12-2 18時過ぎ。 新幹線に乗り込み、出張返りらしいサラリーマンがほとんどを埋め尽くす自由席車両のシートの一つに座り、安藤はため息をついた。

 

 

 18時過ぎ。

 新幹線に乗り込み、出張返りらしいサラリーマンがほとんどを埋め尽くす自由席車両のシートの一つに座り、安藤はため息をついた。

 じきに流れ始めたアナウンスで名古屋への到着時間を確認して、もう一度ため息を吐く。19時40分着では、最終の特急に間に合わない。T駅着は0時を回ることになる。

 しかし、これは自業自得というものだ。

「泣かせちまったなあ」と、口には出さずに思う。

 刑事として、被疑者を泣かせたことなどいくらでもある。被害者遺族に泣かれたことも山ほどある。聞き込みしている相手が泣きだすことも、珍しくはない。けれど……

「今回は、俺の持って行き方が悪かったパターンなんだよなあ」と、胸中でひとりごちる。

 早く確証を得たいと焦って、追い詰めるような形になってしまった。何の罪もない若い娘の心の傷を、思い切り抉ってしまった。

 尋問テクニックとして、感情を高ぶらせて本音を引き出すやり方はあるが、そう意図せずにやってしまったのだから、これは反省せずにはいられない。

 泣きじゃくる女の子を慰めなだめている間の罪悪感ときたらなかった。

 

 母親の通夜に行ったら、もう会えない、葬儀にも来ないでくれと、被疑者に言われたと、森綾香はぼろぼろ涙をこぼしながら語った。

「砂川さん、『嫌な思いをさせて、すみません』って……『できるだけ早く忘れて下さい』って……『私も忘れますから』って……そんなこと言われたら、もう何も言えない……だって、私が砂川さんだったら、忘れたいと思うもん……砂川さんが忘れたい気持ちはわかるもん……でも、私、忘れたくない……忘れたくないよおー……」

 そう言ってまた声を上げて泣きはじめてしまった女の子を、「わかった。わかった。君も辛かったんだな。辛いことを思い出させてごめんな」となだめて。

「でも、言い難いことを教えてくれてありがとう。君のおかげで、砂川さんを助けることができるかもしれない。ありがとう」とすかして。

 何とか泣き止んだ所で別れて、三田駅まで迷って、やっと東京駅にたどり着いてたら、この時間の新幹線に乗ることになってしまったのだ。

 

 忘れたくないと言った、森綾香の気持ちはわかる。

 早く忘れて欲しいと願った、被疑者の気持ちもわかる。

 相思相愛の彼女の処女をもらって童貞を捨てる、男としては理想的な初体験だ。緊張もするだろうが、なんとかうまくできていたら最高に幸せだったろう。

 それが幸せだっただけに、たまらないのだろう。

「あの事件があってからの史朗君は、まるで自分で自分を罰するように、自分を辛い状況に追いやるような行動を自ら選んでいるんです」

 神尾弁護士の言葉を思い出す。

「そりゃあ、自棄にもなるし、自罰的にもなるってもんだな……」

 安藤はつぶやいた。

 だが、被疑者の自罰意識に振り回されて、事実を見失うわけにはいかない。

 安藤は、今日の東京出張で得た情報を頭の中で改めて確認して、もう一度ため息をついた。

 

 

 確認が取れたのはみっつのことだ。

 被害者は、元妻・小夜香との離婚前に男性と関係を持っていた気配はなかった。

 被疑者も、交際していた森綾香と別れるまでに男性と関係を持っていた気配はなかった。

 被疑者が燃やしていた大人のおもちゃは、少なくとも離婚前の被害者の趣味ではなかった。

 このみっつは確かだ。

 大人のおもちゃが被疑者の持ち物であったかは、森綾香に聞いても意味は無かろう。たとえ被疑者の持ち物でも、それを森綾香に見せていたとは思えない。

 実際に表情を見ながら聞き込みをしたかったので、ひとりででもいいから行かせてくれと課長に直談判して東京に来たのだが、事実に近付いたという実感が無い。

 徒労感に体も心も重くなった気がして、安藤はシートを少し倒して背を預けた。

 

 刑事の仕事は、お絵描きパズルに似ている。

 縦横のマスを数字のヒントを元に黒に塗る部分がどこかを確定して塗り潰して、完成すると絵が浮かび上がる、あのパズルだ。

 お絵描きパズルは、黒く塗るべきマスだけを考えていても解けない。

 まずは、ヒントから、「黒と確定したマス」、「黒ではないと確定したマス」、そして、「現時点では黒か、黒でないかが確定していない未定のマス」を区分しなければいけないのだ。

 そうやって、確定した事実と未確定の憶測を峻別し、未確定のものを確定するための情報を集める。

 黒に塗りたかったところが黒ではないと確定しても、がっかりしてはいけない。そこが黒ではないと確定することで、他のさまざまなことが確定することがあるのだから。

 黒ではないと確定できなくても、腐ってはいけない。そこが未定であるという情報もまた、重要な情報なのだから。

 そして、ひとつひとつのマスを、ひとつひとつ確かめていくのが、刑事という仕事なのだ。

 

 安藤は目を閉じ、今日得た情報を元にもう一度、可能性を吟味しなおす作業を頭の中で始めた。

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