第12節
12ー1 被疑者が所属していたK大学法学部亀田刑事訴訟法ゼミを訪ね、教授から被疑者が親しくしていた同級生の友人を教えてもらう。
被疑者が所属していたK大学法学部亀田刑事訴訟法ゼミを訪ね、教授から被疑者が親しくしていた友人を教えてもらう。被疑者の同級生は、この3月末で大学は卒業しているはずだから、捕まえるのに苦労するかと心配していたのだが、幸いなことに同じゼミで親しくしていたひとりが同じ三田キャンパスにある法科大学院に進学していたために、すぐに話を聞くことができた。そして、その友人が教えてくれたのが、砂川史朗が退学前に交際していた相手の名前と所属学部だった。
さらに学生課に行き、交際相手の名前を元に調べてもらった履修内容から現在その人物がいるだろう教室を教えてもらい、講義が終わる16時15分まで待って、出て来る学生に声をかけ、当人を教えてもらう。
こうして安藤は、やっと目的の人物を捕まえることができた。
「あの……?」と怪訝そうな顔をする女学生に、小声で「G県警から参りました」と言うと、彼女の表情が硬くなった。
「少しお話を聞かせていただけませんか?」と聞けば、「はい」と彼女は頷いた。
他の生徒が去った後の放課後の教室で、そのまま話を聞く。
文学部西洋史学科の3年生だという女学生は、森綾香という名前だった。パステルカラーのカーデガンとブラウス、ひざ丈のフレアスカート、ショートカットの、なかなか可愛い女の子だが、さすがに緊張した表情をしている。
他人の目がなくなったところで、安藤は改めて警察手帳を出した。
「G県警T署刑事捜査課の安藤と申します。今日は、砂川史朗という人物についてお話を伺いたくて参りました。事件のことは、ご存知ですか?」
「はい……砂川さんが、人を殺して自首して逮捕されたという話は聞いています」
そう言った女学生は胸元で両手を握りながら、あの、と声を上げた。
「あの、本当に砂川さんが、人を殺したんですか? 私、とても信じられなくて……」
「それを調べるのが、われわれ警察の仕事です。ご協力をお願いします」
あえて、殺したことは間違いないと思っていることは伏せ、安藤は言った。
「はい」と、頷く女学生の表情に、まだ彼女が砂川史朗のことを憎からず思っていることが見て取れた。
「早速ですが、ひ……砂川さんとは、どういうお付き合いをされてたんですか?」
「被疑者」と言いかけたのを言い直して、安藤はたずねた。
「えと……普通のお付き合いだったと思います……」
パッと頬を染め、それだけの言葉を言いよどむようすに、そういえばこの関係者は、二十歳そこそこの女の子なのだと改めて思う。
浮気が原因で離婚され、愛人をはべらせ、アナル用バイブについて興味津々で質問して来る、20代にも見えるアラフォー妖艶美女とは違うのだ。
こりゃあ、いきなり写真を見せたら卒倒するかもしれんなあ。
そんなことを考えて安藤は、とりあえずあたりさわりのないところから聞いていくことにした。
「砂川さんとは、どうやって知り合ったんですか?」
「趣味のサークルで、です」
「お付き合いを申し込んだのは、どちらだったんですか?」
「え?! そんなことも聞くんですか?!」
さらに女学生の頬が赤くなる。
「すみません。教えてください」
「その……私の方です。ひと目惚れだったんですけど、押せ押せで押し切りました」
「お付き合いを始めたのは、いつ頃だったんですか?」
「一昨年の11月です」
「別れたのは?」
「去年……砂川さんのお父さんとお母さんの事件がきっかけで……」
女学生の表情が曇る。
さて、いつまでも要点を避けていては始まらない。
安藤は意を決し、一番聞きたいところに切り込んだ。
「砂川さんとは、どういうお付き合いをされていましたか? その……男と女の関係は……?」
そう聞いた途端、女学生の顔から表情が消えた。
「ありました」と断言する声が震えていた。
これはもしかしたら、と思って、安藤はさらに聞いた。
「何度?」
「一度きりですけど、ありました」
セクハラと受け取られかねない質問だったが、答えは即座に返ってきた。だが、女学生の言葉に、複雑なものが込められているのを感じる。
「何故、一度きりだったんですか?」
女学生はそれには答えず黙り込む。
もしかして、と思いながら、安藤は次の質問を口にした。
「砂川さんに、男性の影を感じたことは、ありますか?」
被疑者が午前中に被害者を拘束し、何食わぬ顔で昼食時に食堂に現れて作った時間で燃やしていたのは、2台のスマホと3つの大人のおもちゃ。
そのうちの1つは、アナル用のもの。
砂川史朗が、蒼田統を殺した理由。
男同士の痴情のもつれである可能性は、十分にある。
女学生が目を見開いて安藤を見返した。
これは、思いもかけられないことを言われた驚きか? それとも、以前から考えていたことを指摘された驚きか?
「何を……何を言ってるんですか?」
「被疑者と男女の関係になったのは、一度きりだったとおっしゃいましたね? 被疑者は本当は男が好きで、それを偽装しようとしてあなたとつき合っていたという可能性は、感じませんでしたか? だから一度きりだったとは、思いませんか?」
被疑者を砂川さんと言い換えることも忘れ、安藤は言った。
「砂川さんは、私とつき合ってたんですよ? そんなこと、あるわけがないじゃないですか」
「でも、一度しか関係がなかったんですよね? 被疑者が自分の性指向を隠していた可能性は……」
「そんなことないです!」
女学生は大声で言い切った。
「砂川さんの誕生日の前に、『何が欲しいですか?』って聞いたんです。砂川さんは、『あなたが欲しいです。私と交際してください』って言ってくれたんです!」
安藤に詰め寄りながら、堰を切ったようにまくしたてる。
「おつきあいをはじめて、キスしたり……そういう雰囲気になることもあって……でも、ちょっと怖くて、『そういうことはもう少し待って』って、私の方からお願いしたんです。砂川さんは『わかりました』って言ってくれたんです。『森さんのことを大切にしたいから、待ちます。なんなら、結婚するまで取っておいてもいいですよ』って笑ってくれたんです!
砂川さんは優しくて、勇気の出ない私のこと待っててくれたんです。大事にされてるってすごく感じたんです。だから、私、『誕生日に何が欲しいですか?』って聞かれた時、『砂川さんが欲しいです』って返事したんです。『誕生日の夜に、砂川さんの初めてをください』って言ったんです。
砂川さん、私を抱きしめて『森さんの誕生日が来るのが、待ち遠しいです』って笑ってくれたんです!
砂川さんも私も初めてだったから、ちょっと大変だったけど、でも、私たち、ちゃんと愛し合えたんです!
ちゃんと、私は砂川さんが好きで、砂川さんも私を好きだって思ってくれてて、ちゃんと愛し合ってたんです! 私たちは、ちゃんと愛し合ってたんです!
なのに一度きりだったのは……一度きりで別れることになったのは……」
女学生は目にいっぱい涙を溜めて続けた。
「私たちが愛し合ってたときに……砂川さんのお父さんがお母さんを殺してたからなんです……!」
叫ぶようにそう言うと、森綾香は両手で顔を覆ってしゃがみ込み、声を上げて泣き出したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます