12-4「ったく」と無意識に口から出たら、隣の席に座った人間がびくりと動く気配がした。


「ったく」と無意識に口から出たら、隣の席に座った人間がびくりと動く気配がした。

 我に返ってそちらを見れば、中年サラリーマンが左手に持ったスマホに目をむけていたが、こちらを意識していることがありありと感じられた。

 驚かせてしまったかとは思ったが、じゃあ、どうやってフォローすればいいかは思い浮かばず、仕方なく安藤は再び目を閉じた。

 目を閉じて思う。

 まったく、わからない。

 

 被疑者には、隠したいことがある。

 その隠したいことを隠し通すために、動機を黙秘している。

 執拗なほどに破壊された2台のスマホ、シリコン素材が完全に燃え落ちるほどに焼かれた大人のおもちゃ。それらふたつが無事であったら分かったであろう事実が、被疑者の隠したいことであるということは推測できる。

 つまりは、人知れず密に連絡を取り合い、大人のおもちゃが介在する関係が、二人の間にあったことを隠したかったと推測できる。

 被疑者・砂川史朗と、被害者・蒼田統の間に、男同士でありながら大人のおもちゃを使うような性的な、継続的な関係が存在していたと推測できるのだ。

 

 だが、わからないのは、その推測が当たっていたとして、なぜ、被疑者はここまで執拗にそれを隠そうとするのかだ。

 

 T市は田舎だ。風情ある古い町並みが残る観光地だが、やっぱり田舎であることは変わらない。

 ゲイバーの1軒もない。男同士のカップルの観光客がイチャイチャしていたなんて目撃談が、署内で交わされる。このあたりの人間は、そのくらいそういう関係に慣れていない。

 最近は外国人観光客が増えてきたが、住む人間は変わらずに田舎者なのだ。

 安藤は、県庁所在地のG市の本庁勤務の頃に、男同士の刃傷沙汰を担当したことがあった。その経験から、スマホ2台と大人のおもちゃの残骸3つ分という証拠にピンときたが、安藤がその可能性を口にするまで、向島も山口も被疑者と被害者がそういう関係であった可能性に思い到ることができなかった。このあたりでは男同士の恋愛というのは、それほどに存在を認知されていないのだ。

 生まれ育ったのがこのあたりであるのなら、自分が男性を性対象としていることを隠したいと思うのはわからなくもない。

 だが、被疑者は生まれも育ちも東京だ。

 東京生まれだからといって男同士の恋愛関係が普通だと思っているとは限らない。けれど、自分が裁判で不利益を被るリスクを承知してまで、隠そうとするのはピンとこない。

 被害者遺族に配慮した可能性は低い。被疑者は被害者に養子という新しい家族ができていたことを失念している様子だったのだから。

 被害者本人に配慮するくらいなら、そもそも殺すという選択をしないだろう。

 

 被疑者が隠したいこと。

 それはすなわち、被疑者が守りたいものだ。

 被疑者の命を奪い、残りの人生を殺人者として贖罪に費やすことになってもなお、守りたいもの。

 被疑者が、そこまでして自分の性指向を隠したいとは思えない。

 ではそれ以外の何を隠したいのか?

 何を守りたいのか?

 今の安藤には、その見当がつかない。

 

 今日は5月25日。

 被疑者が逮捕されてから、もう14日が経過している。

 逮捕された被疑者は、勾留期限内に起訴するか釈放するかしなければならない。

 殺意をもって人を殺したという事実に関しては、物証も自白もある。たとえ動機を黙秘し続けていたとしても、事件の全てが明らかになっていなくても、殺人犯を釈放するわけにはいかない。被疑者が殺人罪で起訴されるのは間違いない。

 5月11日に逮捕された被疑者は、13日に送検、勾留を認められ、勾留10日目の22日に勾留期間延長を認められた。起訴の期限は6月1日の月曜日になる。

 刑事裁判において、起訴をすることができるのは検察官だけだ。起訴するにあたり、警察が整えた人的証拠・物的証拠を吟味検討する時間が検察官にも必要だ。土日は基本的には検察庁は休みなので、金曜日の朝……5月29日の朝には、必要な書類を整えて検察に送らなければならない。

 あと4日……実際に証拠を揃えて真実を被疑者から引き出したとして、その供述書類を整えるのに1日は必要だから、あと3日しか時間が無いのだ。

 もしも、被疑者が自首せず普通に犯人捜査をしていたのなら、本部の応援も投入して大人数で、タイムリミットを気にせずに捜査をすることができた。証拠隠滅や逃亡のリスクは任意同行を求めたり、見え見えの監視をすることで牽制して、時間をかけて証拠固めをすることができた。

 余罪や微罪があるのなら、先にそちらの別件で逮捕して起訴期限が迫ってから本命の犯罪容疑で再逮捕して、改めて最大23日間のタイマーをセットし直すこともできた。

 だが、この事件ではそれはできない。

 被疑者が自首して来たために緊急逮捕せざるを得なくなって、タイムリミットが設定されてしまったのだ。余罪も、別件逮捕できるような犯罪事実もない。どうやっても起訴期限は延長できない。

 もしかしたら、このタイムリミットを設定するために、被疑者は自首して来たのかもしれないとさえ思う。

 

 あと3日で、被疑者の自供なしに事件の事実を浮かび上がらせる証拠を揃えるのは、絶望的だ。

 被疑者は、ポイントポイントをきちりと押さえて証拠隠滅をしている。

「証拠により、反論の余地なく証明されている」でも、「証拠により、蓋然性が高いと判断できる」でもない。「証拠により、その可能性が疑われる」レベルにしかならない証拠しか残されていない。

 決定的な証拠がないのなら、供述と今まで得られた証拠との矛盾点を取り調べで指摘し、被疑者を揺さぶって自供させて、それをもとに新たな証拠を得ることで事実を証明するしかない。

 だが、取り調べをする自分自身が納得できる筋立てが定まっていなければ話にならない。やみくもにそこらをつつきまくって部分的に供述をひるがえさせたとしても、それによって事実を浮かび上がらせることが出来なければ大した役には立たないのだ。

 なにより、確信を持って取り調べに臨んでいない捜査員が、被疑者を落とせるわけがない。

 せめて、被疑者の前に「これが事件の真実なのだろう!」と突き付けられる青写真を作りたい。

 そのための情報が欲しい。

 調べるべきところは調べている。この先に、劇的に状況を変える新しい物的証拠が出て来るとは思えない。それを見つけるための努力は諦めないが、期待は薄い。

 聞くべき相手にも話を聞いている。そのために今日も、わざわざ東京に出て来たのだから……

 

 そこまで考えた安藤は、はっと目を開けリクライニングシートから飛び起きるように体を起こした。

 隣のサラリーマンがびくりと体を引いた。

 

 今日、K大学の前で送ってくれたベンツから降りようとした時の、元妻の言葉を思い出す。

「私には、ただのお友達の神尾さんと違って、色々なしがらみがあるの。あまりお役に立てなくってごめんなさいね」

 あの言葉を自分は、「元妻の私には、色々なしがらみがあるから言えないことがある」という意味だと受け取った。

 だが、何故この言葉の中に、神尾の名前が出て来る?

「神尾と違う私には、言えない」ということは、つまり、「しがらみのない神尾であれば、言えることがある」ということか?

 安藤は取るものも取りあえず立ち上がり、電話をするために新幹線のデッキに向かった。

 

 

 

 13へ続く

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