裂傷の原因は、何なんだ?」
「原因も何も、ストレスで便秘になってトイレで切ってしまっただけですよ」
穏やかに笑いながら、砂川青年は言う。
その笑顔が、もうゆさぶりは通用しないと言っているように、安藤には見えた。
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