第13節
13ー1 5月26日11時過ぎ。
5月26日11時過ぎ。
朝イチで被疑者との接見を済ませた神尾弁護士を、生活安全課から借りた相談室に案内する。昨日、帰りの新幹線から電話をして、「話を聞きたいので接見後に時間を取って欲しい」と頼んでおいたのだ。
生活安全課の相談室は、子供の非行問題やご近所トラブルなど、問題を抱えて警察に相談に来た市民の話を聞くためのスペースとして用意されている。無味乾燥な事務机とパイプ椅子の置かれた取調室と違い、応接セットが置かれている相談室には鍵もなく、窓に鉄格子もはまっていない。録画録音設備もない。任意で話を聞くには、こういう場所の方が話しやすいだろう。
「被疑者のようすはどうでしたか?」
生活安全課付きの女性事務職員に淹れてもらった煎茶が置かれたテーブルを前に応接セットに座り、安藤はとりあえずそう聞いた。
「元気そうでした。この頃はもう、帰ってくださいとも言われなくなりました」
最初のうちは、接見しても5分もしないうちに被疑者の方から接見終了させていたのだが、この頃はゆっくり話をするようになっていると、警務課の留置場担当から聞いている。
「今日は、『想像以上に時間が余って退屈だ』とぼやいていましたよ。何か本を差し入れようかと言ったら、すぐには断れなくて迷っていたようでした」
面白そうに神尾が笑った。
「あの子は昔から、意志は強いくせに、本当に欲しいものの誘惑には弱い子でした。もう少しで選任してもらえそうです」
さすがに、子供の頃から被疑者を知っているだけのことはある。
「神尾さんは、被疑者も被害者も子供の頃からご存知なんですよね?」
安藤は訊ねた。
「史朗君は生まれた頃から、蒼田は高校一年生からの付き合いです」
「二人それぞれの過去の恋愛経験について、ご存知のことがあったら教えていただけませんか? どんな相手だったとか」
ひとまず、先入観を与えないためにそういう言い方をする。
「何故それを聞くのかは、後で聞かせてもらえるんでしょうね?」
いぶかしげに神尾が聞くのに「はい、後で」と頷くと、納得してくれたらしい。神尾は素直に話し始めてくれた。
「史朗君については、そういう話は聞いたことがありませんでしたね。五郎の所に飲みに行った時なんかに、『史朗君は、彼女出来たかい?』と聞くと、『そういうの興味ないです』と言っていました。
3年前くらいから、五郎は忙しくなったと……私が『いい酒が手に入ったから飲まないか?』と誘っても断られるようになってまして……今から思えば、会社の経営が上手くいってなかったからだったんでしょうが、そういうことで疎遠になってしまっていたので……それ以降は知りません」
少し眉を寄せ、神尾は言った。
そうか、と安藤は納得した。
神尾も砂川青年と同じく、自分が何かをしていたら、幼い頃からの友人家族を失わなくて済んだかもしれない、友人の起こした悲劇を防げたかもしれないという後悔を抱えているのだ。
だからこそ、家族を失った砂川青年の世話を焼き、よかれと思って被害者に紹介したのに、結果、新たなる悲劇が起きてしまって、さらに後悔の念を深くしているのだ。
二週間以上、本来の仕事を放り出してまでT市に滞在し、毎日砂川青年の接見に来るのは、その後悔のためなのだろう。
「被害者については、どうですか?」
黙り込んだ神尾に水を向けると、神尾は気を取り直したように顔を上げた。
「蒼田は高校の頃から、彼女がいない期間がほとんどありませんでしたね。1年くらい付き合って、飽きるとより彼女好みの男をあてがって、彼女の方から別れ話を切り出させるのがパターンでした」
安藤は少し考えた。
「もしかして、奥さんと離婚したのも、そのパターンですか?」
元妻との離婚の原因は、元妻の不貞だと聞いている。
「あれは違いますよ」
神尾はきっぱりと言った。
「蒼田と小夜香さんの結婚は、一種の契約です。
蒼田家は成金なので、血筋にハクをつけたかった。大河内家は元華族でいくつかの会社を経営していたんですが、バブルがはじけて大損して以来、じりじりと破綻に向かって進んでいて、救いの手を求めていた。
蒼田は小夜香さんと結婚することを条件に、大河内の会社を傘下に入れて経営を立て直してやったんです」
「血筋にハクをつける、ですか……」
政略結婚というやつか。
そのあたりの価値観は、下々の民の俺にはわからんな。
胸の中で鼻で笑ってから、「ん?」と安藤は首を傾げた。
「でも、血筋というからには、子供が出来なければ意味がないんじゃないですか?」
安藤は素直に疑問を口にした。
「そのあたりは、少し込み入った事情がありまして……」
視線を右下に彷徨わせながら、神尾は言った。
「子供が出来なくても……いえ、出来ないからこそ、小夜香さんと結婚しているという事実が、蒼田には必要だったんです。だから、自分から離婚するように仕向けたということはありません」
神尾のもの言いに、安藤は引っかかるものを感じた。
「それは、蒼田夫妻に子供ができない理由があったということですか?」
神尾はちらと安藤を見てから目を伏せた。
「それは……」と言ったきり、その先を続けられずに口を閉じる。
さすが弁護士、故人とはいえ友人のプライバシーを勝手に白日の下にさらすような発言には、抵抗があるらしい。
ここは、こちらから一歩踏み込んでみるか。
「実は、私は被害者が男性を性対象にしていたのではないかと考えています」
「はい?!」
神尾が、ものすごい顔で安藤を見返した。
「あれ?」と思いながらも、安藤は続けた。
「私は、被害者と被疑者の間に、男同士の性愛関係があったのではないかと考えています。
蒼田夫妻に子供ができなかったのは、被害者のそういう趣味が原因だったのではないのですか?」
「蒼田が男をって、無いですよ。ない、ない」
失笑すらしながら、神尾は右手を顔の前で振った。
「高校の時に、同級生にそういう趣味のやつがいましたけど、蒼田は彼に対する嫌悪感を隠そうともしませんでした。
蒼田に言わせると、男性同性愛者は雄同士の競争を放棄した負け犬なんだそうです。
優れた人間であることにこだわっていた、自分は選ばれた優れた人間だから他を見下してもいいのだと豪語していた蒼田が、自分が負け犬と断じた立場に自ら立つことができるとは思いません」
「しかし、人間は変わるものでしょう?」
「それはそうですが……蒼田が史朗君とそういう関係になっていたとは、私にはとても思えません」
「なぜ、そう考えるんですか?」
あまりに確信を持っている神尾のようすに安藤が訊ねれば、神尾は言った。
「蒼田が、器質性のEDだったからです」
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